弛すぎた捜索 ②
日曜日の朝。
次女が駅に傘を忘れてきてから、すでに3日目となる。
「72時間の壁」というのをご存じだろうか。
大規模災害などでは、一般的に被災後3日(72時間)を過ぎると著しく生存率が低下するということを。
なんとかそれまでに救出しなければ・・・
いや、 …傘やった。
被災したわけでも、遭難したわけでもなく置き忘れられただけだ。
それにしてもいい加減見つけてやらないと、もう2度と帰っては来ない気がするではないか。
6時に起きて、誘われるがままに次女のダイエットのランニングに付き合わされて、その際に、とにかく今日中に傘の身柄を確保しなければ危ういという事を忠告し、作戦を練った。
次女は家へ戻るなり再びチャットを試みていたが繋がらないようで、受付開始時間を待って電話をかけた。
受話器の向こう側の音声が聞こえてくる。
「このままお待ちいただくか、おかけ直しください」
やはり手強い。
いったいどれほど待てば良いのだろう?
そんなに忘れ物は多いのか?
しかし、もう待つしかないだろう。
実はこの件に関しては、我が家の最高判事である「妻」の関知しないところで進行していた。
金曜日の夕食時にPTA の用事で出かけていた「妻」はこの一件を未だに何も知らないはずだった。
今となっては、次女が恐れているのは傘がなくなるという事よりも、そのことが発覚して「妻」に叱責されることだったのではないだろうか。
それは私も同じで、傘がなくなるという事よりも、次女からその話を聞いたときに、迅速で適切な対応を取らなかったことを、「妻」から責められるのではないかという恐れが、私の心の奥底の方に、どんよりと溜まってきていることを感じていた。
その不安な感情が、連絡のつかない「落とし物センター」に対してのイライラとなっていた。
私は新聞を眺めながら、次女の電話のやり取りの様子をさりげなくうかがっていると、やっと電話が担当者に繋がったらしい。
この事件が解決へと向かう兆しが見えてきたようだった。
次女は名前や住所など、お決まりの情報を伝え始めた。
私は相変わらず新聞を眺めながら、盗聴器なしでも普通に聴こえてくる会話に耳を凝らした。
「はい… 透明で、花柄の… 」
「電車の時刻ですか? … えぇっと… 」
「 …折りたたみじゃなくて… 」
「 … 」
「無い・・・ ですか・・・」
次女の声のトーンが下がった。
万事休す。
「妻」からの、容赦の無いダメ出しをされているという想像が、頭の中を渦巻いて憂鬱になった。
「駅への電話とか、さっさと私がしてやれば良いことはわかっていたのだが、どうしたら良いのか自分で考えて、自分でやらせることも大事かと思ったんだ」
頭の中では、もうAI チャットのように自動的に言い訳を生成し始めている。
次女も受話器を手にしたままうつむいた。
「!」
「いや、ちょっと待て!」
眠りの小五郎が乗り移ったか、いや、私は起きていたがひらめいた!
私は次女の電話をさえぎり言った。
「失くしたのは電車の中じゃなくて駅のベンチやろ⁉️ ちゃんとそう言ったか?」
「… あっ!そうか!」
慌てて受話器を取り直し、
「あの、傘、忘れたの、電車の中じゃなくて、駅なんですけど!」
忘れ物センターにはあちこちの駅からの忘れ物が集約されている。
当然すぐに分かりやすいように細かく様々な分類がされている。
いつ、どこで、といった基本的な情報が違っていると、違う分類のところへ行ってしまい探しだすのはかなり困難となるだろう。
間違った情報なら無い方がマシだ。
緊張して、聞かれるがままに質問に答えていた次女は、担当者が(忘れ物をした)電車の事を尋ねたのに、(自分が乗った)電車の事を素直に答えていたのだった。
電話は、少しの間があったあと、すぐにそれらしいモノがあるという返事が返ってきた。
さすがだ。きちんと分類してあるのだろう。
細かな特徴も合致してほぼまちがいないということになった。
私は、さっきまでイライラの対象になっていた忘れ物センターに対して、もうすっかりそんなことは忘れ、尊敬と感謝の念しかない。
お陰で事件は迷宮入りになることも「妻」に何ら追及されることも無く、72時間以内に解決することができて、私の憂鬱はきれいさっぱり晴れたのだった。
ただ、その後、次女を車に乗せて忘れ物センターまで傘を引き取りに行くという、結局思った通りのめんどくさい話になった。
情報は、正確性が重要ですな。
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