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最後のシェフ

 アリスの店にやって来た男はでっぷりとした尻をスツールにのせて、はち切れそうなクックコートの腹を揺らしながら不遜な態度で言った。

「お前は俺を助ける義務がある」

 それからアリスを値踏みするような目で見ながら、ビールを飲み干して盛大なゲップをした。

 男の名はヤンといった。中華のシェフだそうだ。

 何の義務かわからないが、とりあえずアリスは首を横に振った。

 ここは政府管理外地区の小さな無人島。アンドロイドのアリスが営むビーチバーである。政府管理外地区にあるせいで客は少ない。たまにやって来る客は政府とは関わり合いたくない連中ばかりで、大抵そういう客は厄介事を引き連れてくる。

「厄介事はごめんよ」

 アリスに断られると、ヤンは急に態度を変えた。大きな身体をして実は小心者のようだ。不自然な最初の態度もその現れだ。

「そう言わずに助けてくれよ。困っているんだ」

「話したいことがあるなら聞くけど、聞くだけよ」

「命を狙われているんだよ」

 これ以上の厄介事はない。

「最近あちこちでシェフが襲われている話は聞いたことがあるだろう」

 ニュースで耳にしたことがあった。意識をアンドロイドに転送したり、バーチャル空間だけで生活する人が増えたことで、食事は肉体維持のために最低限の栄養補給をするのが一般的になった。食文化の大きな変化でレストラン業は衰退の一途をたどっている。多くのシェフたちは自分のレシピをネット販売することで収入を得ている。

 それでもまだ実際に鍋を振るうシェフはいるが、レストランという場の提供から指定場所へ赴く出張シェフスタイルが主流に変わった。レストランの映像と料理をどこにでもお届けするという訳だ。その出張シェフがこの所何者かに襲われる事件が頻発しているという噂が広まっていた。

「次は俺の番に違いないよ。お前、いやあなたは強いって聞いたんだ。助けてもらえないかと思って」

「私はただのバーテンよ。そもそもどうして次は自分だと思うの。何か理由でもあるのかしら」

 するとヤンは途端に不遜な態度に戻った。中華の話をするときは不遜を崩せないらしい。面倒くさい男だ。

「俺は中華の世界じゃあとびきりの腕前だからな。俺のレシピを欲しがるやつらは大勢いるし、俺を倒せば中華でナンバーワンになれる。俺を狙うのは当然だ」

 ヤンは自らの料理メニュー画像を宙に並べて見せた。餃子、炒飯に始まり、エビチリ、青椒肉絲、回鍋肉に続き、フカヒレスープに鮑のステーキ、牛肉麺から点心まである。最後はデザートでマンゴープリンと杏仁豆腐で終わる。その品数は百品を超える。それらをひとつずつヤンは熱く語っていった。確かにこれらを全て料理できるなら大したものだ。

「どうだ。美味そうだろ。俺は50年も中華料理を追求してきたんだ。味なら誰にも負けっこない。どんな勝負だって受けてやる」

 勢い込んだヤンだったが、急にしおれて小さくなった。

「でも今回だけは相手が悪すぎる」

「相手が分かっているなら警察に相談すべきだわ」

 そうもいかないと言って、ヤンが贈られてきた挑戦状を表示させた。白いコックシャツにコック帽、エプロンを身に着けた男が立っている。目つきが鋭く濃い口ひげが男の気性の荒さを表している。そして何より右手に握った鋭い出刃包丁が恐怖を煽っていた。コックがメッセージを読み上げた。

「俺の名はギドウ。貴様に料理対決を申し込む。対決は今夜。テーマは貴様の得意に合わせて中華にしてやる。断ることは許されない。もし断ったときはその首をスープの出汁にしてやる。いいか、今夜9時だ。アンダーグラウンドレイヤーで待つ」

「ギドウってまさか」

「そのまさかだ。相手はあの有名な『ファイヤークック大戦』のボスキャラだ。いまだかつてギドウに勝った者はいない。それどころか、ギドウは対戦相手のレシピを次々に取り込んでどんどん強くなっている。かつて五つ星のレストランを経営していたマルコですら子供扱いだった」

 そうは言ってもたかがゲームではないか。負けてどうなるものでもないはずだ。

 ところがそうはいかないと言う。

「マルコは消息を断った。マルコだけじゃない。ギドウと対戦したシェフは皆姿を消しているんだ」

「でもゲームキャラクターがどうやって実際の人を襲うっていうの」

「分からない。だからあんたに助けてもらいたいんだ」

 ヤンは手荷物から一本のウィスキーボトルを取り出した。

『中仕忌(チョン・シージ)』希少なチャイニーズ・ウィスキーの一本だ。このウィスキーは熟成工程の一部で陶器の瓷を使用している。陶器の瓷を使用することで他にはないまろやかな口当たりを実現させている。白酒で培った熟成技術を応用した見事な一本だ。

「もちろん、タダでとは言わない。こいつを一杯飲ませてやる」

「一杯?」

「あ、いや。じゃあ二杯」

「それが命の値段って訳ね」

 ヤンはボトルごとアリスに差し出した。それでも安いと思うが、アリスもこれ以上は何も言わなかった。

 夜9時、完全に仕込みを終えてアンダーグラウンドレイヤーに接続した。するとすでに準備を整えたギドウが現れた。ギドウとヤンの間には調理台が並び、様々な食材が並べられていた。

「逃げずに来たな。それだけは褒めてやろう。だが貴様の料理人人生は今夜で終りだ」

「そうはいかないぞ。俺にだって料理人のプライドがある。絶対にお前を打ち破ってやる」

 ギドウが愚か者を見る目を向けて笑った。

「ルールを発表する。テーマは中華。品数は一品だけ。その品に合う酒を選んで添えること。料理時間は30分。勝負にかける物はお互いの全てのレシピだ」

 つまり、負けたら二度と料理ができないに等しい。シェフにとっては殺されるのと同じだ。

「判定は百人の客が下す」

 急に周囲に現れ老若男女が座ったテーブル席が現れた。国籍も様々である。

「用意はいいな」

 ヤンはさっと手を伸ばしてギドウを止めた。

「待て。ひとつ条件がある」

「条件だと?」

「一人見習いを参加させる」

「一人じゃ手も足も出ないって訳か。いいだろう。何人いた所で結果は変わらない」

 ギドウの許可を受けてコックコートを着込んだアリスがヤンに並んだ。

「作戦は分かっているな」

「ええ」

「いざとなったら、その時は頼んだ」

「いつまでこそこそと話し合っている。始めるぞ。開始のドラを鳴らせ」

 どこからともなく、大きなドラの音が響き渡り夜空にカウントダウンの時計が表示された。

 ヤンの品は餃子である。事前に許可を得て寝かしておいた皮のタネからひとつまみ掴み取ると、中華包丁を使って器用に伸ばして餃子の皮を作る。隣ではアリスが挽き肉、にんにくとたっぷりの白菜微塵切りを手早く混ぜている。白菜から出る水分とヨークシャー豚の脂肪が混ざり合って餃子特有の肉汁を作り出す。

 横を見ればギドウが余裕の表情で調味料を混ぜている。オイスターソース系の品を出すようだ。

 餃子のタネが出来上がったら二人で手分けして皮に包んでいく。さすがにアリスの包む餃子は見事に形が揃っていた。

 隣ではギドウがフライパンに生きの良い鮑を乗せる。芳しい海の香りが立ち上る。たとえそれがデータであっても、食材を焼くときの香りは鼻孔を刺激するものだ。

 こちらもフライパンに火を入れ餃子を焼きにかかる。火の管理はアリスに任せ、ヤンは飲み物に移る。ここが勝負のポイント。ヤンは持ち込んだ中仕忌を1オンスグラスに注ぐと、炭酸を継ぎ足した。これはただの炭酸ではない。温度を極端に下げ、さらに圧力を上げた上で細かな振動を与えることで作り出したミクロ泡炭酸だ。ミクロ泡炭酸によるハイボールは炭酸の刺激とまろやかな口当たりで、餃子の油を一気に流し爽やかな後味を作り出す。

 上空の時計が残り一分を示し明滅し始めた。

 手早く餃子を皿に分け、ハイボールを添える。

「時間だ!」

 ギドウの声で全てが停止した。

 ヤンの前には百人前の餃子とハイボールが並んでいた。ギドウの調理台を横目で見ると、そこにはオイスターソースで炒めた鮑の皿。煮込みにしないのは時間を考慮したからだろう。添えられたチンゲン菜の青が目に美しい。飲み物は赤ワイン。フルボディ特有のタンニンとオイスターソースが鉄壁のマリアージュを生み出す。もちろん鮑の隠し味に同じワインセラーの白ワインを使っているはずだ。

 百人の客にそれぞれの皿が振る舞われる。ヤンの餃子はデータ化されて提供される。肉汁から焼け具合から全て完璧に再現されている。

 テーブルの客たちが箸を、フォークを手にそれぞれの料理を頬張る。緊張の一瞬だ。どちらの品を食したときも満足げな笑顔が絶えない。心象に合わせて自動で得点が加算されていく。得点は拮抗している。感触は悪くない。

 ところがギドウがワインのボトルを調理台に置いた途端に皆の表情が変わった。ギドウの表情もまた意地の悪いものへと変貌した。

「それは…」

 ヤンのもまたそのボトルを見て愕然とした。

「ロマネ・コンティ。最高の食材には最高のワインを合わせるのが礼儀というものだ。貴様のその、馬の小便のような液体とは格が違うのだよ」

 一気にギドウの得点が跳ね上がった。これが誰もギドウに勝てない理由だ。超高級ワインに全員の目の色が変わっていた。

「勝ちポイントが溜まっていたんで、こういう風に使わせてもらった。勝負あったな。さて、覚悟はできているだろうな」

「いいや勝負はまだ終わってない」

「結果を見ただろう。見苦しいぞ」

 するとどういうことか、ギドウの得点が減り始め、ヤンの得点が急速に伸び始めた。テーブルの客たちはもう全員食べ終わり待ち状態になっている。

「どうなっている?」

 ギドウが初めて焦りを見せた。

「いいか。料理っていうのは、五感で味わうものだ。データじゃないんだよ。俺はね、世界中の出張シェフに頼んで一人ひとり全員のところで同じ料理を作ってもらったんだ。だからここにいる全員が、今本当に俺の餃子を食べているんだ。もしかしたら数ヶ月ぶりのまともな食事の人もいるだろう。いいかギドウ。食事っていうのは、頭でするものじゃない。全身で味わうものなんだよ。勝負あったようだな。覚悟はできているんだろうな」

 ギドウの表情がみるみる怒りで歪んでいった。

「ふざけるな貴様。リアルの料理を出すなんて失格だ。今すぐ貴様の生体エネルギーを吸い取ってスープの出汁にしてやる」

 ギドウは出刃包丁を両手に持つとヤンに襲いかかってきた。

 だが振り下ろした包丁はすんでの所でアリスの斬霊剣に阻まれた。

「見習いで来てもらってよかった。助かったよ」

「後は私に任せて」

 右に左に突き出される出刃包丁をアリスは巧みにかわしていく。ところがここはギドウが設定したバトルフィールドだ。アリスはいつものように速く動くことができない。アリスは徐々に追い詰められていった。

 ギドウの出刃包丁がついにアリスの胸を捉えようとしたその時、大きく開いた口に何かが飛び込んだ。

 ヤンの餃子だった。

「何を…むぐっ」

 するとギドウの表情が驚きに変わった。

「貴様、この餃子に一体何をした」

「中華で出す酒は食中酒が主流だ。だから餃子と酒を同時に味わえるように、中仕忌を薄めて入れた小さな包を餃子に仕込んだんだ。しかも食材は小麦からウィスキーまで全て中華食材。特に中仕忌は白酒に口当たりも似ている。これこそ中華のマリアージュというわけさ。食材費だけで勝ってきたお前の料理とは訳が違う。これで私が負けてない理由が分かっただろう」

 驚きで手が止まったギドウをアリスの斬霊剣が切り裂いた。

「あなたは人々の欲求の集まりでしかない。本当はギドウなんていないの。それを受け入れなさい」

「よくも、よくも…」

 ギドウから何かが飛び出していく。それに続くようにして次から次へと光の珠のような何かが飛び出し、四方へと飛んでいった。それはおそらく今までギドウが吸い取ってきた人々の生命エネルギーなのだろう。

 やがてギドウは消えた。

 テーブルも消えて辺りは元の暗いビーチに戻った。

「助かった」

 ヤンはふらふらとアリスの前まできて砂浜にへたりこんだ。

「終わったんだから、しっかりしなさい」

「これはお礼だ」

 ヤンが古びたメモ帳を差し出した。中にはびっしりとヤンのレシピが書かれていた。

「いらないわ。ここはビーチバーよ。こんな手の混んだ料理出せないわ。それにこれがないと、あなたはシェフを続けるのに困るんじゃないの」

 ヤンは頷いてメモ帳をポケットに仕舞った。

 ヤンは翌朝早くに島を出ていった。次の仕事を探すのだそうだ。確かにレストランという業種は廃れ、誰かのレシピをデータで味わう時代になった。それはその日その場所でしか味わえない料理では無くなってしまった。だからこそヤンたち出張シェフはそういった特別な料理を作るために今日も世界を飛び回っている。それが彼らの生きがいだから。きっとヤンは最後の一人になってもシェフを続けるのだろう。

 もし、ヤンが残していった中仕忌を味わうことができたなら、アリスもそういった料理を食べたときの気持ちを理解できるのだろう。

 翌朝、ビーチに男が立っていた。クックコートが突き出た腹ではち切れそうだ。ヤンだった。

「済まない。助けてほしいんだ。百人のシェフから仕事代の請求が来て困っている。しばらくここで働かせてもらえないか。得意なのは中華料理だ」

          終


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