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記憶の幽霊

「裏切り者」

 顔のはっきりしない男に電子パルス銃を向けたところで映像再生が途切れた。アリスはデータ整理モードから通常モードに切り替え、今見た映像記憶が何の行動に紐づいているのか調査したが、記憶の断片は膨大なデータの奥底に消えて探すことは困難だった。

 暗いバーにひとりぽつねんと座り、記憶の残像が残ってやしないかとでもいうように店内を見回した。暖炉の前で横たわるジョーンズの寝息だけが、時が凝固していないことを示していた。

 ここはシベリア奥地の険しい山の中腹。切り立った断崖にへばりつくように建てられたアンドロイドのアリスが営むバーである。こんな僻地に滅多に客は来ない。たまにやってくる客はどういうわけか厄介事を連れて来た。

 東の空が明るくなり始めたが、山に囲まれた谷間はまだ夜の一部を引きずっている。はめ殺しの窓から望む谷は黒々としていて夜明けには程遠い。

 それでも店は動き出す。来るか来ないかわからない客を迎えるためにアリスは開店の準備を始めた。アリスの足元をすり抜けるようにして何かが横切った。猫型掃除ロボットのクリンキャットだ。

 クリンキャットは6本の手足としっぽを器用に動かして、壁から天井からあらゆる場所を磨き上げた。時々生真面目すぎる仕事に、ジョーンズの怒りを買ってしまうが、そこはネコ型ロボットである。さっと高みに駆け上り怒れる猟犬をやり過ごした。

 午後をかなりすぎても客はだれもやってこなかった。アリスはただ黙って来客を待っていた。待つのは得意である。

 日が傾き短い昼間は終わりを告げ、山の長い夜がやって来た。光は急速にしぼみ谷は再び安心したように暗がりへと帰っていく。おそらく今日も誰も来ないのだろうと考えていたところで、玄関から風が吹き込んできた。ジョーンズがピクリと耳を立てた。だが扉が開いて誰かが入って来る様子はなかった。ヘリポートの転送エレベーターも閉じたままだ。

 アリスは玄関扉を開けて改めてみたが辺りに人の姿はなかった。

 このところこういったことが度々起こっていた。

 玄関から誰かが入って来た気配があったが実際は誰も来店していないとか、カウンターの端に誰かが座っているかと思ったのに誰もいないとか。そういった不可解な事象が何度か起きている。

 センサーの故障でないことは確認済みだ。もし故障なら一緒にジョーンズが反応するはずがない。もちろんクリンキャットの仕業でもない。ロボットはいたずらなどしない。

 ならばそれは幽霊ということか。

 アリスは幽霊の正体を突き止めるために右目による監視を始めた。

 アリスの右目はエネルギー場による重力の僅かな変化を捉えて見ることができた。つまり光学レンズでは見ることができないモノを見ることができる。時としてそれは人が残した強い念いだったりする。

 客も来ないので数日間右目を稼働しっぱなしにした。そしてある晩、例のふわりとした人影を見かけた。もしそれが誰かの念いであるのなら、それとわかる形として見えるはずだ。

 だがアリスの右目が捉えたのは人のおもいとはまるでかけ離れていた。

 機械のそれ、しかもいびつだ。

 原因がはっきりしないまま数日が過ぎた。

 誰かを撃つ身に覚えのない記憶映像は毎日見た。

 そして久々の客がやってきた。

 その男はイワノフという名で体が大きかった。それでいて動きに無駄がなく隙というものがない。歩き方や仕草からいって軍人だろう。イワノフは無骨な表情を崩さぬままスツールに座った。

「ご注文はどうされますか。ウォッカがいいかしら」

「いや、ウィスキーをくれ。『碧Ao』はあるか」

「電子ウィスキーならご用意できます。本物は高くて手に入りません」

「だろうな。今時5大ウィスキー原酒のブレンドなんてできるはずないからな」

 イワノフはショットグラスに注がれた『碧Ao』を一気に飲み干した。

「あんた、昔戦場に出ていたことがあるだろう」

 二人の間に緊張した空気が流れた。

「今はただのバーテンです」

 イワノフは首からロケットを外すと立体映像を映し出した。一人の若者が浮かび上がった。

「いい男だろう。俺のパートナーでマルコっていうんだ」

「素敵ですね」

「死んだよ」

 イワノフがアリスの目を覗き込む。

「殺されたんだ。アンドロイドに」

「それと私に何の関係があるのでしょう。確かに私は昔戦場に出ていましたが、この方には見覚えがありません」

 イワノフが口の端を持ち上げた。だが到底笑ったようには見えない。アリスを真っ直ぐ見つめる目に強い感情がこもり始めた。

「あんたの記憶になくても、あんたのボディのどこかが覚えているんじゃないのか?」

 言いながら男は壊れた電子パルス銃をカウンターに置いた。

 アリスの脳裏に映像記憶の光景が蘇る。どこにもつながらない記憶。

「マルコは戦闘アンドロイドと組んで敵地に乗り込んだ。敵施設の情報を盗み出すために。だけどあいつはヘマをした。馬鹿なことだよ。敵に寝返ってアンドロイドを売るつもりだった」

 映像記憶の中でアリスが言う「裏切り者」と。

「アンドロイドにはいつももう一つの指令が出る。もし、相棒が裏切った場合はその場で殺せとな」

「それであなたのパートナーは殺されてしまった」

「ああ、そうだ。そしてあいつを殺したアンドロイドもまた、軍法会議の結果バラバラにされたよ。でもな、作戦経験は貴重なデータだ。データを記憶した部品が密かに引き継がれたんだよ。後継機種にな。例えばおまえとか」

 幽霊の正体はアリスに移植された部品の記憶だったのか。命令といえど、人を殺した忌まわしい記憶だ。

「私は……」

「関係ないとは言わせない」

 イワノフはいつしか自分の銃を構えていた。

「俺は大切なマルコを殺した、あのアンドロイドの部品を持つやつを一台残らず破壊すると決めた」

 でもおかしな点がある。もし幽霊が全てアリスの中の部品によるものなら、なぜ右目はエネルギー場を捉えたのか。なぜ、ジョーンズは反応したのか。本当に幽霊は記憶の中だけなのか。右目が捉えたエネルギー場の形は何かに似ていた。

 クリンキャット。

 もしかしてクリンキャットにも解体された戦闘アンドロイドの部品が継承されていたのかもしれない。今時アンドロイドの部品の多くは再利用だ。様々な用途の機械から取った部品がブレンドされ、高い経験値を持った革新的アンドロイドが生み出される。そして些細な部品も余すところなく再利用される。例えば掃除ロボットなどに。

 普段は客の前に現れないクリンキャットが、何かに呼ばれたかのようにやって来てカウンターに飛び乗った。

 するとロケットの立体映像が揺らぎ始めた。

「おい、どうなっている。俺の大切なマルコになにをした」

「クリンキャットに影響しているみたいですね」

「何で影響なんかする。ただの掃除ロボットだろうが」

「もしかしてマルコさんは戦闘力を上げるためにサイボーグ化していたのではないですか」

 イワノフの銃が震えている。

「だったらどうした」

「マルコさんのサイボーグ部品も様々なロボットに流用されているのだとは思いませんか。それらの部品が同じ記憶をデータとして持っているなら、共鳴しあう可能性があります」

 ロケットのマルコは揺らぐ映像の中で笑っているようにも泣いているようにも見えた。

「あいつは……。あいつはいつだって作戦を優先した。そのためにサイボーグにもなった。そして俺の元を離れ、遂には……」

 イワノフの手から銃が落ちた。

「マルコ」

 そしてそのまま泣き崩れた。

 アリスはそっと銃を取るとカウンターの下に隠した。そして銃の代わりにグラスを置いた。グラスには『碧Ao』を注いでやった。

 ロケットのマルコは夢のようにいつまでも揺れ続けていた。

          終


おまけ:テイスティング裏話

 サントリー『碧Ao』を題材にしたショートストーリはいかがでしたか。『碧Ao 』は本編でも触れましたが、継承と革新を続けるサントリーが、世界の5大ウィスキー原酒をブレンドして生み出した正に革新的ウィスキーです。

 ご存知の方も多いでしょうが、世界5大ウィスキーとは、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアン、ジャパニーズの5つで日本のウィスキーも含まれるんですね。ちょっと鼻が高い話です。これらのウィスキーはそれぞれ皆特徴が違い、それを全てブレンドするというのは実に思い切った決断だったと言えます。

 これら個性の違うウィスキーたちをどうブレンドすれば美味しいウィスキーができるのか、最初は全く想像ができなかったとマスターブレンダーの福與伸二さんは仰っています。

 このような革新的発想というか、面白い発想で生み出されたウィスキーをショートストーリーにできないかと悩んだ末にできたのがこのお話です。登場人物をもっと世界5大ウィスキーの国と絡められたらよかったのですが、そこまで練り込めませんでした。

 今後もおまけのテイスティング裏話で創作やお酒に関してちょこちょこ書いて行けたらと思っています。

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