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冬がニャーと鳴いた|小説 前編

冬がニャーと鳴いた。冬とは耳先をカットされた(去勢されている印)この辺りの地域猫で、近隣の人たちから「冬」と名付けられて可愛がられている。冬は毛並みが艶やかな黒猫で、いつも堂々とした品格があり、

「おい、オレ様を礼讃せよ!」

と、言っているような気配が漂っていて、うちの庭にある大きな石の上で百獣の王のポーズを取りながら目を細めたその姿に少々の賛辞を述べた。

「冬はとてもキレイで強くて賢いねこだよ。」

そう言うと、冬は満更でもない仕草で百獣の王ポーズを崩して、その場にちょこんと座り、僕は優しく冬の頭を撫でてから餌を与えた。カリカリと音を鳴らして餌を食べながら時々僕を見上げる仕草も、首をグーっと伸ばして水を飲む仕草も、食べたあとに毛繕いをする仕草も、どれを取っても美しく、その透き通る瞳の中には果てしない宇宙が拡がっているような気すらしてくるのだ。冬は一通り毛繕いを終えると、僕に「ニャー。」と礼を言って庭を去った。その後ろ姿を見送ると、「また明日も会える。」と、自分に言い聞かせて家の裏口へと向かう。

「このネギ長くない?マジでウケるんですけど!」

元コギャルの母の声が裏口の外まで聞こえてきて、少しだけゲンナリする気持ちのままドアノブを回した。外履きの健康サンダルから内履きのスリッパへ履き替える時に、

「あ、今からメシ作るから少し待ってて。」

と、台所でトントンとネギを刻みはじめた母は僕を二十二歳の時に産んでひとりで育てている。母曰く、

「マジで超難産。だけど、超可愛くてさ、キラキラ光ってんの。」

だったらしい。だから僕の名前は『希良理(きらり)』という。所謂キラキラネーム世代の先陣を切る語感と当て字に気怠さを感じるけれど、母は母なりに、

「マジで悩んだんだから。」

と、必死で僕の名前を考えたらしい。普段僕は周囲の人から池端という名字で呼ばれることが多いからあまり名前を意識せずにいる。しかし母が、

「きらり〜。」

と、語尾を伸ばして明るく呼ぶたびに僕はゲンナリしてしまう。このゲンナリの正体が思春期特有のものか、それとも一生継続するものかはわからないが、そのことを母に伝えると傷付けてしまいそうだから今のところは我慢している。コギャルがどういう生物か僕には見当もつかないが、母は言葉遣いが悪い。僕の友達が家に遊びに来た時にも、

「おめーら、アイス食う?」

と、良く言えばフランクに、悪く言えば馴れ馴れしく荒い言葉を遣う。そのことを母に注意しても、

「きらりが怒ってる〜。マジでウケるんですけど。」

と、言うだけで全然話が通じないから僕は母に対して注意をしなくなった。コギャルは謎の生物だ。

「きらり〜、メシできたよ。」

テーブルの上には餃子とたまごスープと春雨サラダが並んでいる。ふたりでいただきますをしてから、夕食を食べはじめた。

「あ、そうだ。私、今日夜勤だから朝メシは冷蔵庫にあるサンドイッチとたまごスープと春雨サラダを食べてね。」

母は餃子にタレをつけながらそう言った。看護師の母は僕が中学校に上がってから夜勤をするようになった。その理由も僕のためだと薄々気が付いているのに、どこか気恥ずかしくて感謝を伝えることができなかった。

「わかった。夜勤がんばってね。」

それが精一杯の僕は、たまごスープと一緒に喉の辺りから溢れる恥ずかしさを呑み込んだ。それから食事を済ませ母は仕事へ行き、僕はひとりで夜を迎えた。時々真夜中に目が覚めて無性に寂しくなることがあるけれど、それは誰もが抱えている孤独だと最近気が付いた。

人は皆、孤独なのだ。

そう思うことで自分の満たされない部分が癒されるような気がする。いつまでも、からだの芯に居座る孤独のせいで眠れなくなり、ベッドから起き上がり居間へ行くと窓の外から「ニャー。」という声が聞こえた。

冬だ!

僕は引き出しからちゅーるを取り出して裏口へと走った。慌てて健康サンダルを履きながら外に飛び出ると冬が大きな石の上に座り月光を浴びていた。冬に降り注ぐ光はどこまでも柔らかくて、その神秘的な姿を目にすると心に居座った孤独がふわりと浮いて心の端へと移動した。

「ニャー。」

冬は小さく甘えるように鳴いて僕に近寄って足に絡みつく。僕はそのからだをひと撫でしてから、ちゅーるを与えるとそれをあっという間に食べ尽くしたあと、丁寧に毛繕いをはじめた。それから庭にある大きな石の上へ腰掛けた僕と冬は薄らと青味が差した月を眺めた。どれくらいそうしていただろうか、ふいに冬が石から地面へ降りて一声鳴いてどこかへ行こうとするから、

「冬!また、あした!」

そう言うと、冬は「ニャー。」と返事をして月が作った明るい道を歩いて行き、姿を消した。僕は裏口から家の中へ入り、ソファへ横になったまま知らない間に眠っていた。

「きらり〜、起きろ〜。こんなとこで寝てたら風邪ひくよ。」

母が夜勤から帰って来たようだ。慌てて僕が起き上がり携帯を確認すると、今日は休日だった。僕と入れ替わりにソファにドスンと座り込んた母は、

「マジで疲労コンパイなんですけど。」

と、言いながら首をぐるぐると回した。僕は母に食事は摂ったかと聞くと、母は

「トってなーい。」

と、欠伸をしながら言うので、僕は台所へ行きウインナーと目玉焼きを焼いて、昨日の残りのたまごスープを温めてから冷蔵庫にあるサンドイッチと春雨サラダを出して母を呼んだ。

「きらりん、やさしいじゃん。ハート。」

と、ソファから立ち上がりながら言うから、

「そのきらりんはヤメろって言ってんだろ。」

と、母を嗜めると、

「あ、そだったね。ごめん、ごめん。」

と、言いながら台所へやって来た。それからふたり揃っていただきますをしてからサンドイッチをがぶりと食べた。たまごときゅうりの歯応えを楽しみながらマスタードの効いたマヨネーズが双方の調和を取り持っていて、堪らなく美味しかった。母の作る料理はどれも美味しいけれど、もしかしたら僕にとってのお袋の味はサンドイッチなのかもしれない。つい「うま〜。」と口から漏れ出たからそれを母は笑った。

「きらりはサンドイッチ大好きだもんね。」

そして、母もサンドイッチをパクリと食べたら壊れかけの鳩時計が「ブッホー。」と鳴きながら正午を報せた。ちょうどテーブルに置いていた携帯も震えたので画面を見ると小林からだった。


図書館で勉強すんぞー。
14時に噴水前。


そう通知があった。僕は「御意。」と返信してから母にそのことを告げると、

「受験生も大変だねえ。いってらー。」

と、軽めな返事をしながら目玉焼きに醤油を垂らした。半熟の黄身を破らないように先に白身から食べる母の癖を見ながら、ブラックコーヒーを飲み干して席を立ち部屋に行くと筆記用具やノートを鞄へ詰め込んで、少しゆっくりしながら身支度をはじめたら時計を見ると一時半になっていたので慌てて家を飛び出した。二時に噴水前へ行くと小林が先に到着していた。メガネを触りながら何かを読んでいるから、僕は小林の背後に回って膝カックンをした。

「な!…てめえ、やりやがったな!」

小林は宝を奪われた山賊みたいな叫び声を出したので僕が笑うと、小林はチョップをしてくるから互いに戯れつき、一通り終わると図書館へと向かった。その間もくだらない話をしていたら小林が、

「あれ!Bクラスの菊池!」

と、僕にだけ聞こえるような小声で言った。それは学年で一番可愛いと言われている菊池陽毬(ひまり)だった。菊池はサラサラの長い髪を風に揺らしてゆっくり歩いていく。僕は小林に、

「そんなにかわいいか?」

と、言うと小林は鼻息荒くなり、また山賊口調で、

「貴様は何を言っている!超絶にかわいいだろうが!」

と、僕の脇腹にチョップを喰らわせた。僕が「イテッ。」と言ったら菊池がこちらの存在に気付いた様子で近付いてきた。

「あれ、あなたたちも図書館に行くの?」

と、声をかけてきたので僕は簡単に返事をしたけれど、小林は先程の勢いとは一変して緊張からか大人しくなった。菊池と僕と小林で並んで図書館に行く途中も小林は黙ったままで、僕と菊池だけが会話をした。

「あ、私、みちこたちと待ち合わせしてるから、じゃあまたね。」

そう言って図書館の入り口へ走って行った。横を見ると小林は小さく手を振るだけで精一杯の様子で、僕はそんな隙だらけの小林の脇腹にチョップした。図書館では静かに勉強しながら休憩で小説を読んだりしているうちに外は夜の帳が下りていた。大きな窓に反射する自分をボーっと見ていたら背後に菊池たちが立っていたので、「ヒィー!」と、小さな悲鳴をあげてしまった。菊池は笑いを堪えながら、

「じゃあ私たち先に帰るから。また学校で。」

そう言って帰って行った。小林を見るとまた上品に手を振っていた。それから一時間くらいして僕たちも帰ることになり噴水前で小林と別れた。僕はポケットに手を突っ込んでテクテクと歩きながら、満月を見上げる。今夜の月は昨夜の冬と一緒に見た青味が差した色ではなく、昼に母が食べていた目玉焼きの黄身のような色に変化していた。それもそれで味わいがある月に見惚れながら歩いていたら、冬が塀からヒョイと現れた。

「あ!冬じゃん!」

僕は冬に声をかけると、冬は「ニャー。」と鳴いて塀から下りて僕の足に戯れついた。しゃがんで冬を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らせながら甘えてくる。そして僕はゆっくりと立ち上がり一緒に家に帰り着いて、餌を与えた後に冬と僕はまた月を見上げた。すると、台所の窓が開いて母の声が聞こえた。

「ご飯できたよー。」

その声を合図に冬をひと撫でして、

「冬!また、あした!」

そう言うと冬は塀を登って「ニャー。」と一声鳴いてから、月が作る明るい夜を泳いでいく背中はどこか儚げに見えた。

それから数日後に授業をしていたら教頭先生が「池端!」と、僕を呼び出した。みんなの視線を感じながらそちらに向かう途中に、「何やったんだよ。」と、言いながら小林たちが笑っている。僕も「知らねーよ。」と、言って担任の先生と廊下に出ると、教頭先生は神妙そうに、

「さっき病院から連絡があって、お母さんが倒れたようだ。すぐに荷物を準備して行きなさい。」

僕は教頭先生に対して失礼にも「は?」という言葉しか出てこなかった。

母が倒れた。

あの元コギャルで、いつも底抜けに明るくて、頑張り屋で、言葉遣いが荒い母が倒れた。そうしたら考えるよりも先に、からだが動いて自分の席へ戻り荷物を持った。小林たちは僕に冗談を言っていたけれど、僕の強張った表情を見たのだろう、ただ事では無い気配に静かになる。僕は誰に話すでもなく廊下へ出ると、走って病院へ向かった。




後編へ続く。








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