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12. 狂人の下にも5年(いると自分を取り戻すのに5年かかります)

私は広告におけるCDというものをだいぶ勘違いしていたところがあります。オリエンを聞いた瞬間からゴールが見えていて、そのゴールを目指して手を動かせる人たちを「使う」みたいな感じです。そういう方ももちろんいらっしゃると思いますが、そうでない良いCDもたくさんいます。今ならそう断言できます。しかし当時はそんなスーパーCDみたいなことができないとダメだし、自分には無理だし、そんな自分には価値がないように感じていました。いつも自信がなく、なんだかぼうっとしていました。自分の発言は常にSさんの怒りの元になるような気がして、しゃべることをなるべくやめるようにしていました。揚げ足をとられることも、曲解されることも、半年で「もう疲れた」くらいの数ありました。Sさんは業務の上で何かイレギュラーなことがあると「責任とれんの」と恫喝してきます。(あえて恫喝と書いたのは、それをきちんと問うべきときもあるからです)私は、誰のミスもすべて自分のせいだと思うようになりました。少し観察すれば分かったのです。制作をほぼすべて外注し、大勢のメンバーで挑むプロジェクトに「誰かひとりのせい」などありえないことを。少なくとも、「誰かのせい」にすること自体、チームとしてありえないことを。Sさんがたとえじぶんに落ち度があっても人のせいにして乗り切っていることを。何より、Sさんは私の上司であり、責任をとるのは彼の仕事だということを。でも、常にパニックだった私は、そういうことを落ち着いて考えることができませんでした。というか、そうさせないようにするのがSさんのやり方でした。

少し話がずれますが、私が「心が参っている」と自分で感じるバロメーターは、街にあります。私は、人が考えていることが行動や表情に出ているのを見るのがとても好きで、いつも笑ってしまいます。家族には「そういうの失礼だよ!」と注意されるのですが、人ってかわいいなと思って幸せな気持ちになるのです。たとえば、「迷う!」という顔で中華料理屋の写真を眺めるサラリーマンの男性。出勤時にベビーカーを走りながら押すお父さんと、まるで自分が運転してるかのように手すりを握り生き生きとした表情で運ばれるチビ子。ランチの時間帯、体の大きなヤマト運輸のお兄さんが、キッチンカーで買った特大盛りのタコライスを持ってがしがし歩くのをぽうっと見るOL。こいういうことを感じられなくなり、亡霊の街を歩いているように感じるとき(亡霊みたいなのはこっちなのですが)私は参っています。Sさんの下についていた日々、私はどんどん亡霊になっていきました。でもわずかに希望を持っていたのです。「これだけみんなが嫌がっている人なのだから、いつかはいなくなるだろう」と。しかしそんな日はついぞ(ついぞって初めて使いました)来ませんでした。

ある出来事をきっかけに私は「Sさんから離れよう」と決意しました。それまで私は、暴言を吐かれながらも少しSさんをかわいそうに思っているところがありました。社内で言われている悪口の数々よりうわべだけの言葉で褒められているのを見ているときに、それを強く感じました。でももう、限界でした。この人は、私が大切にしていくべき人じゃない。だから「不器用なんだ」なんて思わなくていいんだ。私は、同僚に「女なのにこんなに怒鳴られてる人初めてみた」なんてもう言われたくない。「ふたりは絶対一線超えてると思ってた。じゃなきゃ人にあんなひどいこと言えない」なんて言われたくない。

私は、Sさんと組んで仕事をするのを辞めたいという旨を本人に直接伝えることにしました。他の社員から言ってもらうことも考えたのですが、逆恨みの可能性などを考えて頼めませんでした。何をするか分からないような怖さが、彼にはありました。部の飲み会のとき、酔っ払って隣の席の男性がSさんにぶつかったとき、Sさんはライターを出してその人に火をつけようとしました。またあるとき、道を歩いていて自転車がコツ、とSさんの肘にぶつかったとき、Sさんはしゃがみこんで痛い痛いと騒ぎ、名刺を出せと相手を脅しました。そしてそのあと「すげえびびってたな〜」と笑っていました。そんなSさんですが、私は5年も毎日部下でいたのだから、きちんと話せば分かってくれるのではないか、とどこかで思っていました。万が一話がこじれたら出そうと思い、胃と子宮にできたポリープの診断書も用意しました。(これはSさんというより、当時すったもんだして絶縁に至った男性とのトラブルが原因でした。今考えても意味不明な怒鳴られ方をしましたがまたそれは別の話。)

業務についてご相談が、とSさんを呼び出して切り出しました。もう、一緒の仕事はきついです。という旨を話すとSさんは驚くほどすぐ「分かった」と言いました。診断書を出すこともありませんでした。「とりあえず、コンペだと自分は一生懸命になってしまって辛くあたることもあったかもしれないので、通常の業務だけで組もう」と言われました。さらに「自分と組むのを辞めたら、もう大きい仕事できないけど、いいの?」とも言われました。これは脅しでしたが、もうなんでも構わない、やりたい仕事などもうないから、と私は思いました。


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