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2000年に社会に出た私はスタートから負けていた

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超氷河期に2流大学を卒業した私が、潰れながら、途方にくれながら「社会って、仕事ってなに」をもそもそと模索していった過程をまとめています。自分に聞いた「仕事!」論。
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#パワハラ

10.私なにもできませんのでそこのところ

10.私なにもできませんのでそこのところ

その某電鉄系広告代理店に入社したのは、30歳の8月2日のことでした。ひたすらにコピーを愛し、広告を作ることが夢「だった」頃があった私には、大好きなコピーがいくつかありました。ひとつは、エーザイ、チョコラBBの「今日、私は、街で泣いている人を見ました。」というコピーの神様・仲畑貴志さんのコピー。私はこの広告でクロスメディアに初めて出会いました。クロスメディアとは、複数のメディア(テレビやラジオ、ポス

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11.谷山雅計さんの言葉をあらためて考えてみる

11.谷山雅計さんの言葉をあらためて考えてみる

毎日、会社を辞めることを考えていました。CDはなんでもできる人なのに、私はコピーしか書けません。でも、コピーを書く仕事はほとんどありません。コピーなんて書けて当たり前なんだ、自分はその上の仕事をやっているんだ、できないことをなんとかしなくては、といつも焦っていました。そしてSさんを見ると、いつも暗い気持ちになりました。私の仕事は広告制作ディレクションでもなんでもなく、Sさんを怒らせないことでした。

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12. 狂人の下にも5年(いると自分を取り戻すのに5年かかります)

12. 狂人の下にも5年(いると自分を取り戻すのに5年かかります)

私は広告におけるCDというものをだいぶ勘違いしていたところがあります。オリエンを聞いた瞬間からゴールが見えていて、そのゴールを目指して手を動かせる人たちを「使う」みたいな感じです。そういう方ももちろんいらっしゃると思いますが、そうでない良いCDもたくさんいます。今ならそう断言できます。しかし当時はそんなスーパーCDみたいなことができないとダメだし、自分には無理だし、そんな自分には価値がないように感

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13.上のスタッフは文字で知らせてくる(私の場合)

13.上のスタッフは文字で知らせてくる(私の場合)

「俺と組まないならもう大きい仕事はできない」
Sさんにそう言われたときに私がそれほど動揺しなかったのは、単純に、大きい仕事は人が増えて調整ばかりさせられるからやりたくないということと、Sさんが私を干せる権限を持っていないだろうと思ったからです。会社にとってあくまでSさんは「うまく利用すべき人」で、人事などにおける影響はほぼないだろうと、まわりの方からの発言から考えられました。はたして、Sさんと離れ

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18.仕事をする母はたくさんいる。好きな仕事をする母は?

18.仕事をする母はたくさんいる。好きな仕事をする母は?

新しい職場であるデザイン事務所には、自分の顔を見れば不機嫌そうに怒鳴りつける人は、もういません。苦手なことをやらなくて良いから10年振りに「自分の仕事の質で評価してもらえる」実感を味わえました。得意な人が、得意なことをやる気持ち良さ、ストレスのなさ。(その件はデザイナーに代わります!と電話で言えることの喜びったら)気が強い人の意見によく分からないまま同意する必要もありません。大きなコンペを受注した

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