kishou_kato

僧侶 兼 シンガーソングライター 日常、活動、心情。

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最近の記事

人間紙一重

今日は日曜日 何もない日のほうが多い 故郷の町は静か 午前 天気が良いので自転車でお参りへ お参りをし、お茶を頂いたりしながら 他愛のない話をして午後に帰宅 そろそろ詰めなきゃいけない イベントやライブの事を考えながら 水をごくごく ついでに曲を考えながらも テレビはついている ザ・ノンフィクションが放送されており、今日は 「家出人たちの家」~人生をやり直すシェアハウス~ というものだった シェアハウスには行き場のない青年達が暮らしていて 仕事をしてはやめ、

    • 敵は他人じゃない

      まず読む前に 絶対に勘違いしないで欲しい事があります これは誰か特定の人に向けて 言い放っているのでは決してない 自分に向けて書いた文章のようなもので もし自分に言われてると感じるならそれは 人間、大体似たようなことで悩んできた 間違ってきた それが当てはまるだけです こんなものでも 何か役に立つならそれがいいと思う " 歌に自分の願いを込めるようなもの " として見てもらえると嬉しいです ー 自分は間違ってない ー と思い込みたいのは、防衛本能みたいなもので

      • 故郷をテーマに歌を考えてる

        この町に暮らしていた頃と 今は、何が変わったかなぁ?と考えていた シャッターを閉めたお店が増えたよなぁとか 新しい建物が出来たりしたけど どうも賑わってないように感じるなぁとか とにかくスローライフだなぁとか まあ大体そんなような事で 毎年毎年 若い人が出て行くなぁと思うたび そういえば自分と近い年齢の人たちが ちょうど就職して3年目くらいで 「もう出て行こうかな」とぼやいてたのを思い出す 東京から帰ってきたのは もう4年ほど前で " たった " といえば

        • 歌の正体

          初っ端から 解を先に書いてしまうけれど 僕にとっての歌の正体とは 「こうあれたらいいな」 「こんな風に思えたらいいな」 それを投影してるのが 僕の歌の正体 しかしその歌は 半分以上がブーメランで 自分に言い聞かせるように歌うから きっと同じような経験や 同じような願いを持ったことのある人が 僕の歌に共鳴している とするならば 一番重要なのは 僕そのもののマインドの在り方 じゃないだろうか? と考えているこの頃 ずっと " 誰かの為に " 歌を

        人間紙一重

          SNSで学んだこと

          おはようございます Twitterを利用し今日で11年だそうです (お知らせが来ました。笑) 11年前は2013年ですから 僕はまだ20歳ですね 音楽活動のために始めたTwitter (Xだけど僕はずっとTwitterと呼びます意地でも) はじめは使い方もわからず 好き勝手書いてはフォロワー減らしてましたw 沢山失敗をしましたが 必ずそこには学びがありました せっかくなので これからSNSを使い始める若者 それと中年層の皆様に これは気をつけると良いですよぉ

          SNSで学んだこと

          きしょうのゆるい悩み話(男性なら共感するはず)

          「髭って、いらないくない?」 これです。 こんにちは、加藤きしょうです。 「髭って、いらなくない?」 これはもしかしたら 一般男性だと当てはまらない人もいるかもしれません がしかし 印象が大事なセールスマンの方や 人前に出る方(メディアなど) 清潔感の求められる職業の方にとって 髭というのは大敵ですよね ましてや お坊さん…なんて 髭のイメージなくないですか? というか毛のイメージないですよね 世間的なイメージというのは実に厄介で 例えば、お坊さんは肉

          きしょうのゆるい悩み話(男性なら共感するはず)

          あの頃は何もなくて

          それだって 楽しくやったよ ーーーーーーーー ここ数日 言いたかったことを言い放って 言った自分も落ち込んだ。 前に友だちが、子育てで 「子どもに叱ってるはずの自分の胸が 痛くて一人で泣いた」 と言う話を思い出した。 僕らは子どもじゃないけれど おんなじことだ " 愛しい分だけ痛いんだ " それでもこれからも 自分の歌ってきた意味を 絶やさず燃やすため 燃料を焚べなきゃな。 そう思って メンバーシップ限定で オリジナル曲のフル弾き語りを 今までの全

          あの頃は何もなくて

          「きしょうの人生振り返りノート」〜生まれてから中学まで編〜

          1017g 旭川の病院で 極小未熟児、仮死状態で 予定よりかなり早く生まれた僕は 体重を基準とするなら 1500g未満の「極低出生体重児」と 分類されるらしい。 NICU?に入り お父さんの手のひらサイズだった僕は 両親の心配と不安と切望をよそに 普通の子くらいに成長し 浜頓別町のお寺の子として 人生スタート。 今はなき、浜頓別の幼稚園生となる。 ※ここからは薄〜い記憶を辿り 小・中と振り返ります。 昔から背が低く 幼稚園の頃の背の順は前から3番目。

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          「きしょうの人生振り返りノート」〜生まれてから中学まで…