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『向日葵畑の向こう側』⑤

【第七場】 寒蝉鳴ひぐらしなく


日が落ち始め、夕闇が迫るとひぐらしの鳴き声がしてきた。
陽向にとって蝉の声はすっかりトラウマとなったが、この音だけは癒やされる気がしていた。
同時に夏の終わりが訪れていることに一抹の寂しさも感じる。

由利「あんまり遅くなるんじゃないよ」
陽向「はいはい。子供じゃないんだから大丈夫だよ」

玄関で身支度を整えていると、奥から慌てて父の春樹が玄関まで駆け寄ってきた。

春樹「あれか、ひなちゃんと行くんだろ」
陽向「と、友達とだよ」
春樹「なぁんだ。つまらん」
陽向「つまらんって何だよ。あ、そうだ。聞きたかったことがあった」
由利「何?」
陽向「俺の陽向って名前さ、どういう意味でつけたの?」
春樹「それはあれだ。日なたの明るい道を歩んでほしいってことだ」
由利「太陽の光のように明るくね」

もっと深い意味でもあるのかと思ったら、想像通りの理由だった。
陽向はがっくりと肩を落とす。

陽向「何だ。ひねりがないなぁ」
春樹「なんだとー。いいだろ。こういうのはシンプルな方がいいんだよ」
陽向「なるほどね。じゃあ、行ってきます!」

大慌てで出ていく陽向を見て、春樹はピンときた。

春樹「ったく! やっぱりひなちゃんって子だな」
由利「ほんと、ひなちゃんって子に感謝ね。あの子があんなに元気になるなんて」
春樹「そうだな……ひな、ちゃんか。その、何だ、偶然だな」

春樹と由利の脳裏にある出来事が浮かぶ。一瞬顔を見合わせたが、お互いにそのことには触れないよう目を逸した。

由利「どんな子か会ってみたいわね」

陽向が花火大会の会場に着くと、既に多くの人で賑わっている。
約束の時間より早く着いたからか、陽菜の姿はない。
行き交う人混みを見ながら、陽向は花火大会の会場にいる自分を不思議に思っていた。

『ここ数年、こんなに人の多いところに来るなんて考えもしなかったな』
自然と笑みがこぼれる。お囃子の音と屋台の光が入交り、ますます現実感がなくなっていく。
陽向はここ数ヶ月のことを思い出していた。塞ぎ込んでいた自分を涙を流しながら全力で応援してくれる陽菜の存在。
陽向は自分の中で膨らむ想いと幸福感を噛み締めていた。

やがて雑踏の中にカランカランという音が交じる。おそらく陽向にしか聴こえていないその音は徐々に近づいてきた。
神社の階段から上がってきたのはやはり陽菜だった。藍地の浴衣。帯には大きな向日葵があしらわれている。
長い髪は後ろでまとめられており、普段の陽菜とは雰囲気がまるで違っていた。

陽菜「おまたせー! ごめん、待った?」
陽向「(上の空で)あ、え?」
陽菜「髪型が決まらなくてー」
陽向「だ、大丈夫だよ。待ってない待ってない。うん。全然」
陽菜「そっか。よかった。あ、変かな?」
陽向「え? い、いや、す、すごく似合ってます。はい」

陽向はもう恥ずかしくて陽菜を直視することができなくなっていた。
陽菜はその様子を怪訝そうに見ている。

陽菜「何その反応。まぁ似合ってるっていうならいいかー」
陽向「ほ、ほんとだよ。すごくに、似合ってるって」
陽菜「そう? よかった! さぁて、どこから行きますかね。射的? 金魚すくい? やっぱりかき氷も捨てがたいか」
陽向「陽菜がす、好きなのでいいよ」
陽菜「あれ? 緊張してるの?」
陽向「え、ええと、そんな、ことは、ないよ」
陽菜「まぁいいや、行こう行こう」

陽菜は陽向の手を取ると、ウキウキした様子で走り出した。

陽向「ちょちょちょっと、待ってよ!」

陽向は必死に怪我した脚をかばいつつ、ケンケンしながらついていく。色とりどりの屋台が並んでいた。りんご飴、焼きとうもろこし、綿菓子、かき氷。
陽菜はその中をまるで子供のようにはしゃいでいる。あっちへいってはこっち、こっち行ってはあっち。

陽向「まるで初めてお祭りに来たみたいに」

それは忙しない様子で、見た目の大人びた雰囲気とのギャップに陽向は可笑しくなってきた。
この前、憂心を前に啖呵を切っていた姿とは大違いである。

ふと、陽菜がかんざし屋の前で足を止める。

陽菜「あ! これ!」
陽向「ん?」
陽菜「このかんざし、かわいいなー」

見ると、向日葵の飾りの付いたかんざしを手に嬉しそうにしている。

陽向「本当に向日葵好きなんだね」
陽菜「うん! 大好き!」
陽向「おじさん、これください」
陽菜「え? いいの?」
陽向「はい、これ」
陽菜「ありがとう! 大事にするね!」

陽菜は満面の笑みを浮かべると、早速、かんざしを挿し手鏡で確認している。その表情は夕闇の空に抜けるように明るい。全力で夏を楽しみたいという情熱、それが陽向には眩しく、そして美しく見えた。
やがて花火が始まるアナウンスが流れると、急に人が動き出し、あっという間にめぼしい場所はとられてしまった。

陽向「しまった! あっという間に場所取られてる……これじゃあよく見えないなぁ」
陽菜「ボヤかないボヤかない。こっち来て」
陽向「え?」

陽向が人混みに押されて戸惑っていると、陽菜は陽向の手を取った。

陽向「ひ、陽菜!?」
陽菜「こっちこっち」

陽菜は陽向の手を引いたまま神社の境内の裏手に進んでいく。

陽向「ちょ、ちょっと。こっち入っていいの? もう林の中みたいだけど!」
陽菜「いいのいいの。誰も見てないって」
陽向「しかもちょっと登るし」
陽菜「がんばれがんばれー」

陽菜は笑顔でスイスイと駆け上っていく。陽向はそれに必死についていくのがやっとだった。

陽向「何でそんな元気なのよ……しかも下駄で何であんな……早いんだ」

軽い登山かと思うほどの高低差を二人で登った。やがて視界が開けてくる。
上がった先に小さなお堂とベンチがあった。二人はそこに腰を下ろして一息ついた。

陽向「あー。もう無理無理。何このプチ登山」
陽菜「だらしないなぁ。でも、ほら。見て。いいでしょ。特等席だよ」

海岸線に灯台の明かりが反射し、キラキラと輝いている。夕日は完全に落ちたが、遠くにはうっすら水平線も見える。
花火師たちが操作盤を確認し、最後の準備に入っている。
下界を見下ろすと、先程の神社の鳥居が小さくなっている。

陽向「最高の場所だね。人もいないし。でも、い、いいの?こんなところに入って」
陽菜「いいのいいの。今日くらい大目に見てくれるよ。あ、ほら始まったよ!」

ヒューという昇り曲が木霊し、巨大な菊が花開く。
同時にあちこちで歓声が上がる。
ドンッという雷鳴が胸を打ち、真正面に広がる閃光が二人を包んだ。

陽向「おー。こんなに近くに見えるなんて、感動だよ!」
陽菜「ね、この迫力! すごいでしょ」

続いて、牡丹や仕掛け花火、色とりどりの花火が打ち上がり、その度に歓声と拍手が辺りに響く。
火薬の匂いが柔らかな夜風と共に流れてくる。

陽菜「これが見たかったんだ」
陽向「その、誘ってくれてありがとうね」
陽菜「こちらこそ、ありがとうだよ!」

花火はクライマックスに向け、一旦インターバルに入る。同時に静寂が訪れ、虫の音が響く。

陽向「あ、あのさ」
陽菜「ん?」
陽向「そ、その。俺、陸上もう一度始めようと思うんだ」
陽菜「ほんとに? いいねいいね! 私も嬉しいよ」
陽向「でね、もし、もしだよ? 秋の記録会で記録を更新できたら、つ、付き合ってほしいなって」

陽菜は驚いた様子を見せたが、すぐにいつものように笑って見せた。

陽菜「……なぁんだ。そんなことか」
陽向「なぁんだって、そんな軽く……」
陽菜「私は……」
陽向「……」
陽菜「私は、駄目だよ……」

陽向は次の言葉で人生の春をようやく迎えられると思った。
しかしその予想はあっさりと裏切られた。
陽菜は自分のことを想っているんじゃなかったのか。瞬時に陽向は己のうぬぼれに嫌気がさした。
しかし、陽菜を見ると、何故か哀しげな表情をしている。

陽菜「……えっと……陽向くんのことは好きだよ! でも、そういうのじゃなくて。何というか……その……」
陽向「……なんだよ……」
陽菜「そういうのはさ、私じゃなくて……ええと、何というか、陽向くんが将来出会う人のために取っておいた方がいいよ」

陽菜は賢明に明るく振る舞っているようだったが、何か悲壮感が漂っている。その表情に陽向はただならぬ理由があることを理解した。

陽向「……何か事情があるのか……」
陽菜「ま、まぁそんなところかな。だ、だからさ! これからもいいお友達ってことで、ね!」

陽向は振られた理由が自分ではないことに安堵するも、やはり納得がいかない。
がっくりうなだれていると、陽菜がそっと陽向の手を握った。

陽菜「それはそれとして、私は陽向くんがまた走っているのを見たいよ。そしたら私も誇らしい!」
陽向「な、何で陽菜が誇らしいのさ」
陽菜「陽向くんの喜びが私の喜びなんだからさ」
陽向「そ、そうなの? 何だかはぐらかされた気がするけど」
陽菜「細かいことは気にしない気にしない」
陽向「陽菜が喜んでくれるんなら俺、頑張るよ」

陽菜の想いに疑いはないと感じる。
そう思うと付き合うとか、付き合わないは今はどうでもいいかと思えた。

花火師たちの準備が終わり、いよいよクライマックスのスターマインが始まる。

陽菜「あ! 見て見て! 始まったよ! すごいすごい!」
陽向「あ、え? どこどこ? あ! おおー! すごいね!」
陽菜「きれい! 夢みたいだよ!」
陽向「ほんとだね!」
陽菜「私、この景色絶対忘れないんだ。陽向くんと見たこの景色を」
陽向「陽菜?」
陽菜「あ、深い意味はないよ! それだけ感動したってことで」
陽向「あ、そういうことか」

花火が終わり、多くの人が帰り支度を始めている。辺りにはまだ火薬の匂いは立ち込めていたが、すっかり夏の夜の静寂が戻っている。
急に現実に戻された気がして二人は少し寂しさを覚えた。
湿気を帯びた生ぬるい風が二人の間を通り抜ける。

陽向「……俺たちも、降りようか」
陽菜「ねぇ、携帯持ってる?」
陽向「あ、うん。持ってるよ。もちろん」
陽菜「じゃあさ、せっかくだからさ、写真撮ろうよ」

陽菜は前に目一杯腕を伸ばす。

陽菜「はい! いくよー。3・2・1」

陽菜は二人が写った写真を見て嬉しそうにしている。

陽菜「うまく撮れてるねー。いい思い出になったよ」
陽向「うん、また来年も来よう」
陽菜「……あ、うん。そうだね。また来たいね!」

もう人影はまばらになっていた。屋台の明かりも消え始め、辺りが暗くなる。ここも間もなく真っ暗になりそうだ。

陽向「もう帰ろうか」
陽菜「もう少し……さ。ちょっとここにいない?」
陽向「え?」
陽菜「ちょっとだけ。星がきれいだから」

花火で気づかなかったが、確かに空には満点の星が輝いている。

陽菜「人が死ぬと星になるっていうけど、あれほんとだと思う?」
陽向「え? どうだろう? でも、よくそう言うよね。何で? 突然そんな話」
陽菜「私はほんとだと思うんだ。で、そこから親しかった人たちを見ているんだよ」
陽向「ご先祖様、ってこと?」
陽菜「まぁ、そうだね」
陽向「ずっと見守ってるってことかな」
陽菜「そう。そしてみんなを愛してる」
陽向「あ、愛?」
陽菜「そうよ。愛しくて愛しくてたまらないのよ」
陽向「そ、そんなにか」
陽菜「だから、多くの人たちが自分自身で痛めつけていることに悲しんだりもする」
陽向「それって、少し前の俺か」
陽菜「陽向くんのご先祖様はすごく悲しんでたと思うよ。何とかできないか何とかできないか。いつもそんなことを思ってたんだよ」
陽向「だとしたら悪かった、かな」
陽菜「大丈夫よ。今の陽向くんを見てみんな安心してるよ」
陽向「だったらいいな。でも、全部陽菜のおかげだよ」
陽菜「陽向くんには元々そういう力があった。私はその背中を押しただけだよ」
陽向「そんなことないさ。陽菜がいなかったら俺はまだ部屋から出られなかったと思う」
陽菜「そっか。それならよかったかな」

陽菜が笑う。その笑顔にどれだけ心が癒やされたのか。陽向はこれまでのことを思い出していた。

陽向「陽菜、ほんとうにありがとう」
陽菜「じゃあ、どういたしまして、と言っておこう」
陽向「なんだよ、それ」

数多の星々の間に流星が弧を描く。

陽菜「あ、流れ星! ほら、お願いお願いお願い」
陽向「あ、え? 俺も」

流れ星に願いをかける二人。
陽向はさっさと願いを済ませて、横を見ると陽菜が熱心に祈っている。
その横顔は満点の星空のせいかさらに神秘的に見えた。

陽菜「よしっと」
陽向「長かったけど、何を願ったの?」
陽菜「あ、ええと。秘密!」
陽向「教えてくれよー」
陽菜「内緒。陽向くんは?」
陽向「あ、いや、それは……言えない」
陽菜「なぁんだ。そっちもか。あ、一ついいことを教えてあげるね。願い事を叶えたければ今の自分を励ますことが一番だよ」
陽向「え? 励ます?」
陽菜「そうそう。自分はがんばってるがんばってる! 大丈夫大丈夫ってね」
陽向「なんだそれ。そんなんで願いが叶うの?」
陽菜「叶うよ。きっと叶う。今の自分がここにいるって、幸せだと思ったら何でも叶うよ」
陽向「ピンとこないなー」
陽菜「まぁ騙されたと思って続けてみてよ」
陽向「わかった。陽菜がそこまで言うなら」
陽菜「そしたら一人でも歩いていけるよ。これからもずっと……」
陽向「一人? 一人は、嫌かな」

すると、陽菜は人差し指を天にかかげる。
陽向は陽菜の指差す方向を見ると、星々がキラキラと光っていた。

陽菜「そしたらこの星空を思い出してみて。いつも誰かが見守っている。独りじゃないって」
陽向「独りじゃない、か」
陽菜「今の陽向くんならきっと大丈夫。これからも乗り越えられるよ……」
陽向「ああ、陽菜と一緒なら大丈夫さ」
陽菜「……そうだね……」

陽菜が黙り込んで、暗い表情を見せている。

陽向「……陽菜?」
陽菜「あ! ごめんね! あ、ええと。もうこんな時間! 引き止めちゃってごめんね。帰ろっか」
陽向「そうか……そうだね」

陽菜が先に降りていく。陽向はそれに懸命についていく。
こんな真っ暗闇でおいていかれたら、それこそ遭難してしまう。
すると、先に進んでいた陽菜が後ろを振り返った。

陽菜「陽向くん、最後にこれだけ。私はいつも見てるから! それだけは忘れないでね」
陽向「え? 何それ? あ、これからも監視するってことか。陽菜なら大歓迎さ」
陽菜「まぁそういうことになるか。見えないところでも見てるからね」
陽向「それはまた怖いことで」
陽菜「あははは。確かにそうだね」

下に降りてくると、夏とはいえ心なしか冷え込んできたように思えた。

陽菜「じゃあ、ここまで、だね」
陽向「うん。気をつけて帰って」
陽菜「うん。ありがと」
陽向「またね。陽菜」
陽菜「うん……またね」

陽向が向きを変えて歩き出した途端、陽菜が陽向の腕を掴む。

陽向「ひ、陽菜? どうしたの?」
陽菜「ご、ごめん……どうしてもこれだけ言いたくて」
陽向「分かった。何?」
陽菜「わ、私のこと……忘れないでね」
陽向「忘れるわけないじゃないか、これからもずっと」
陽菜「うん……約束だよ」
陽向「何それ? じゃあ、またね」
陽菜「うん……」

陽菜は陽向の背が見えなくなるまで、その場で立ち尽くしていた。
その目からは涙が流れていた。

陽菜「あぁ、止まらないな……もうしょうがないな、私ってば……しょうが……ない……」

その場にうずくまり、動けなくなる。自分がやれることはできただろうか。そんな想いが陽菜に重くのしかかっていた。

陽菜「……陽向くん元気でね。さようなら」

ひぐらしが闇に鳴いていた。


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