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欠けない月

 いつもは陽気なゲン爺が今日は珍しく静かにウィスキーを飲んでいる。天空に浮かぶ満月のように真丸なロックアイスが、グラスに当たる度にカラカラと小気味のいい音を立てる。僅かに遠い目をしてただじっとその音を聞いている。

「今日は静かですね」

 アリスが声をかけると、ゲン爺はふっと表情を緩めた。

「今日の酒はなんていったかのう」

「『ムーングロウ・リミテッドエディション2018』ジャパニーズウィスキーの一つです。電子ウィスキーですけど月明かりのようなマイルドな味わいですよね」

「お前さんのメモリーには驚かされるよ。こんなウィスキーまで持っているとはのう。ムーンベースにいた頃を思い出すよ。あの頃は若かった」

「ゲン爺にも若い頃があったんですね」

 アリスがからかうとゲン爺は僅かに顔をしかめて、当たり前だと言った。

 ここはゴミ処理島のドリームシティ。アンドロイドのアリスは自らのメモリーに保存された電子ウィスキーを売ることで小さなバーを営んでいる。ここで店を開けるように口利きしてくれたゲン爺には、お礼代わりに無料でウィスキーを提供していた。

「ムーンベースではどんなことをしていたの?」

「リリーという女と組んで、まあろくでもない事に手を染めていた」

 それからゲン爺は少しはにかんで付け加えた。

「百合の花が好きな女じゃった」

 入口の鐘が鳴り女性客が入ってきた。基本的にこの島で働く人間はゴミ処理を生業としている。作業着こそ着ているがすっきりした出立ちで、女性らしく髪に百合の花を挿していた。大輪のイエローカサブランカで表情に艶やかさを付け加えている。

 花弁が完全に黄色いイエローカサブランカは希少な花だ。アリスがそれを褒めようとすると、ゲン爺が大きな声を出した。

「あんた。その花をどうした」

 あまりの剣幕に女性は怯えたように答えた。

「岬に一本だけ生えていたんです。それが何か……」

 ゲン爺は力づくで花をむしり取るとコンロの炎にかざして灰にしてしまった。そして驚く女性の両腕を掴み百合を見つけた場所を追求した。

「すみません。取ってはいけなかったのでしょうか。知らなくて」

「アリス。一緒に来い」

 ゲン爺は当惑する女性を置き去りにして、アリスとその場所に向かった。

 ゴミ処理島は実はいくつかの巨大船を横に繋げて作られている。訳あって一箇所にとどまらずにすむよう移動しながらゴミ処理をするためだ。岬というのは船のへさきのことで、甲板の上はゴミの山だがそこにはほとんどゴミがない。くまなく調べたが、女性の言う通り他には一本の花もなかった。

「さっきの百合の花がどうかしたの?」

 ゲン爺はへりに腰掛けると語り出した。

「ムーンベースのリリーのことじゃ」

「百合の花が好きな?」

「そう。リリーは本当に百合が好きじゃった。じゃから百合の遺伝子を体に組み込んで、いつでもたくさんの百合の花を咲かせていた」

 一時期肉体の一部として花を咲かせるのが流行った。大抵は生きた髪飾りとして髪に咲かせるのだが、度を越した場合は身体中に花をさかせて衣装とする者もいた。リリーはそうした度を越した人たちの一人だった。

「ただ花を咲かせるだけでは気が済まなくなり、顔を大輪の花にしてしまった。想像してみろ。黄色い花の中心に人の顔があるんじゃ。気味の悪いことこの上ない」

「ちょっと変わっていますね。でもそれでリリーさんは満足だったんじゃないかしら」

「最初だけじゃよ」

 ゲン爺は吐き捨てた。

「人の欲望にはきりがない。全身が花になったら次は枯れないようにすると言い出した」

 花が枯れるのは自然なことだ。それに我慢ができなくなれば、行き着くところは破滅しかない。

「それでリリーはどうしたと思う。生命力の強い黴の遺伝子を組み込みおった。むちゃくちゃじゃよ。その結果イエローカサブランカの根が菌糸のように脳を侵し頭がおかしくなってしまった」

 なんと可哀想なことだろう。アリスたちアンドロイドにはわからないが、きっと女性なら誰でも思うこと。綺麗であり続けたいという思いがほんの少し強かったことが、彼女を破滅に追い込んだ。

「それでリリーはどうなったの」

「焼かれたよ」

 あまりの結末である。

「どうして?」

 ゲン爺の目に悲哀がこもる。

「黴の遺伝子を組み込んだと言ったじゃろ。リリーは胞子を撒き散らし始めたんじゃ」

 脳を侵食するイエローカサブランカの胞子。それが閉鎖空間のムーンベースに広がった。恐ろしい事態だ。完全に黄色いイエローカサブランカは希少な花だ。それがどうして希少なのか初めて分かった。危険すぎて月から出すことができなかったのだ。そしてそれがドリームシティに存在していたという事実。どれほどの危険が潜んでいるのかをアリスは理解した。

「イエローカサブランカの胞子は撲滅できなかったのかしら」

「いや、完全に封じ込めたはずじゃ」

 ムーンベースの空調は完全にコントロールされている。空気の流れを制限し胞子をひと所に集めた。そして放射線を浴びせた後に一気に屋外に排出する。胞子は一瞬で凍りつきそのまま塵となった。

 リリーはと言えば、もう手の施しようがなかった。そしていつまでも胞子をばら撒き続けさせるわけにはいかない。ムーンベース治安維持局の決定で密閉カプセルに監禁してガスで眠らせた後太陽に向けて打ち出された。

「仕方のないことじゃった」

 海風がゲン爺の呟きをさらっていく。

「これからどうするつもり?」

 ゲン爺の顔がこわばる。

「撲滅せねばならん。お前のその右目で何か見つけることはできんか」

 アリスの右目は重力の僅かな変化でエネルギー場を見ることができる。例えば誰かの意志が残された場所にはそれなりのエネルギー場が形成される。もしリリーの意志がここに残っていれば、アリスがそのエネルギー場を追って発生源を特定できるかもしれない。

「残念だけどここには何もないわ」

 ゲン爺がうなだれた。

「頼りにしてたんじゃが」

 そこへ連絡が入った。ゲン爺からの情報で島内を捜索した結果が来たのだ。結果を聞いたゲン爺の顔が明るくなった。

「見つかったぞ。この下じゃ」

 あまりの急展開にアリスは戸惑ったが、そんなことを言っている場合ではない。ふたりはオーキーたちが見つけた下層の船室に急いだ。

 そこはかつて解体したムーンバスの使えそうな部品を保管している部屋だった。エンジン部品などが無造作に転がされている。月面から凍った胞子をつけたままここに持ち込まれたということだろう。その部屋一面に黄色い花が咲き群れていた。

 オーキーたちはすでにプラズマ分解機を用意していた。胞子の一粒まで元素に分解しなければならない。オーキーはターゲットをイエローカサブランカに指定するとプラズマ分解機を室内に蹴り込んで扉を閉めた。

「避難しろ」

 急いで部屋から離れる。元素分解は5分ほどで終了する。そして部屋には水素が充満している。どすんという衝撃がすぐにやってきた。様子を見に行くと扉が吹き飛んでいた。扉の奥は壁に大穴が開き黒い海に沈む月が見えていた。

 オーキーは壁に穴が開いたことに不平をいいつつも、ゲン爺の肩をたたくと帰っていった。

「よかったですね。これで安心です」

 アリスの言葉にゲン爺はただ頷いただけだった。

 それからしばらくしてゲン爺はまたアリスの店で『ムーングロウ』を飲んでいた。その表情はどこか晴れない。

「何か心配事でもあるのですか」

 アリスの問いにゲン爺はただ何もないと首を振るだけだった。

「ひとつ聞いていいですか?」

「なんじゃ」

「ゲン爺はリリーさんを愛していたのですか?」

 ゲン爺がおどろいた顔をする。

「なんでそんなことを聞く」

「もしかして、ここへイエローカサブランカをもってやって来た女性は、リリーさんによく似ていたのじゃないかと思って。あの時のゲン爺の態度は少し変でした」

 ゲン爺はしばらくグラスを見つめていたが、ふっと息を吐くと観念したように頷いた。

「やっぱりお前の右目は本物じゃな。心の中まで見えるらしい。あの時わしは嘘を吐いていた。イエローカサブランカをドリームシティへ持ち込んだのはわしじゃ。どうしても全てを無かったことにできなかった。だから形見の一輪をカプセルに入れて地球に持ち込んだ。ここに住み着いてしばらくして彼女がやってきた。笑顔がリリーによく似てた。わしはどうしても、イエローカサブランカを髪に挿した姿を見たくなった。それが危険なことも分かっていた。じゃが、結局カプセルを開いた」

 ゲン爺はカプセルを開けてイエローカサブランカを髪に挿してやった。その時胞子が髪についたのだろう。後日彼女の髪に花が咲いたことを知ったゲン爺は、イエローカサブランカの存在が発覚しないように芝居を打つことにした。都合よくムーンバスの部品があることを利用して、あたかもそこから胞子が広がったかに装った。

「なんで分かったんじゃ」

「部屋に咲き群れていたあの花、イエローカサブランカによく似せて作られた偽物でした。遺伝子配列が違う。それに、花を見つめるゲン爺の目はイエローカサブランカを見た時とは違った。思い入れのある花を見るなら、あんなただの物を見る目で見つめないでしょう」

「そうか。告発するのか」

 アリスは首を横に振った。

「人の心の中に私は立ち入れません。ただ、愛するという気持ちがこういう行動を起こさせると思うと、愛って何だろうと不思議でならないのです」

「何じゃろうな。言ってみれば欠けない満月のようなものかもしれん。いかなる時も変わらず照らしてやりたいという。わしの想いは歪み欠けていた。それは愛ではなかったのかもしれん」

 アリスはそっと『ムーングロウ』のボトルを差し出した。

「授業代です。人の心は難しいということを知りました」

と言って微笑んだ。

          終

『ムーングロウ・リミテッドエディション2018』は若鶴酒造が三郎丸蒸溜所で生産するブレンデッドウィスキーです。熟成にはワイン樽を使用するため、フルーティで口当たりはマイルド。優しい甘さの味わいだそうです。三郎丸蒸溜所は富山県に位置する北陸唯一の蒸溜所です。県内を流れる庄川の伏流水を汲み上げ、世界初の鋳造製蒸留器で2回蒸留して作り上げます。鋳造製蒸留器は梵鐘の技術を使って作成されているそうです。鋳造製蒸留器って珍しいですよね。

 さて、今回のお話の一番最初のイメージは百合の花でした。巨大な百合の花の中心に顔があったら怖いなあと考えていました。ただ、その百合がどうにもウィスキーとつながらず苦労しました。そもそもイエローカサブランカ自体すでに生産されている百合なので、特殊でもなんでもないのです。そこで月明かりでしか咲かなかったらどうだろう、とかいろいろ悩んだ末に月でしか咲かないし、黴のように胞子で増えたらちょっと怖くなるかもしれないと考えました。話が少しずつ広がっていきいろいろ調べている時に『ムーングロウ』というウィスキーを知りました。

 お話の最後でアリスは人間の心を少しだけ理解します。本人が語るようにそれはとても難しいものです。人間でさえ人間の心を完全に理解することはできないかもしれません。いずれ機械の能力が人間を超えたときは、機械になら人間の心を理解できる日がやってくるかもしれませんね。



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