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てくてく テクテク

足早に季節がうつろうこの時期は、自然の彩りの変化も鮮やかで速くてお散歩してても楽しい。どの季節も好きだけど、桜満開の季節と紅葉が見事なこの時期は出歩きやすい気候もあるけどお外になぜか出たくなる。
よく考えると四季って良くできたもんで、暑い夏と寒い冬の間にちゃんとゆるむ移行時期があって、まあもとの自然界の移り変わりに「四季」と名付けられたのだろうから考え方は逆なのだけど、暑いと寒いの振り幅の間もちゃんと汲んで「四季」となっているのがナンカ嬉しい。

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お散歩、よいです。 唐突に。
若かりし頃は「散歩」という言葉になんだかじぃーちゃんばーちゃんのイメージを勝手にくっ付けてましたが、当時もふつうに散歩はしてたわけで。てきとーに歩くって事ですからね。散歩でも散策でも呼び方はなんでもよいのですが、お外をテクテク歩くってのがやたら気持ち良いのです。

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私は家から出るまでが腰が重いので、何らかの理由つけたり目的持たせたりしてよいしょっとお家を出ます。その理由や目的は詳細にしておかなくて、ざっくり「○○買おう」とか「○○見たい」とか時々「散歩しよう」が目的になったりもしてます。
で、その目的とかは家から出るためのキッカケなので達成してもしなくてもどちらでも良いのです。お散歩してる間に忘れちゃったりして「はて、今日は何で出たんだっけ?」となることもよくあります。いいんです、それで。

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まあ私は健康のためと称してテクテク始めた気がしますが、取り敢えず「歩く」って事自体が身体にも良いらしいです。家事労働も結構な運動量らしいですが、「歩く」だけに絞るとお家の中ではそう歩かないです。
普段当たり前なのであまり「歩いてる」ということは意識しないと思いますが、これ面白いことに「歩き出す」と足とかの調子もよくなるのです。歩く前までは重かったり軽く痛みがあったりしても(だから歩くの嫌になっちゃうのでしょうが)、歩き出すと軽減されたりするのです。もちろん骨折してるとか明らかな炎症起こしてるとかそんな時はダメですよ。
そうではなくて、運動不足だったり体力低下だったりで身体が固まりやすくなってる時。そんな時は少し歩くと何故か調子がよくなってきます。血行良くなるからとか色々理由はあるのでしょうが、そんなもんどうでもよいのです。
『歩くとなんだか調子いい』これを味わっちゃうと、お外出るのがやたら楽しくなります。

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私がお散歩する時はその時々で違うのですが、だいたい出るキッカケにした方面にまず足を向けて歩き出し、あとはふ~らふらその場その時眼に入ったものや聴こえてきたものにキョロキョロし、興味持ったものに食いつきます。
同じ道でも昨日と見えてくるものが全く違うので面白いです。昨日も通ったはずなのに、あれこんなとこにこんなの咲いてたんだとか、あら、この店こんなんだったっけかと自分の視界の狭さに笑っちゃいます。
道もあっちこっち変えてみます。もうここら辺は直感ってやつです。その時「こっち行ってみよー」とか思った方向へふらふらします。
行き止まりだったりすることもあります。でも何気にその先、人だけが通れる道が繋がってるのを発見する時もあります。もちろん「うはっ!」となってひゅるひゅる入って行きます。もう探検でもしてる気分です。

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知らない場所では必ずまわりを見渡し、空を見上げます。耳をすませます。
いつも見えてた建物が違う角度から見えてたり、見えないはずの遠くのものがそこではちょっとだけ見えてたり、同じ空のはずなのに雲の流れが違ってたり。
知らない場所は知らなかったものを見せてくれます。たとえそれが家からそんなに離れていない場所だったとしても。不思議です。面白いです。「知らない」は楽しいです。

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テクテク歩くときは、あほたーんになります。あほたーんです。何も考えません。
たぶん位置感覚とか良い方は「今ここだから、あっち行くとあそこ出てー」とか知らんまに考えてたりすると思うのですが、それもったいないです。どこに出るとかあそこは何があるとかそんなもの取っ払っちゃって、いま歩いてるその回りを感じた方が楽しいです。
水縁をただ歩いてると「横に水が流れてる」ですが、ちょっと歩みをゆっくりにしてその水を観てみると、水面がキラキラしてたりします。風が吹くと水縁の樹が種類によって揺れ方が違います。柳はふわぁんふわぁんと舞い踊りますし、イチョウはシャカシャカとからだを振るわせます。聴こえてくる葉っぱの音も違います。何か考えたり目的もって歩いているとそんなものは見落としてしまいますが、せっかくお散歩するならばなーんも考えないで、その時そこにあるもの見えるものを感じてみるとやたら楽しいです。興味があるもの見つけたら立ち止まればいいのです。へーって思うものに出逢ったりします。

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お散歩は誰かと行くのも楽しいですが、ひとりで行くのもオススメです。
誰かと一緒だとどうしても無意識に気をつかいます。そうすると「あ!」と思った景色があってもそのまま進んじゃったりします。
何より誰かと一緒だとどうしても肩書きくっついてきます。子供と一緒なら「父親・母親」。「友達」とか「恋人」とかまあ何でもいいのですが、何らかの「役割」が付いてきます。
それ、要らんのです。せっかくお散歩するなら「わたし」がお散歩するのです。
肩書きついたまま歩いてると、どうしてもその「眼」でしか楽しめなくなります。それはそれで楽しいから良いのですが、ひとりでテクテク「わたし」が散歩すると、「わたし」がにょきにょき出てきます。「わたし」しかいないからです。誰にも気兼ねする必要ないから、思いっきり「わたしが好きなこと」が目に入ってきます。好きな場所に行けます。時間も好きなだけ使えます。
知らなかった「わたしの好きなもの」の発見です。
「わたしの好きなもの」がひとり散歩で増えると、誰かと一緒散歩の時もそれをシェア出来たりしてもっと楽しくなります。
「わたし」を知るのは楽しいです。

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街中をテクテク歩くのは知らない店を発見出来たりそれはそれで楽しいですが、やっぱりちょっと自然があった方が気持ちいいです。
街中だと知らずに入ってくる情報量が多すぎて逆に疲れちゃいます。情報をキャッチするとそれに伴い頭も動き出しますからまた余計なこと考え出したりします。それも要らんです。
あ、でもすてきな店発見出来たときは迷わず飛び込んで満喫します。偶然見つけた店で前から気になってた物と巡りあったりもします。お店の人がやたらステキだったりもします。こんな時は「わたしの好き」が満ち満ちてるのでお散歩途中のいっぷくです。
例えば知らなかったお店で美味しそうなパンを買って、これまた来たことのない自然の中でそれ頬張ったりしたら、もうそれだけで大満足です。

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てくてくテクテク楽しいです。
本当は「お散歩」と名付けなくても、毎日の出勤とかで歩いてる時でも、歩きながら身体全体で太陽のあたたかさを感じ、吹いてくる風が身体ぜんぶを通り抜けるように感じ、地面を蹴る足裏を感じ、知らぬまに前後に振れている両手を感じ、そんな瞬間瞬間を感じられるだけで「ふつうに歩いてる」の「ふつう」が外れたりします。「歩いてる」だけになります。
お散歩はそれをもっと感じられます。

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あほたーんになって、そういうひと時もたまには作ってワタシを喜ばせてあげて、知らないワタシを発見してワタシの好きも増えて。
ナニモノでもないワタシをどんどん楽しんで。

楽しい が 愉く
タノシイだらけになっていく
これまた たのしい

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