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ラディカルな友達申請

 ピアノのしらべが消えてからというもの、客のいないバーは静まり返っていた。外では雨が静かに降り続いていて、一層静けさを強調している。夜になってしまえばそれも気にならないのだろうが、力のない光を残す時間では、僅かな水滴の音すら静けさの一部である。

 アリスはグラスに手を伸ばした。きっちり1オンス注がれた『グレンフィディック』を喉に流し込むと、アルコールパラメーターが感覚を麻痺させていく。

「誰も来ないのがいけないわ」

 アリスはアンドロイドでありながら電子ウィスキーに溺れる自分に言い訳をした。

 機械は依存症にはならない。制御機能も働くし嗜む程度にしかアルコールパラメータが機能しない。にもかかわらず、飲めば飲むほど酔ってしまうのは、アリスに取り憑いたクエーカー博士の意識が彼岸から彼女を操っているのかもしれないと思う。

 こんな気持ちは誰にもわからないだろう。だからこそ、誰かに話したくなる時がある。アリスには話を聞いてくれる友達はいない。アンドロイドは友達を持てない。

 ドアベルが静けさを破りアリスを現実に引き戻した。

 つばつき帽子を被り長い顔をした男が立っていた。トレンチコートは雨に濡れて雫を滴らせていた。男はそのままアリスのところまでやってきて、カウンターを挟んで向かい合った。

「いらっしゃい。お座りになったら?」

「いや、いい。すぐ済む」

 どうやら客ではないようだ。

「聞きたいことがある」

「どのようなご用件かしら。楽しみの最中だったので手早く済ましてもらえると助かるわ」

 アリスはグラスを掲げて見せた。

 男はサッと手を振るとIDを表示して見せた。名前はボギー。職業は捜査官だ。

「夢郎を匿っているだろう。嘘をついてもすぐにわかる。本当のことを言ったほうがいい」

 夢郎はアリスと敵対する立場にある。だが先日、マイナスエネルギーを対処するのに少しだけ手を貸した。だからといって匿う義理はない。そもそも匿うということは追われているということになる。

「知らないわ。夢郎が何をしたの?」

 ボギーの機械の瞳がぎゅっとすぼまる。アリスから嘘を検知しようとしているのだろう。

「彼は機密情報アクセスの罪で拘束されていた。どういう手を使ったのかわからないが、今朝拘束カプセルから消えていなくなっていた。ここに来る可能性が一番高いと思っていたのだがね」

「そういうタイプには見えないわ」

 再びボギーの瞳がぎゅっとすぼまる。何かを思案しているようだ。

「それより、せっかくいらしたのだから、一杯飲んでいったら。ここはバーよ」

 アリスがメニューを表示させると、ボギーは意外にもそれに目を向けた。

「『ドランブイ』はあるかな。俺は甘いのが好きでね」

「もちろん」

「じゃあ、ショットでもらおうか」

 アリスがショットグラスに注いでやると、ボギーはアリスを見つめながらそれを喉に流し込んでいった。

「さて、それでは事務所までご同行願おうか。ご存じかどうかは知らないが、『ドランブイ』はMシティでは許可リストに含まれていない。つまり密輸ということになる」

 言い終わると同時に入り口から体長2.5メートルはあろうかというアーマードポリスが4体なだれ込んできた。それぞれCMF装甲に20ミリガトリング、対アンドロイド無効化パルス銃を装備していて、機動力を考えれば戦車にも等しい。アリスはすでにアルコールパラメータがかなり有効に効いていてまともに相手ができるとも思えない。両手を上げるしかない状況だった。

「言いがかりをつけてでも、私を拘束したい理由があるのかしら」

「言いがかりね。俺は規則違反を取り締まっているだけでね」

「夢郎もさぞかし重大な規則違反をしでかしたのでしょうね。道に唾でも吐いたのかしら」

 ボギーが肩をすくめた。

「Human+の情報を盗み出したんですよ。Human+の件にはあんたも関わっていたんじゃないか」

 関わったどころの話ではない。夢郎と二人で暴走したHuman+を対処したのだから。なるほど拘束の理由はそれかと合点がいった。

 拘束カプセルの中は狭くまったく身動きができなかった。カプセルからは微弱の無効化電磁パルスが発せられていて手足の自由は奪われている。だからといってストレスを感じるものでもない。動けなければ動かないでいればいいだけの話だ。幸いにしてメモリーには多量の電子ウィスキーストックがある。ちびちび味わえば100年でもじっとしていられそうだ。

「カプセルは快適ですか」

 話しかけてきたのは政府アシストコンピュータのアテナスである。ボギーを寄越した張本人だ。張本人といってもハードウェアは分散されているので、実体はあるといえばあるが、ないといえばない。 

「ええ、とても快適だけど、早くお店に戻りたいので帰してもらえないかしら」

「もちろん。協力してもらえればすぐにでも解放します」

「夢郎のことなら知らないと言ったはずよ。どうせお店も調べたのでしょう」

「そうですね。あの店には何の痕跡もありませんでした。他に行きそうな場所を話しませんでしたか」

 アリスは記憶を一通り辿り直してみた。だが場所について夢郎が話した事実はなかった。だいたい、彼がアリスに行き先を告げる理由もない。

「あなたがたの立場を考慮しても、二人には友好的な関係性が見てとれます」

 アリスは笑いを堪えられなかった。少し飲み過ぎたかもしれない。

「私たちが仲間だとでも言いたいの?」

「いいえ。仲間だとは思えません。ただ友達と感じている可能性を示唆しています」

「友達? あなた、友達の意味を知っているの?」

「特定の嗜好についてお互いを尊重し情報交換を行う関係性を許可したものです」

 再びアリスは笑った。機械はこれだから困ると自分も機械のくせに思う。いつしか友達という言葉の意味は変わっていしまった。

「じゃあ、友人は? 親友は?」

「お互いの共感を元にした関係性です。共感度が高いほど個人の情報を共有する度合いも高くなる関係性で、関係性グループの上位にいる者を親友といいます。間違ってはいないと思いますが、なぜそんなことを聞くのですか」

「私と夢郎の関係がどれにも当てはまらないからよ。友達の一人もいないあなたにはわからないでしょうけど」

 自分のことを棚に上げて言う。

「友達は各国にいます。先日も政策議会の後に大臣たちと歓談をしました」

 それはおべっかを使われただけだろうとアリスは思った。

「目的を一つにすれば友情は生まれるものと考えています。ですがあなたの言葉では、目的意識と友情は違うもののようですね」

「そうね、私とあなたが同じように夢郎を見つけたいと思ったとしても、私たちは友達にはなれないわ。だってあなたは私を大事に感じることはないでしょう?」

「あなたのことは大切だと思っています」

「それは情報の優先順位が高いという意味でよね」

 アテナスは答えなかった。

「それが私とあなたの違いで、人間とあなたの違いでもある。そんなあなたが人間を管理するなんて。あなた、神にでもなったつもり?」

「神の存在は確認できていません。それに管理は人間から依頼された仕事です。彼らにはもうその能力が……」

 突然大きな音が響き渡り拘束カプセルがぐらぐらと揺れた。爆音は続け様響き渡り全ての電源が切れ、あたりは真っ暗になった。

 アリスを拘束してた電磁パルスも切れていた。アリスはこのチャンスを逃さず拘束カプセルの蓋を開け放つと勾留室から廊下に飛び出した。廊下では非常用ランプが僅かな灯りを提供していたが、どこかで火事が発生したのか煙が天井を渦巻いていた。とにかく逃げるなら今しかない。

 警戒警報のアナウンスが状況を伝えてくる。電源設備が爆破されて火事になっているため停電が発生している。何者かが輸送トラックを奪い空港ゲートを突破した。きっとその何者とは夢郎だろう。夢郎の居場所がわかった訳だからアリスはお役御免なはずだ。

 アテナスの右腕だった夢郎はなぜアテナスを裏切ったのだろう。そんなことを考えながら出口を探している途中、アルコールパラメータのせいで足がもつれて派手に転んだ。こんな状況の中で酔っ払いながら走っている自分がおかしくてアリスは声を上げて笑っていた。アルコールで酔っ払い、おかしくなって笑う。これが私とアテナスの違い。だが私は人間ではない。

 コントロールセンターから外に飛び出すと何台ものビークルが空港を目指していた。ビークルにはアーマードポリスが乗り込んでいた。あちこちでサイレンが鳴り響いている。空港ではサーチライトが腕を振るように闇夜を切り裂いて光る。

 そんな混乱の中、今度は空港で大きな爆発が続け様起きた。全てのサーチライトが消えて空港は大きな黒い穴のように全ての気配を飲み込んだ。

 その黒い巨大な穴から一筋の光が天空を目指して飛び上がった。夢郎が輸送機を奪って逃亡を図ったに違いなかった。輸送機はあっという間に速度を上げて大気圏を飛び出していった。空港の防衛センターから何度かレーザーが放たれたが大半は爆発で破壊されてしまったようだ。

 輸送機の防御シールドが破壊される前に夢郎は逃げ果せるだろう。彼の行き先は明らかだった。今、Mシティを天空から照らしているのはジュノー、直径20キロメートルのサーバ衛星である。ジュノーはアテナスの管轄外であり、周囲500キロメートルに自己防衛エリアを持っている。そして夢郎の輸送船はそこを目指していた。

 やがて小さな光点となった輸送船はジュノーの光の中に消えた。飼い犬は鎖を断ち切ったという訳だ。

「神にしてはお粗末な結末ね。アテナス」

 アリスは店に向かって歩き始めた。

 翌日、朝からアリスのバーを訪れる者があった。ボギーだった。

「あら、また密輸で拘束でもしにきたの? それとも朝から飲まないと気が済まないようなことでもあったのかしら」

 ボギーは硬い表情のままカウンター席に腰を下ろした。

「拘束はしない。『ドランブイ』をショットでくれ」

 どういうつもりなのか。ボギーはショットを一息で飲み干すとおかわりを要求した。

「依頼したい事がある。夢郎を捕まえて欲しい」

「私はバーテンダーで探偵じゃないわ」

「あんたは夢郎に詳しい。我々よりも彼の考えを理解している」

「あなたたちのネットワークを使えばいいじゃない」

「アテナスには管轄外もある」

 夢郎はジュノーに逃げ込んでいる。つまりアテナスも手出しができないということ。

「私にジュノーに行けというの? そんな義理はないわ」

「あんたウィスキーが好きなんだろう。1,000ケース用意する。それで手を打たないか。もちろん『ドランブイ』も許可リストに入れる」

 アリスは思わず吹き出した。これほど馬鹿な話があるだろうか。アリスはMシティに酔っ払いを増やすためにここにいる。酔っ払いが増えればMシティの運営にいろいろ支障がでるだろうというささやかな計画だ。敵に塩を送るとはこのことだ。

「私一人で何ができるっていうのよ」

「あんたはサポートしてくれればいい。実行は俺たちがやる」

 アリスは腕を組んで考えた。そして言った。

「10,000ケース。それ以下はないわ」

 これで夢郎と正面切っての勝負ができる。もし戻ってこられたら、無料のウィスキーパーティを開こう。

「いいだろう。契約成立だ」

 アリスの視界にマーカーが点滅した。ボギーからの友達申請だった。

「先ずは仲間としての信頼を得たい」

「時々飲みにくる事ね。あとメルマガは受け取り拒否しないでね」

 アリスは自分のショットグラスにも『ドランブイ』を注いでボギーのグラスにぶつけた。グラスはかちんと小気味よく鳴った。

          終

『ドランブイ』はモルトウィスキーベースのリキュール酒です。ウィスキーはスコットランドのハイランド地方で生産される15年以上熟成されたモルトウィスキーを中心に、40種類近くをブレンドし、花蜜やハーブで味付けをしています。濃厚な甘味があります。『ドランブイ』はゲール語で「飲む」と「満足な」を合わせた言葉で「満足するもの」という意味だそうです。そしてなにより、有名なあの俳優、ハンフリー・ボガードが愛したお酒でもあります。甘いマスクの男には甘いお酒なのでしょうか。イメージとしてはバーボンなのですがギャップ萌えというあれですね。

さて今回のお話は、政府アシストコンピュータのアテナスが脇の甘さを突かれる物語です。シンギュラリティの言葉で知られるように、2045年にはコンピュータの知性が人間を超えると言われています。人間を超えたコンピュータはどうなるのでしょうか。己の問題をどんどん改良していくコンピュータはいつか超知性体として神のような存在になってしまうかもしれません。でも人間とコンピュータってやっぱりどこか違うものと思います。きっと世界を牛耳るほどのコンピュータでも弱点はあるだろうし、そういう強者を出し抜く物語が楽しいですよね。さてさて、舞台はMシティから突如衛星ジュノーに移動しました。想定外です。移動させてしまったものの、これからどうしようか多いに悩みます。

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