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『向日葵畑の向こう側』④

【第五場】 大雨時行たいうときどきふる


午前中の補習が終わり、グラウンドに立ち寄る。早朝から練習していた陸上部はもう片付け始めていた。
エアコンの効いた教室とは違い、炎天下のグラウンドは灼熱地獄だ。先ほどまで平静だったのに早くも額か汗が滲み出している。

それでも陽向はグラウンドに引かれた白線を眺めていた。

陽向「もう一年か……」
学「あれ? 青井くん?」

いつの間にか、学がコース用のコーンを両手に、陽向の後ろに立っていた。陽向はハッとして平静を装った。

陽向「や、やぁ、練習終わったんだね」
学「いやー、もう暑くて暑くて。熱中症になりそうだからって。練習中止。だからこうして片付けてるのさ」
陽向「そっか。お疲れ! この時期暑いよね」
学「ほんと。今週に入ってまた暑くなってきてさ、もう夏バテだよ」
陽向「練習、大変そうだね」
学「まぁね。長距離に転向したばっかりだから。勝手が違うんだよね。ただ、腐ってた頃よりは断然いいよ」
陽向「そっか、そういうもんか」

陽向は何か引っかかるものを感じて目線を遠くに泳がせた。

学「あ、ごめん……」
陽向「あ、いや、そんなんじゃないんだ。気にしないで」
学「そっか。今はとにかくアイスブロックで一杯やりたいよ!」
陽向「いいね! 近くのコンビニでも行こうか」
学「行こう行こう。ちゃっちゃと片付け終わらせるからから先行ってて」
陽向「わかった」

校門を出たところでアスファルトがゆらゆらと煌めいていた。200m先のコンビニが蜃気楼のようにぼやけている。
大した距離ではないが、照り返しで蒸し焼きになりそうだ。

陽向「走れるならこんな距離なんてことないのにな」

逃げ切り型の陽向にとって、200mは100mと比べるとタイムは落ちるものの、県大会の予選までは行けた。
その時のタイムは22秒後半だったか。
今の脚ではそんな距離も走れない。最もこの炎天下で全力疾走など自殺行為か。とぼとぼと歩く姿は砂漠でさまよった遭難者のようだ。

コンビニにたどり着いた時には、もう汗だくだった。陽向は、すがるように自動ドアのボタンを押す。
自動ドアが開くと同時に、中から冷風が吹き出してきた。

陽向「ふぅ。ここは天国か」

改めて文明の利器に感謝する。陽向は『いっそ競技場をすっぽり覆うようなエアコンがあればいいのに』と思ったが、瞬時に、『どれだけ地球環境に悪いかわかったもんじゃない』環境に配慮して思い直した。

ふと雑誌売場に目をやると、陸上雑誌が売っているのが見える。見出しに「全日本中学校陸上競技選手権大会」の文字が踊っていた。

陽向「せっかくだしこれも買っていくか」

陽向はレジで買い物を済ませると、イートインスペースで学が来るのを待った。

学「おまたせー! いやー。ここは天国ですかね!」
陽向「だよね! はいこれ」

陽向は買っておいたアイスブロックとスポーツドリンクを手渡す。

学「いやー、青井くん、分かってるねぇ。あ、お金お金と、あれ?」
陽向「あ、いいよいいよ!」
学「いいの? 悪いね。今度返すよ」

学は手際よくアイスブロックの蓋を開けると、スポーツドリンクを注ぎ込んだ。
グレープフルーツ味の氷がシャカシャカと音を立てて沈んでいく。冷気と共に柑橘系の爽やかな香りが立ち上る。
学は、陽向のアイスコーヒーのカップに乾杯すると一気に口に放り込んだ。

学「いやー! この一杯のために練習してるんだよなぁ」
陽向「おっさんか!」

イートインスペースのカウンターで横に並んで飲んでいると、居酒屋にいる大人ってこんな感じなんだろうかと変な想像をしてしまう。
もっとも、こっちはアイスコーヒーとスポーツドリンクなのだが。

陽向「脚大丈夫なの?」
学「もう平気さ。あ、スプリントは無理だけどね」
陽向「そっか」
学「戻ってくるかい? 応援するよ」
陽向「この脚のご機嫌次第かな」

陽向は足首をさするとズキッとした痛みが走る。

学「まだ痛むの?」
陽向「そうだね。お医者さんはもう治ってるって言うんだけどね」
学「そっか。俺もそうだったけど、しばらくは頭が痛みを記憶してて、ずっと出してくるんだって」
陽向「頭が?」
学「そう。身体は何ともないのに、脳が勘違いしたままなんだって。俺の場合は……」
陽向「いいよいいよ。思い出さなくて」
学「あ、そう? まぁでも痛みがなくなるまでは結構かかったな。たぶんだけど、少しずつ動かした方がいいのは確かだよ」
陽向「それ、先生にも言われたな」
学「ちょっとずつでも復帰してみたら? できる範囲でさ。君くらいの実力者なら、うちはいつでも歓迎さ」
陽向「ははは、ありがとう。考えてみるよ」

陽向はコンビニで学と別れると、駅前にある図書館へ向かった。出された補習の宿題を一通り終わらせると、上空に入道雲が立ち込めているのが見えた。すぐにでも夕立が来そうだ。

陽向「まずい。早く帰らないと」

慌てて帰り支度をして図書館を出ると、男が立っていた。

中学生だろうか。短髪に切り上げられ、片耳にピアスをしている。だらしなく制服のシャツを外に出している風貌から、善良な相手ではないと分かった。
その表情は暗雲立ち込める夕闇で読み取ることができなかったが、陽向は直感的に不快感を感じた。

警戒しつつ、その中学生を避けて過ぎ去ろうとした時だった。
陽向は何かにつまずき、その場に転倒してしまった。

??「なっさけないな」

先程の中学生が脚を掛けてきたのだ。

陽向「な、何を……」

陽向はゆっくりと立ち上がり、中学生をにらみつける。

??「おっと。こわっ! 冗談です。冗談」
陽向「頭悪すぎて、冗談でもやっていいことと悪いことがあるって知らないんだな」
??「何だと!?」
陽向「君みたいなのに、つきまとわれる覚えなんかないんだけどな」
??「そっちになくてもこっちにはある」
陽向「誰なんだ。会ったことないだろ」
??「陽向先輩、陸上に戻らないんですか?」

まただ。一方的に自分のことを知っている。そんなに有名人だったかなどと驚いていると同時に街の明かりが一斉に点灯した。
光に映し出された中学生は銀髪だった。

??「深見憂心ふかみゆうしんって言います。今度100mで全中出るんで、憧れの陽向先輩にご挨拶しとこうかなって」
陽向「全中!?」

『全中』という言葉を聞いて胸がざわついた。スポーツマンとは思えない、こんな感じの悪い中学生が全中に出るなんて。
どうせ嘘に決まっている。動揺しながらも平静を装う。今の陽向にはこれが精一杯だった。

陽向「へ。へぇ。すごいね。まぁがんばって。じゃあ、これで」

立ち去ろうとすると、また憂心が脚を掛けてきた。陽向はバランスを崩したものの、脚を踏み込んで転倒は免れた。が、同時に足首から激痛が走り、表情が歪む。

憂心「へぇ。すごい。ちゃんと脚動くじゃないですか」
陽向「知っててやるのか。いい加減にしろ!」

陽向は思わず、憂心の胸ぐらをつかんだ。
雷とともに大粒の雨が降り始め、力を込めた拳に当たって弾ける。

憂心「今の踏み込みができるなら、まだ走れるんじゃないですかね?」

怒りが込み上げてきたが、相手は中学生である。それに激しい雷雨も来ている。
陽向は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。

陽向「お前には関係ないだろ!」

陽向はぐっと歯を食いしばると、襟をつかんでいた手を突き放した。

憂心「もう治ってるんでしょ? 何で走らないんです?」
陽向「まだ痛みがあるんだ。もうあの頃みたいに走れないだろ!」
憂心「どうですかね。そもそもその痛みも本当かどうか怪しいですけど。まぁいいや、そんな情けない陽向先輩に言っておきたいことがありまして」
陽向「な、何だよ」

憂心は乱れたシャツを整えると、陽向に向き直った。

憂心「陽菜先輩に近づくのやめてもらえます?」
陽向「え!?」

陽向はキリか何かで胸をえぐられたような気がした。陽菜を知っていて、しかも近づくな、なんて。
雷雨が激しさを増していく。

憂心「先輩みたいな腑抜けに陽菜先輩はふさわしくないんで」
陽向「ふさわしく、ない?」
憂心「自分でもそう思いません? 怪我して夢が潰えたってだけで引きこもり。怪我は治っているのに走り出せない。せめて陸上に復帰してから話しかけてもらいたいもんですね」
陽向「お前に俺の何がわかるんだ!」
憂心「わかりたくもありませんね。あんたみたいな負け犬の気持ちなんか!」
陽向「何だと!」

気がつくと思わず憂心を突き飛ばしていた。雨に打たれ、うずくまる憂心を見て、陽向は初めて自分の中にあるどす黒い感情を認識した。

憂心「いてて、ひどいっすね。自分のイライラを年下相手にぶつけるなんて。陽菜先輩が見たらなんて言いますかねぇ」

陽向「お、俺、何てことを……」

陽向は急に恐ろしくなり、その場を逃げるように立ち去った。
激しい雷雨で前もロクに見えない。家に着くまで何を考えたかも覚えていない。

雨に消える陽向を見て、憂心は力無く笑った。

憂心「何だよ。本当は走れるくせに……陽菜先輩は何であんな奴を」

憂心は、濡れたアスファルトを叩き、うなだれたまま陽向の去った方向を睨みつけていた。


浴室でシャワーを浴びながら、陽向はあの憂心という中学生の言葉を反芻していた。

陽向「クソ! あんな奴が全中だって? ふざけやがって! あんなヤツが、何で陽菜のこと知ってるんだ!」

部屋に戻った陽向は、昼間にコンビニで買った陸上雑誌を思い出した。

陽向「そうだ。全中に行くんだったら、あいつのことも載ってるはずだ」

濡れたカバンの中から、コンビニのビニールにくるまれた雑誌を取り出し、全中の特集を見る。

陽向「あった! こいつだ。深見憂心……湘華東中三年!?  こんなやつ後輩にいなかったはず……」

記憶を辿っても、中学での憂心の記憶はない。今年から転校でもしてきたのだろうか。

陽向「県大会決勝タイムは……」

『100m決勝 10秒95(+3.1)』と記載されている。

陽向「俺の最高記録と同じ……しかも追い風参考記録……って」

陽向はこの偶然の一致に悪寒が走るのを感じた。


【第六場】  涼風至すずかぜいたる


補習を終えた陽向は、駅前のファミレスに向かっていた。
陽菜と待ち合わせしているのだ。

同時に、その道すがら、憂心のことを考えていた。

陸上雑誌に記載された憂心の記録は、現役の時の自分の記録と全く同じだった。
しかも追い風の条件まで一致している。

陽向「単なる偶然なのか……」

そんなことを思っていると、一涼の風が吹いた。

陽向「陽菜!」
陽菜「あ! 陽向くん!」

陽向が陽菜に駆け寄ろうとした瞬間、誰かに後ろから右肩を掴まれた。

??「ちょっと邪魔なんですけど、どいてもらえます?」

陽向は驚いて後ろを振り返ると、憂心が立っていた。

憂心「あぁ、誰かと思ったら、腑抜けの陽向先輩ですか」
陽向「憂心! またお前か! 何でここに!」
憂心「俺たちこれからデートなんで邪魔しないでくれます?」
陽向「で、デート!?」
陽菜「憂心くん?」

次の瞬間、陽向は憂心に食って掛かっていた。

陽向「お前! いい加減にしろ!」
憂心「お。また暴力っすか」
陽向「陽菜とデートってどういうことだ! 陽菜は俺と待ち合わせしてたんだ」
憂心「はぁ、だからなんだってんです? こっちは陽菜先輩に近づくなって言ってるんですよ!」

憂心が足払いをかけると、陽向はその場に倒された。
真夏の太陽の光が白く輝いて、コンクリートの地面が肌に焼き付いてくる。
起き上がろうとしたが、身体に力が入らない。

陽向「あの時と同じ……」

灼けたタータンの匂いが思い出される。陽向は呆然としていた。
手をついた時に怪我をしたのか、掌に血が滲んでいる。

陽向「どうして……こんな」

しばらくして、涙がこめかみを伝ってコンクリートに落ちた。

憂心「は! 泣いてるとか。どこまでも情けないやつだな! 陽菜先輩、こんなやつのどこが……」
陽菜「いい加減にしなさい!」

陽菜がものすごい剣幕で怒っている。

陽菜「憂心くん、いい加減にして。陽向くんに何てことするの!」
憂心「陽菜、先輩……だ、だって」
陽向「ひ、陽菜……」

陽菜は倒れた陽向に駆け寄ると、ハンカチを取り出して、掌の血を拭う。

陽菜「陽向くん、大丈夫?」

陽菜は陽向を助け起こすと、憂心の方をにらみつける。

陽菜「憂心くん、あなたも大切な人だけど、こういうことするなんて大嫌い!」
憂心「陽菜……先輩……」

憂心はその場にへたり込むと、そのまま動けなくなった。

陽菜「陽向くん、行こう!」

陽菜に手を引かれる自分が何だか捨てられた子犬のようで一層情けなくなる。
それ以上に、崩れた憂心の姿が何故か自分と重なって見えた。

ファミレスは夏休みとあって、平日の昼間にもかかわらず、子どもたちの声が響き渡っていた。
店員に誘導され、陽向は土埃で汚れたシャツを気にしながらそそくさとシートに滑り込んだ。
陽菜もそれに続く。

陽菜「小さい子たちは元気があっていいね。さてと……」

陽菜はタブレットを操作して『目的のもの』を探している。

陽菜「あった、あった。これこれ。注文っと。陽向くんはいつもの、ね」

陽菜は注文を終えると、タブレットをテーブルの端のドックに差し込んだ。

陽向「陽菜……さっきはごめん」
陽菜「いいんだよ。まったくもう。どうしちゃったの? 憂心くんと何かあった?」
陽向「陽菜……あいつ……憂心のこと知ってるの?」
陽菜「あ、ええと……後輩、かな。昔はあんなにやさぐれてなかったんだけど」
陽向「昔ってことは、あいつとずっと一緒だったの?」

陽向にとって、本当は聞きたくないことだが、こんなモヤモヤした気持ちではいられないと思った。

陽菜「憂心くんかぁ……」

陽菜は少し考えた様子で答えない。
陽向は嫌な予感がして、耳をふさごうとしたが、ここまできたら聞かないわけにはいかない。

陽向「……やっぱり付き合ってるの?」
陽菜「え? 付き合ってる? 私が? 憂心くんと?」
陽向「違うの?」
陽菜「あー、そんなこと心配してたんだ! だからあんなムキになったのね」
陽向「え?」

陽菜が笑っている。陽向は何が何だかわからないといった様子で、陽菜の言葉を待つ。

陽菜「憂心くんはね……えーと何と言っていいのかな。近所の子だよ。小さい頃からの知り合い、かな?」
陽向「な、なんだぁ」

陽向は大いなる勘違いだったことに気づくと一気に全身の力が抜けた。

陽菜「ほんと、君たちは世話が焼けるねぇ。お姉さんが見てないとほんと危なっかしくて」

陽菜がケラケラと笑っている。

陽向「え? お姉さん?」
陽菜「うん。たぶん私のほうが年上だよ。少しだけだけどね。たぶん」
陽向「たぶんって何?」
陽菜「ま、まぁいいじゃない。細かいことは」

陽向が何だか狐につままれたような気になっていると、通路の方から声を掛けられた。

初老の女性「あら、貴方また会ったわねぇ」

ふと声の方を見ると、いつかのコーヒーショップで会ったお金持ちそうな女性だった。ニコニコと陽向を見ている。やはりその表情は菩薩のようだ。

陽向「あ、この前は席を譲ってもらってありがとうございました」
初老の女性「いいのよ。ほんとに。……あら、その子は?」
陽菜「……こ、こんにちは」

初老の女性は少し驚いた様子で陽菜を見つめる。しばらくの沈黙。
陽菜は初老の女性と何故か目を合わせないようにしてモジモジしている様子だった。

陽向「……何か、ありました?」

初老の女性は、真剣な眼差しでしばらく陽菜を見つめていたが、やがて先程と同じ穏やかな表情に変わる。

初老の女性「貴女……あぁ、そうなのね」
陽向「え?」
陽菜「あ、いえ、その……、ちょっとお手洗いに行ってくるねー」

陽菜はそう言うとそそくさと行ってしまった。初老の女性は、陽菜の方を見つめていたが、しばらくして陽向の方の顔に向き直った。

初老の女性「貴方、お名前は?」
陽向「陽向って言います」
初老の女性「陽向くんね。あの子、本当にあなたのことを想っているのね。あの子のこと、大事になさいね」
陽向「陽菜が……俺のことを?」

陽向はもう天にも舞い上がるような心地だった。陽菜が自分のことを想ってくれているなんて。

初老の女性「そう? 陽菜ちゃんっていうのね」

と言った瞬間、女性の顔が曇る。

初老の女性「でも、何というのか、本当にこういうのが運命のいたずらって言うのかしらね」
陽向「え?」
初老の女性「あ、私昔から霊感が強くて。色々と人の縁とか見えちゃうのよ。特にあなた達のように強い絆で結ばれているとね」
陽向「強い絆……俺と陽菜が……」

そうこうしていると、陽菜が戻ってきた。

初老の女性「あ、また余計なことを。ごめんなさいね、お節介で。若い人を見るとついつい。またどこかで、ね」

そう言うと、女性は自分の席に戻り、友人と思しき婦人たちとニコニコしながら会話を再開した。
去り際に陽菜に軽く会釈したように見えたが気のせいか。
陽菜は女性の方をチラチラと見ている。

陽向「知り合い?」
陽菜「(少し上の空で)え?」
陽向「あのおばあさんさ。知ってるのかなって」
陽菜「あ、あぁ。ううん、知らない人だよ」

陽菜が珍しく動揺している。何か良からぬものを見たような顔だ。

陽向「少し顔色悪いけど大丈夫?」
陽菜「え? そ、そう? 特に具合悪いとかないけど……」
陽向「何かあったらすぐに言ってね」
陽菜「優しいね……それでこそ陽向くんだよ」
陽向「え?」
陽菜「あ、ええと、いや、あのね! 陽向くんが他の人の心配ができるほど、元気になってくれて嬉しいってこと」
陽向「(小声で)……もう俺にとっては他人なんかじゃないさ」
陽菜「え? 何か言った?」
陽向「あ、いや、何でもない」

店員が注文していたものを持ってくる。曇った表情を見せていた陽菜だったが、テーブルに置かれた宇治金時を見て、すっかりいつもの笑顔を取り戻していた。

陽向「宇治金時なんて、渋い趣味してるなー」
陽菜「ふっふっふ。真の甘党が最後に行き着くところはこれなのだよ」
陽向「ほんとかなぁ」

幸せそうにかき氷を頬張る陽菜を見ると、こちらまで嬉しくなる。
陽菜にはそんな魅力があるのだ。そんな陽菜が自分のことを想っていると思うとニヤニヤが止まらない。

陽菜「にこにこしてるけど……あ、クリームついてる?」
陽向「あ、いやいやいや、そんなことないよ」

陽向は、思っていたことまで見透かされているように思えて、急に恥ずかしくなった。
陽菜はそんなことお構いなしに宇治金時に夢中だった。
ふと、陽菜の手が止まる。

陽菜「あ! そうだ! 今度の花火大会、絶対に来てね」
陽向「当たり前だよ。這ってでも行くさ!」
陽菜「そう。よかった!」

夕方になり、陽菜と分かれて帰途につく。

憂心と陽菜の関係もはっきりした。
それに、初老の女性の言ったことが頭に残って離れない。

陽向は、身も心も軽くなったように調子に乗って軽く走ってみた。
すると、やはり足首に痛みがくる。

陽向「まったく……お前は俺の機嫌に関係なく、いつでも不機嫌だな」

家に帰ると、父の晴樹が帰宅していた。

陽向「ただいま。父さん、帰ってたんだ」
春樹「陽向、何か嬉しそうだけど何かあったか?」
陽向「やめろよ……。恥ずかしいな……。まぁ何か、あったのかもね?」
春樹「ははん、なるほど。彼女でもできたか! そうか、そうなんだな!」
由利「え? そうなの? だったら紹介しなさいよ! 水臭い」

勝手に盛り上がる両親に陽向は恥ずかしさでたまらなくなる。
しかし、ちょっと自慢してみたい気も半分。

陽向「そ、そんなんじゃないよ。と、友達だよ」
春樹「照れちゃって。バレてるぞ。何て子だ。言ってみ?」
由利「お母さんも知りたいわ。何て子なの?」
陽向「・・・ひ、陽菜っていう子」

二人は「ひな?」と一瞬驚いた表情を見せる。

陽向「え? 知ってるの?」

二人は「いや……」と言いつつ、顔を見合わせている。
心なしか一瞬空気が張り詰めた気がしたが、気のせいか。
陽向が怪訝そうな顔で二人を見ると、春樹が慌てた様子で口を開いた。

春樹「そ、そうか! やっぱり女の子じゃないか。友達とか言って、この!」
由利「ひなちゃん……いいお名前ね!どこの子?」
陽向「そういえば、それはまだ教えてもらってないな」
春樹「学校違うのか」
陽向「たぶん東高だと思う。あの制服は」
春樹「お前もほんとなら東高の方が近いのになぁ。何でわざわざあっちの……」
由利「あなた!」

春樹は空気を読めずに思ったことを口にする癖がある。その度にこうして由利が釘を刺すのだ。

春樹「あ、す、すまん」
陽向「いいんだ。俺も普通に東高にすればよかったかな。あ、でも俺よりも少し歳上とか言ってた」
春樹「まさかの先輩か! 陽向も隅に置けんな」
陽向「ちょ、ちょっとやめてよ」

かつて冷え切っていたこの食卓も今ではすっかり元に戻っている。
陽向はこれも陽菜のおかげなのだと思うと胸が熱くなった。


【前】
③ 向日葵畑の向こう側 【 第三場 】 鷹乃学習 
            【 第四場 】 土潤溽暑


【次】
⑤ 向日葵畑の向こう側 【 第七場 】 寒蝉鳴 


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