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枠割り

住んでいる地元を離れ、昨年末まで2ヶ月間住み込みで愛媛のみかんの選別バイトに行ってました。気づけばもう3シーズン、とある選果場にお世話になりました。今年もそこで働かせてもらうか未定ですが、はじめて行った2019年の秋、まさかリピートするなんて1ミクロンも考えず。

その年、私は写真家と名乗ることをやめたばかりでした。

どこかにも書いたかもしれませんが、
私がわざわざ愛媛まで行くのは、そこに集まる人たちが本当におもしろい人ばかりだから。どこかに定住せずに年間を通して各地を回る生き方をしている人が多いし、私のようにその期間だけそこ行く人もいます。
ほとんどの人が社会的な何かの肩書きとか持っていないけど、ある人より相当おもしろいのです。(肩書きがある方がつまらないということではなくて)

そこでは初めまして同士が一つ屋根の下でいきなり生活がはじまり、同じところで仕事をします。それぞれバックグラウンドは違うから多少なりとも意見のちがいはあれど、受け入れていかないと2ヶ月間過ごすことはできません。と言えば、苦行のように聞こえますが最初に書いたように集まる人々がおもしろいのでどう楽しく過ごしていこうかな!?っていう発想に。

何者でもない自分でいること。ただの敦子(私の名前)でいること。いれること。いさせてくれる。だから私は愛媛まで行っていた。
3年目にしてわかったんです。

なぜだろう?地元で生活をしていると、何者かになるのをやめて肩書きをなくしたはずなのに、心のどこかで何者かになろうとしていたのだと思います。それゆえの時々大きな不安がやってきたり、焦りが出てきたりしていました。でもそこで生活をしているときは、なんの肩書きも通用しません。不要です。肩書きを名乗っていても仕事になりません。それが私にとっては清々しく、軽やかで。

ちょっとこれは記事タイトルの内容とはズレますが、
住んでいた古民家は「O邸」というところでした。私はすぐに「O家」と呼ぶことにしました。
最初は5名から。しばらくしてから6名になり、また5名になりました。
家族と呼ぶ必要はないのでしょうけど、最初に5名そろった時に家の棚にあったセーラームーンのパズルを違和感なくみんなで始めた時にこれは「O邸」ではなく「O家」としようと私が決意したのでした。

そしてみんなの許可をもらい、  私たち一家全員を雇ってみませんか?とほぼギャグではあるけどSNSで募集をかけたんです。普段は全メンバー日本各地で生活しているので、揃うことは現実的にむずかしいがほんの少しだけ本気。O家だけの話ではなく、家族全員を雇いますっていうおもしろい案件があってもいいよなあ。。
その方が家族の個性がよりわかるよなあ・・・。とぼんやりひらめいたんです。リアクションはなにもなかったけど(笑)、メンバーもどんな案件がくるんだろうっておもしろがってくれました。

自分の子供がいない私が言うのもなんですが、義務教育があるから子供に「小学生」とか「中学生」とか枠をつけちゃうけど、歳は重ねてなくてもきっと生まれた時から何かの役割はあるひとりの人間だから、同じ視線になり、頼ってしまえばいい。それが例えお金を稼ぐことにつながらなかったとしても。

ずっとじゃなくてもいい、ある期間だけでもいい、いろんなところにじぶんの家族のようなコミュニティが点在すると思い描いていることがすんなり動き出すことがあるかも。

そして枠を外したところから新しい役割が出てくる、のかもしれません。でも役割っていうと重くなるから、何かを成そうせず、ひたすらに遊びながら生きていくことも役割だな!

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