見出し画像

シンガポール−ボストン 雑記帳(1)

縁あって、11月20日からボストンへと拠点を移している。
せっかくのサバティカルなので、シンガポールだけではなく、他の都市の学術状況を観察してみたいと思って、ハーバード大学ライシャワー日本研究所に無理をいってお願いを聞き入れてもらった格好だ。
とはいえ、日本で用事や、シンガポールでのやり残しもあって、ぐるぐる行ったり来たりを余儀なくされるという次第ではあるのだが。
いずれにせよ、その移動にまつわるてんやわんやもあって、すっかりこのnoteへのアップも怠ってしまうということになってしまっていた。
(エリック・クーについてはまた改めて記しておきたい。)

地球儀ではまるで逆側の位置にあるので、昼夜がまるで反対だ。加えて、シンガポールは夏のよう気候、ボストンは冬装束なので、移動に伴う身体の負荷はなかなかのもので、それなりの予測はしていたのだが、ぐったり感は致し方ないところだった。
それでも、居所が変わると、なぜか周囲からの刺激が先鋭化するのか、日頃考えていることが一気に刷新されていくので、こんなにありがたい話はない。不思議なものだ。

11月後半は日本でも話題だった円安真っ盛りということもあったが、おそらくはそうした面での要因を越えてアメリカのインフレはすさまじい。スーパーでも、サンドイッチ1200円、缶ジュース600円、ポテトチップス900円といった具合だ。体感的には、シンガポールが日本の二倍、そのシンガポールの二倍近い。
現地の知人に聞くと、いや、大学教員でもこの物価高は相当厳しいと漏らしていた。

じっさい、ボストンなのにホームレスが多い。筆者は、1990年代半ば、ニューヨーク遊学中、何度かボストンを訪ねているが、ミドルクラスの大学街という記憶が強い。
ひとびとの暮らし向きの悪さを嫌が上にも印象づける。地下鉄にいたっては、殺伐とした雰囲気で、『ジョーカー』(T・フィリップス)を彷彿とさせた。
改札、階段、エスカレーター、ホーム、みんな煤汚れていて、ホームのベンチでは何やら独り言を叫んでいる人と遭遇することが少なくない。車両のなかも乗客はまばらで、みんな押し黙っていて、俯き加減だ。シンガポールの活気あふれる地下鉄(MRT)が日々の光景になっていたので、おどろきはなおさらだった。

さらにシンガポールと比べていえば、いわゆる食堂のようなところも、客の入りがほとんどないような店舗が多い。衣料店などにも店を閉じているところが少なくなく、通りが寂しい。ハーバード・スクエアからさらに一駅、二駅のあたりでそうなのだ。
知人に、気軽で賑やかなカフェやらレストランやらスーパーやらが立ち並ぶに連れていってもらって、こういうところもあるのだなと少しほっとしたのではあるが。

スーパーといえば、筆者が1990年代にニューヨークで遊学していた頃を思えば、ずいぶん、食べ物の文化が変わったような印象も強い。早い話、オーガニックで野菜中心の食生活がけっこう定着しているのだ。「ホールフード(Whole Hood)」という名前のスーパーがあちこちにある。そういう店はやはり価格がさらに高くなっていて、消費者の嗜好への対応と、消費者の懐具合がねじれてしまっているのではないかとさえ考えたほどだ。
とはいえ、こんなこともあった。
セルフレジで筆者がクレジットカードでの支払い操作のインターフェイスがわからなかったので、店員に助けを求めたところ、素早く処置をしてくれたのだが、「あなたはでも、すでにちゃんと払っていたのではないですか」とも尋ねてきた。「いや、どうでしょう、わかりません」という応えると、マシン付近のレシートをあれやこれや調べてくれて、「あら、やっぱりそうだ。2回払ってしまっている」といい、近くのさらに別の店員を呼びつけて、事情を説明し「この人を、カスタマーサービスに連れて行ってください」といってくれた。その店員も優しい笑顔で案内してくれて、カスタマーサービスのデスクにいるさらに別の店員もにこやかでパパッと払い戻しの処理をすすめてくれた。10年以上暮らしたニューヨークではそんな経験は一度もなかった。
ちなみに、最初の店員はアフリカ系、次の店員はヒスパニック系、そして最後の店員は白人だった。
大袈裟にいうと、物価高をはじめとする社会のぐらつき感が、ギスギスした人間関係になってしまわないように、人々ができる範囲で助け合っているということなのかもしれない。アメリカ映画で時折見かけるコミュニティの親密さに近いなにかなのかもしれない。

食文化に戻ると、マクドナルドの店舗は驚くほど目にしない。ハンバーガーは食べないのだろうか。代わりにというのも変だが、そしてボストン発祥ということでもあるのだろうが、ダンキンドーナツは、視界のなかに同時に二店舗があるということさえ稀ではない。ちなみに、ドーナッツひとつとコーヒーいっぱいで1000円近くなる。

ともかくも、東南アジアの上昇気運そして街の活気に半年さらされていたから、ボストンしか見ていないもののこの国は大丈夫なのかという心配が強くなった。友人たちも、かなり厳しい状況だと漏らし、来年の大統領選でのトランプの巻き返しは確実だろうという。もう根本から解体しないとダメかもしれないとひとびとが多いからだという。
テレビをつけると、ニュース番組では、トランプが当選したら大変なことになるという心配や懸念の声を滔々と語る識者やコメンテーターの番組が多いのがじっさいだ。民主主義が終わる、つまり、トランプの好き嫌いだけになってしまうなどといったフレーズが飛び交うのである。

日本で別の仕事もあったので、今回(最初)の滞在は短くなったのだが、いくつかの公開講演を聴きに出かけたり、大学院のゼミにも顔を出してみた。
正直、筆者がここまで聞いたかぎりでは、映画、映像、メディア関連、とりわけ日本の映像文化の研究ということになるが、筆者の所属先も含めて日本の大学もまったく負けていないのではないか。迂闊なことはいえないが。『スカイクロラ』(押井守)は、すでにT・ラマールがいうアニメティズムは織り込み済みで、そうした、アニメーションスタンドのセル移動による動きの効果を紋切り型として批判的に扱っているのではないかという発言などがあって、興味を惹かれたが、他方でこれくらいだったら、日本の大学院などでも出てくるよなとか思ってしまったわけだ。
それでも、全体としては、アメリカ合衆国は、アカデミズム自体が、なかなか迷走しているのではないかと感じたのだ。知人での藤幡正樹氏と話す機会があったのだが、彼も数年前だが、LAに滞在していた際、似た印象をもったようだ。

とはいえ、とはいえ、正確を期していえば、今回の滞在においては、こういう観測となる。
偶然なのか時代がそういう風向きなのかわからないないが、日本文化に関する大学院の授業でデスカッションを圧倒的のリードしていたのは、シンガポールからの留学生(NUS)だったのだ。
授業のあと少し話をしたら、彼のNUSでの指導教員は、この9月にシンガポールでの筆者の受け入れ教員から紹介された北米出身の研究者で、しかも、筆者の本務校を含めて日本の大学での研究活動も多い。これまた奇遇だった。
学術分野の交流も急速に進んでいる、というかグローバルな研究者共同体は加速度的に小さくなってきているというわけだが、そのなかで、太平洋側のアジア(東アジア、東南アジア)のアカデミズムの進化が目覚ましいということなのかもしれない。

ふと、英誌『エコノミスト』を本屋で見かけたのでパラパラとめくっていると、東南アジアにおける日本のプレゼンスについての記事があった。現在の東南アジアの発展を考える際には、アメリカと中国という二大強国の綱引きから捉えるのは必ずしも有効ではなく、ここ10年の投資スケールからも、また東南アジアのビジネスマンや政府関係者へのアンケートかららも、日本のプレゼンスを抜きにしては語れないと述べていた。
こういったポリティカルエコノミーがどのように文化状況やアカデミズムに影響を与えているかについて下手な推測はできないものの、流動する地政学は、もしかすると国境を越えてサーキュレートする文化状況にも連動しているかもしれない。そういったことも、人文学研究でも視野に収めておくべきことだろうと改めて確信した。
まあ、己の領域、しかも狭い意味での研究対象の領域だけを睨んでいては、そもそも人文学(humanities=人間であるとは如何なることかという問題群)といえるのかどうかと筆者は思ったりするからである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?