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地上波の番組について

実際のところ、かなりこの件については「ストレス」というか、最早「視聴するほどストレスが加速度的に増加する」日々だ。

NEWSは、何も伝えてない。しかも、アナウンサーの雑談など要らない。そもそもアナウンス技術というか正確な「日本語」すらまともに話せない。こと、偏ったナショナリズム的な報道番組の底の浅い事、グローバリズムの中で,

「日本が」
「日本が」
「日本が」

と、この島が国の体を成してもいないにも関わらず、その現状をごく当たり前のように「これが正しい」という姿勢の報道の在り方。まだ民放なら経済界のシモベだろうから、百歩譲るとしても公共放送ならぬ「大本営報道」が、基礎技術すら欠落し相当情報を割愛したうえ都合のよい「コンテンツ」ばかり採用し報道している事態を目の当たりにする都度、僕は席を立って部屋に退避する。名取要之助の時代に戻っているかのような、想像すらするのだ。

唯一まっとうに見るのは、「天気予報」くらいだ。それも、予報のレベルに達していない。

さて、一方で時間があれば、国内でも海外でも構わず最近は映画をできるだけ見るようになった。
端的に云えば、当たりはずれはあるけれども、地上波の報道番組のような御用学者を呼んで、適当な世論を作り上げて、政治のシモベになっている、現実が、あるはずのものを歪めて、さも正しい報道をしている。という態度が、まった入ってこないのだ。

入ってこないというより、「気分がかなり悪くなる」と云った方が正確だろう。こんな地上波に毎月支払いをするのは何の罰ゲームだろうか???

さて、対策として、地上波の番組を見る事をかなり減らして、情報もネットニュースのインデックスレベルで十分だと確認できたこのところは、豊かさを提示する「映画」なり「活字」なりを優先的に取り入れるようになった。
もっともこの態度の変化を経て、自分の価値観を再確認し、その思想の体幹をしっかりと保持する事がやり易くなった。もはや、地上波のTVは僕にとって終わっているコンテンツだ。無駄にストレスを抱えさせられるのだ。それが狙いなのかもしれないけれどね。

地上波の制作にも、色々な事情があるのだろうことは当然だろうけれど、ここまで学芸会レベルだとまっとうに見ている人々は当然のように、離れていくだろう。その遠因は政治と同じだ。もっと酷いかもしれない。

政財界のコントロール下にメディアは位置していると「捉え方の前提を変えれば」何もストレスを感じる事はない。
あー、またその手のニュースを流しているな。と、割り切ってしまうのだ。他人は変えられないが自分は変えられる。
しかし、自分の価値観の軸を委ねてはならないと、僕は地上波のテレビを見るたびに感じている。

【全く別件だが・・・】
最近、亀山モデルの32型の液晶テレビが破損した。不要かとも思ったがシャープのふた回りほど大きなパネルのテレビを購入した。このパネルの色表現は「シアン」と「マゼンダ」がかぶさる事が多く、写真をやっている僕のようなひとからすれば、なぜ?その色のつぶしあいで濁ったカラー映像を平然と電波に乗せるのか?と疑問が絶えない。まず、肌色が見るに堪えない。ただ、ネットの番組はPC同様に下手な色にならないのだ。

亀山モデルには、もしや地上波で流れてくる映像のカラーマネジメント用の半導体でも入っていたのか???と、その差に歴然としている。余談を含めて、情報化社会のストレスについて如何にずる賢く対応するか?思っている事を書きなぐっておいた。

※冒頭の写真は、直接本文と関係はしません。ご想像におまかせいたします。

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