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場違いだっていいじゃないか
南海キャンディーズ・山ちゃんの書いた「天才はあきらめた」を読んだ。
もしも、読むのを悩んでいる人がいたとしたら、私なりに「こういう人は読んだほうがいい」という基準を挙げておくので参考にしてください。
・自分には才能がないと思っている人
・やればできると思っている人
・今はその時じゃないだけで、環境さえ整えば結果は出せると思っている人
私はこんなにも、「持って生まれた才能で勝負できていない人」を見たことがない。いや、山ちゃんに才能はあると私は思っている。お笑い芸人としても好きだし、曲がりなりにもテレビの世界で生き残っている現状がある以上認めている人のほうが多数はなはずだ。大切なのは、「山ちゃん自身が”自分には才能がない”と心の底で自覚していた人間」で、なおかつ「自覚していたからこそ努力するための工夫構築が上手かった」ということ。
この本を読めば、南海キャンディーズ・山里亮太がこの世に生まれなかったかもしれない世界の分岐点をいくつも知ることになる。たくさんの境目を経て、サボりたくなる自分を奮い立たせて、ようやく今の地位にいる山ちゃん。ルックスがどうのという話だけで彼を面白半分に馬鹿にする人間を今後見かけたら私は口を聞かないと思う。
それくらい、努力に努力を重ねて、その上にようやく立てている人だと思った。どんなに場違いだと思ったとしても、環境や場に合う自分を必死につくろうとしてきたのだ。そうじゃないと、立っていられなかったのだ。
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「頭があきらめさせる要素をどんどんと用意してくる」
会社を辞め、フリーランスになろうと思い立った去年の夏と秋の境目に、私もちょうどこの症状に悩まされていた。
このまま会社員でもいいかもしれない。
未経験でいきなりフリーランスなんて無謀過ぎる。
もっと経験者の話を聞いて、準備してからでも遅くない。
「天才はあきらめた」を読んでいると、こうやって自分をサボらせよう、休ませよう、だらけさせようとする悪魔は、突如降りてくるものではないのだとわかる。生まれるのだ。自分の心から気付かないうちに生まれているのだ。甘く囁いて、「怠惰」を「安定」だと思い込ませていつの間にか立ち去っていく。
フリーライターなんて、人脈が命の仕事だ。
私には一切ないもので、使える武器がない状態でこの世界に入り込んで、何度も何度も「場違いだ」と思った。ここにいるべき自分にはなれていないと痛感した。逃げ出したくて、実際に何度も逃げ出した。
華々しいイベント、インタビュー取材、懇親会、顔合わせ、打合わせ……。私はどれも苦手で、得意なものなんてひとつもない。ただただ、書くことが好きだという1点だけで迷い込んできた人間で、それがどれほど分不相応なことか、力不足なことかと何度も何度も思い知った。
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けれど、場違いだっていいじゃないか。
私のような人間が1人でもいれば、後に続くライターさんたちが少しは楽になってくれるかもしれない。「あんな感じでも大丈夫なんだ」って良い意味で肩の荷を下ろしてくれれば、将来有望なライターさんがどんどんどんどんこの世界に入ってきてくれるかもしれない。それは、自分の首を締めることにも繋がるかもしれないけれど、それはそれで私の力も上がるということだから(もちろん、自然に、ではない。努力はしないといけないけれど)、みんなが幸せになる世界を私はこれからも目指せばいい。
場違いだっていいじゃないか。
開き直る力が、明日も頑張ろうと思わせてくれるんだ。
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