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雨粒に祓われ7月シマイ

7月最後の日は夕立という言葉そのまんまのスコールのような雨がやって来て 大地や建物に籠った熱を一気に冷ましてくれ 少しひんやりした空気をプレゼントしてくれた

夜になっても最低気温30度じゃーさすがにエアコンつけなきゃ寝れないなあと 朝になっても目覚めないよりかはいいかと 諦めてエアコンつけっぱなしで眠る数日だったからありがたい

分かっちゃーいるけど やっぱりエアコンは苦手で ずーっとエアコン部屋に居ると 外出た時にその暑さに自分の身体が解凍されているのが分かって それはそれで面白いのだけれど 汗をかくってのもデトックスも含めてこれまた必要なんじゃないのかしらんと思ってみたりして

そして汗をかいたりする度に こういうもので身体に要らなくなったものも自然と排出出来るようになっているのだから 身体ってシステムはやっぱりスゴイもんだよなあーとか感心してる

お水さんは一種の記憶媒体のようなものでもあるから 汗なりで身体から出る時 ””思い”というものだけでなく 細胞やそのほかの何らかのインプットされたものらも もう不要であればお水さんを介してお掃除出来ているのではないのかしらと思ってる


そして気が付けば7月もオシマイで
特にこの一ヶ月は速かったなあ

昨日あたりから
自分を竹筒として
その真ん中の空洞部分が
よりクリアに抜けたなーと
感じることがあって
少しすーすーする感じ

そして目に映るものは
更にいろどりが鮮やかになって鮮明で
ふぅ~む 何かあったのかしらんと
想いを馳せてみても
うきゃきゃという楽し気しか
伝わってこないから
まあいーかと



自らの空洞が綺麗になればなるほど
やっぱり通りは良くなって
エネルギーの循環的なものもだけど
本来のじぶんとも繋がりやすく
そして
わかりやすくなるんじゃないのかな

個人的には今はちょっと音に敏感で
街中歩いても
人の話す言葉よりも
その発せられているオトによって
気分の変動があるみたいで

そういった意味で
日本語のオトというのは心地よくて
もちろんそこに様々なものがのるから
全部が全部という訳ではないのだけれど
本来の日本語を発している分には
穏やかでいいなあーと感じる



更に心地よいのは自然のオトで

大樹の葉の重なるオトや
風が流れ吹くオト
滝などでの水の流れるオト

このスコールの雨のオトも
雷さまの大地に響くオトさえも

その 混じりけのないオトらは
本当に心地よい



この自然なオトたちは
整えるサポートをしてくれていて
ズレてしまった自分のオトを
戻すかのように寄り添ってくれる

雨が降っている という
現象ばかりに目を向けないで

目に見えるものだけ頼りは
もう止めにして

その 現象があることで
見えていない部分があることを
いい加減に把握して察知して

これからは その 見えていないもの が
ある意味メインとなって動いてもいくから

その 自分の無意識に動いてしまう部分を
少しずつでも修正して

ぜんたいが いま
ほんとうにみせたいものは
何だろう って

目に映らない見えないものから
みる ということを
受け入れて行くこと



お清めのような
激しい雨が一気に降って
東京は空気が変わった

むずむずした7月が
雨とともに綺麗にシマワレ

われ をみる
8月がやってくる



何はともあれ
暑さのなか お疲れさまでした!



ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。