見出し画像

母のようになりたい①#20

半ドン技師です。
半生で一番影響を受けた人と言えば、やはり両親ですので、何回かにわたり私の両親のことを書かせていただきます。


母は、いつも凛としているイメージ。子どものためなら恐いものなど何もないって感じでした。そして、いろんな方から綺麗なお母さんやねとよく声をかけられ、自慢の母親でした。
 
家にはテレビゲームもなく、自家用車もなく、旅行も海水浴に一度行ったきり、決して裕福ではなかったけれど、貧しさを感じることなく育ててくれました。
なぜなら、平日は、診療助手としてクリニックで午前診、昼はいったん帰り家事をし、夕方からは夜診。休日は、ホームヘルパーやコンサートホールで働き、その上、自分のためにはお金を使わない人だから。
「お母さんは、お腹いっぱいだから」
「お母さんは、あまり好きじゃないから」
今から思えば、いつも母だけ一品少なかった気がします。
 
仕事もいつも一生懸命。診療所には看護師がいなかったので、実質母が切り盛りしていました。患者さんも母に元気をもらいに来ている感じで、母自身もプライドを持って仕事に向き合っていました。
 
そんな母ですが、
「いらないものを捨てられるサイズにするのにノコギリを使ったし、脇腹が筋肉痛やわ。」
「最近、眩暈がする。お父さんが悩ます事ばっかりするし、自律神経やわ。」
「最近、全然ビールが飲みたいと思わない。いいことやわ。」
と冗談交じりに体の違和感を言うようになっていたのですが、いつも弱みを見せず元気な母。私も大したことはないと流していました。
 
だけど急に、本当に急に。吐き気が続き、御飯が食べられなくなり、仕事以外では横になっている状態に。職場の診療所で念のためにした超音波検査の画像を見たのですが、超音波検査に詳しくない私でも、肝臓に明らかな病変があるのが分かりました。
病院嫌い、いや自分のためにお金を使うことを嫌う母ですが、診療所の先生の顔を立てるためと、渋々大きな病院の診療予約を取ってくれました。
 
診察日の前に母が行ったところ。
それは美容室でした。何も吐き気がある中、今無理して行かなくてもいいのに・・・
 
 そして診察の日。
すぐに検査入院をするようにと医師からの指示が出ました。
しかし、母は首を縦に振ってはくれません。
検査しても一緒やからの一点張り。
母は、体の異変に随分前からきっと気づいていたんだと思います。
だからノコギリを使って断捨離を・・・
 
病院の待合室で、私は泣き声になりながら大声で
「肝臓がんをほっといて、綺麗に死ねると思ってるんとちがうか。腹水たまってしんどい目にあうんやで。助からないにしてもお母さんにしんどい思いして欲しくないんや。頼むから検査して、お願いやから」
ほぼほぼ反抗期のなかった私が、初めて母に対して感情的になってしまいました。超音波の画像を見た印象だけで、肝臓がんって、母に言ってしまうくらい。
 
何とか説得でき、1週間の検査入院が始まりました。
仕事上がりに、唯一口にすることができたスイカを持って、お見舞いに行っていたのですが、案の定、ただの検査入院なんだから、仕事あがりに大変やし、家で娘も待ってるんだから早く帰ってあげなさいと、いつも通りの素直じゃない母が病室にいました。
 
調子のいい時の母との会話は、
「手が痩せてしまって、おばあちゃんみたいやわ」
「綺麗好きの私が、吐き気でお風呂断るなんてよっぽどやろう?」
という調子。70歳を超えて母の美意識の高さは凄い
 
調子の悪い時は、吐き気が止まらない様子で辛そうでした。
なのに、そんな苦しんでいる母を私は呆然とながめ、立ち尽くすのみ・・・
幼かった頃、体の弱かった私が嘔吐していた時は、母はいつも優しく声をかけながら背中をさすってくれたのに・・・大好きな母が苦しんでる姿を見て、凄く恐くなり、手を差し出すことが出来なかった。何が医療人やと自分が情けなかったです。

母は吐きながら
「こんな姿見せてごめんね」と逆に私に謝り続けます。
親はどんな時も子どもの前では強くあり続けないとダメだという信念からでしょうか。
そんな息子は、もう42歳なのに。
こんな僕でごめんなさい。
 
続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?