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「建築のストーリーテラー、 イワン・バーンの撮る写真の世界。」について

「建築のストーリーテラー、 イワン・バーンの撮る写真の世界。」

これは興味深い。(※冒頭の東京の景観写真は自前;noteの仕様で天地をカットしています;注)

【冒頭のみ引用】
イワン・バーンという名前を知らずとも、建築好きならば彼の撮った写真は必ずや見たことがあるはずだ。なぜならザハ・ハディド、SANAA、ヘザウィック・スタジオ等々、当代一流の建築家たちが彼に作品の撮影を依頼し、雑誌や作品集などで広く使用されているからだ。しかし、バーンは決して自身を“建築写真家”とは呼ばない。そのわけは現在開催中の『Iwan Baan: Moments in Architecture』を見るとわかってくる。

彼が建築に関連する写真を撮るようになったのは、2004年、建築関係のイラストレーターの友人を介して、当時撮っていた実験的写真をレム・コールハースに見てもらう機会を得たことがきっかけだった。建築の知識はほとんどなかったバーンに、コールハースは竣工したばかりの作品の写真撮影をいきなり依頼し、それが北京で着工を間近に控えていた〈CCTV本部ビル〉の建築行程を撮る仕事につながった。幾度となく北京を訪れてバーンが撮った写真には、もちろん建設中の工事現場が写っているのだが、そこには現場で暮らしながら工事に携わる人々の営みも写し出されていた。食事をし、休憩時間にゲームをし、そこらで昼寝をし、洗濯物を干す……。
【引用以上】

「URL」
https://casabrutus.com/categories/architecture/396473

そして、私の写真群(以前まで”GROUND RESUME”と名付けていたシリーズ)から見たシンパシーと「観たい」欲求

「日本の東京23区を「曇りの気候の時のみ」歩き回りながら、立ち止まった地点でさっと本能的な構図で写真を撮影する」僕のスタイルで撮影された「景観写真」(LandScape)には多くの「建築」が自然と含まれている。

そこには、その土地の「成り立ち」と、日本の戦後を中心とした「経済活動」の特異性が多く写り込む。

そのような戦後を中心とした「短期的なサイクル」で、WW2後の焼け野原から脱却して「経済的な豊かさ」を目標に一直線になりふり構わず、まさに「一億総サラリーマン社会」を形成した日本の象徴的な都市が「東京」だ。

何よりも「経済活動」を最優先にして「驚異的に短期間」で目標となる経済的な豊かさを実現したと云って過言ではないと思われる。それは、東京23区の西側の武蔵野台地を地盤に上野の西郷さんまでの多くの「高低差を有する地域」と、東側の隅田川以東の荒川や江戸川といった利根川水系の支流が東京湾にそそぐ「平地中心」の地域で少しばかり色合いは異なるが、共通の要素を見出す事ができる。

パンフォーカスで、大判プリント(主にB0程度、1500mm×1000mm)で解像度を保った写真群に見えるものには、時代毎の建築用の素材が写り込んでいるし、その時間軸の「新旧のグラデーション」が写り込むのだ。

「木材」「トタン」「モルタル」「瓦」「摺りガラス」「窓枠」「コンクリート」「鉄」「非鉄金属(アルミなど)」「タイル(焼き物)」etc...

ぱっと見渡しただけで、どの時代にその部分が形成されたかが見えてくるのだ。しかも、場合によっては異なった時代性の素材を間断なく「つなぎ合わせた建築」も大変に多い。そしてその背景に時代を50年も進めてしまったかのような「現代建築素材」で継ぎはぎと真逆に「コピーアンドペースト」で「統合的にデザインされた建築」がひとコマの写真に写り込み「東京」という云わゆる日本の大都市の代表的な文脈が読み取れる。

そして「イワン・バーン」の写真の一部をWebページで見てみると、被写体へのその態度がいかばかりかの「シンパシー」をもって、私に「見てみない?どう?」と挑発的に語ってくるような気配がする。それは「東京」という「都市構造」と、世界の「都市建築の構造」を参照したいという気持ちにさせるのだ。「都市構造」の主要な要素が「建築様式」にある事は間違いないのだから。

「見たい。しかし、スイス・ドイツまでは行けん。」

「さて、どうしたものか?」と、思った瞬間にこのサイト全体へメンバー登録をして、ただ今の気持ちを日記的に書いてみたところだ。(今、ここ;2024/02/22 17:50)

そして、数分後に思い出したのは「昨日」お茶した写真評論家の方が云っていた「写真のアーカイブ性」について、連想したところ。終わらなくなりそうなので、今回はここまで・・・

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