「幸せ」の枠組みを変える

自分から煙草のにおいがする。思ったより不快。いつもはそんなに気にならないし、そもそも私は煙草自体は好きだ。吸ったことは一度もないけど、ドラマや映画で見る喫煙シーンのかっこよさが好きでずっと憧れていた。あんな風にかっこよく吸ってみたいなと思っていた。でも結局、体に悪いしばかみたいに高いし、手を出すことはしなかった。

今日は友人たちと会っていた。けっこう久しぶりで、たくさん話を聞いた。こういう場での会話も変わり、私たちはちゃんと大人になっているようだった。

様々な会話をしたが、私が自分の話をする瞬間はほとんどなかった。友人たちそれぞれの話を聞き、言葉を返し、酒を飲んだ。別に聞き役を押し付けられているわけではない。あの瞬間、私は確かに、自ら聞き役に専念することを選んだ。怖かったからだ。
ものすごく、ものすごく怖かった。どうしてみんなはこんな風に、自分をさらけ出してしゃべることができるのだろうと不思議に思った。今どんな環境で、どんな人に囲まれて、どんなことに悩み苦しんでいるのか、そのすべてを口から自然に吐き出している。私は悩むことがあってもそれを人に伝えることはしない。間違っているといわれたくないから。なんでそんなちっちゃなこと気にすんの、細かいね、まじめだね、気にしてるのあなただけだよ、だから何?そんなことを言われたら、言われなくても思われているとしたら…そう考えると、心がギュッと絞られたような気持ちになる。

「話さないポジション」は非常に楽だ。自分のことは一切開示せず、他者の吐き出すものだけを聞いて、あまり気を使いすぎずにフラットな感じでそこにいればいいだけ。一番安全な場所だ。

…でも、私は今日一体いくつの言葉を飲み込んだのだろうか。

話を聞きながら、口から出すことはない頭の中の自分の声が言葉を紡いでいく。「仕事がしんどい」と言われれば『じゃあやめればいいのに』もしくは『しんどくなくなる取り組み方を模索すればいいのに』。こんな風に頭の中の自分が反応していく。『私は頑張ったよ、私は頑張ってるよ』『あなたはそういった現状を変える努力をしてないじゃん』『私を見習いなよ』『そんなんでいいの?』『何を言い訳ばっか並べてんだ』『そこまで苦しいのは全部自分のせいでしょ?』。話に合わせて表情を変えながら相槌を打ち、その裏側では相手をこれでもかと見下している。

自分が本当にしたいことって何だろう。
毎日がわからないことだらけで疲れる毎日で、今日の会話では相手を見下してばかりで。なんかもう、どうしたらいいかわからない。

結局、私は自分のことが一番よくわからないみたいだ。わからないからとりあえず反抗したくなって見下すしかなくなる。もしちゃんと分かれば、もう少し楽になれるのかなあ。

とりあえず、今日決めたこと。
しばらく今日のメンツには会わないようにする。あと嫌な距離感ははっきり嫌だという。自分の幸せの枠組みを持つ。小さな枠には収まらない。
今日のメンツは好きなんだけど、私の枠組みの枠が崩れてしまうような不安定さがある。だから一回手放す。本当に嫌なので。

そして、自分の本音を少しづつでもくみ取れたらいい。
長い付き合いだからと時間を割くより、私が仲良くなりたい人と、したい会話をするようにしてみたい。

そういえば話は戻るけど、見下してしまうのってどうすればいいんだろう。きっと相手にはいろんな積み重ねもあっての今だと思うから、一概には言えないのは重々承知の上だ。
話を聞いていると、『もっと努力しろよ』『自分で現状を変えようとしろよ』『しょうがないとか言って人や物のせいにしてんじゃねーよ』って思う。これは相手に言っているのか、それとも自分に言っているのか。

考えよう。自分の信念とか目標とか、ちゃんと考えてみよう。
信念は一つ決まった。『私は私の幸せを取りに行く』ということである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?