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研究職になって考えてみた、子供の頃に出会って良かった教師

小中学校、私は公立の学校に通った。別に親が特別教育熱心だとか、小学校から私立にやれるほどリッチだったというわけでもなく、学校教育という面では平均か、日本人だから学費払わなくていいくらいに幸運だったとしか思えない。

むしろ私の中学は不良校として有名。大学生の頃、元ヤンキーの同級生に「お前、どこ中だよ?」と聞かれて、「某中学校だよ。不良には慣れてるよ」に答えたら「お前、見かけによらずすげぇとこ出てんな(笑)」と若干ひかれたくらい。オリンピックで柔道の金メダルを取った先輩が何人もいる学校で、休み時間の柔道部とのじゃれ合いで失神させられる(この中学の方言で「落とされる」)のが日常茶飯事だった。

小中学校の先生達から学んだことは多くあるのだろうけれど、ほとんどが無意識的なレベルに留まっている。むしろ、覚えている限り学校の先生達は、一部を除いて反面教師だ。おかげで公立の小中学校の先生というのは、概して理不尽な人たちだという偏見を持つに至っている。まあ、同僚の多くがアッパーミドルとインテリ階級出身のアカデミアにあっては、普通の公立学校を経験してるのはある意味強みでもある。

(以下の記事を参照して頂ければ、私がなぜそういう偏見を持つようになってしまったのかさらによくわかる。)
「亡くなった親友のこと」. https://note.com/kishotsuchiya/n/n0a67d136fe9a
「小学生の私がプロレタリア文学に出会った話」. https://note.com/kishotsuchiya/n/neab24fcec0b0

「小中学校時代に出会って良かった教師」とすぐに頭に浮かんでくる人物は、2人しかいない。しかも、厳密には義務教育で出会った教師ではない。一人は隣の小学校のバスケ部のコーチで、もうひとりは塾の先生だ。うちの両親による私へのあまり大規模ではない投資のうち、この2人との出会いは費用対効果が高かったと思う。

私は小学校高学年でA先生が教えていた隣の小学校のバスケ部に入った。元々スラダン読者だったけど、先に入った友達に「小学生としてはサイズがあるから」と勧誘されただけだ。入るまで知らなかったけれど、都内では有数の強豪チームだった。たしか、2つ上の代が東京でベスト4、いっこ上の代が関東大会優勝。いっこ上は、関東大会MVPだったキャプテンがプロのバスケ選手になったし、他の2,3人が中学・高校時代東京都選抜チームに入った。後輩たちにもすごい選手が何人もいるけど、自分たちの代はあんまり強くないし、私自身は一度東京都選抜の「候補」にあがったくらいだから自慢にならない。

↑ミニバス時代の先輩、山口祐希選手。今考えてみると知り合った頃13,14才くらいだったはずなんだけど、すごいリーダーシップで、後輩たちにとってはカリスマだった。

さて、小学校バスケ部のコーチ、A先生は、今の常識的な考え方で言えば暴力教師だったのだけれど、私は彼女のことをとても尊敬しているし、バスケの選手やコーチたちの間では高く評価されていた。入部してから半年くらい基本的にダメ出しされっぱなしだったのだけれど、食事や試合の帰り道などで話すと「こいつ、今は下手くそだけどうまくなりますよ」と言ってくれた。この先生、言葉で説明するのが抜群にうまいわけではない。だから、ときには肉体言語で教えられたし、彼女の教育思想みたいなものは断片的にしか伝えられなかった。多分、2年、3年一緒にいればマスターできたものなのだと思う。

よく覚えてるのが何度か繰り返された出来事。紅白戦の途中で彼女が笛を吹いて停止させる。「おい、お前いま何考えてそこ行った?なんでそのプレーした?」「。。。わかりません。」。腹に一撃入る。「自分でもわかんないことすんじゃねえ!頭使ってバスケやれ!

ここは90年代当時の基準で比較して欲しい所なのだけど、学校の先生たちや別の意味で独裁的なコーチだと、「静かにしなさい」「なんで俺の言うことがわかんないんだ!」「なんで指示を守らないんだ!」って怒ることが多かった。A先生の場合そういうことは滅多になく、技術的な事・戦術的な事は手取り足取り教えてくれたのだけれど、試合の流れの中で起きる様々なことへの対応に関しては、「馬鹿野郎!自分で考えてやれ!」が口癖だった。

自分自身が選手としてトップクラスの訓練を受けてきた彼女の場合、他の選手を見てれば、頭使ってバスケをしているか(うまくなるため・勝つために思考を集中させているか)、ただわけわからないけどやりたいことやってるだけなのかひと目で区別がつくのだと言う。小学生の当時はこの違いがわからなかったけれど、20年バスケを続けてみると、たしかにこの違いは一目瞭然だ。そして、頭を使わない選手は伸びないし、チームにとっても使いづらい。

全然違うことだけど、別のときには「人の話ちゃんと聞けない奴は伸びませんよ。こっちが1言ったら、少なくても3,できれば10返してくれれないとね」と言っていた。関連して、「土屋はね、自分が一番下手くそだって明確に認識してるし、うまくなった自分をイメージできる。こいつ、私の棚からバスケの本とか勝手に拝借してるんですよ。だから、こいつは伸びます」とも言っていた。つまり、彼女がいわんとしていたのは、下手くそに甘んじている選手は伸びないし、自分がもう完成してると勘違いしてしまう選手も伸びないというのだ。下手くそだと認識しつつ、今よりうまくなる工夫ができる選手が伸びるというのだ。

でもこの「自分が一番下手くそだ」「でも努力・工夫すればうまくなれる」という認識はシステマティックに評価できる彼女のような大人がいて初めて成立するものだ。A先生は、「1年ちょっとじゃ教えきらない」と言って彼女が監督していた強豪中学校(当時、京北に続いて都内で2位から4位の間くらいだった)に来るように誘ってくれたのだけど、私の方は「近いから」という流川楓みたいな理由で地元の公立に進んだ。普通のチームでも練習や独学でうまくなることはできたし、多分2年生のときには、区内で一番点を取る選手のひとりにはなったと思う。けれど、A先生のようにシステマティックに評価できるコーチがいなかったこともあり、中3くらいからは伸び悩んだ。チームも2・3人の都選候補レベルの選手がいたわりには勝ちそこねていた。「どう下手なのか」わからなくなったからだ。

中学3年のとき、A先生のチームと練習試合をやった。前半は、得点はしていたが、難しいシュートを打たされていたと思う。ハーフタイム的な時間、敵チームの監督であるA先生は、端っこで給水していた私のお尻を急に蹴っとばして、こういった。

「たしかにうまくはなったけどさ、お前んとこのコーチ、普通のことも指摘してくれないの?攻守切り替えのときちゃんと走れよ。ちんたらやって10点分見逃してんぞ」

つまり、前半戦における彼女のチームのセイフティーディフェンスの甘さは、指摘されて見れば一目瞭然だったのに、私達にもうちのコーチにも見えていなかったのだ。私はうちのコーチに布陣とポジションに入れ替えを進言した。結局競って負けたけど、ボール運びとリバウンドの手伝いから解放された私は、残りの2クォーターで20点くらい(半分を速攻で)取った。試合後、二人で話した時、A先生は「ほら、走れば取れるって言っただろ(笑)お前のチーム、選手はいるのに残念だよなー」と勝ち誇っていた。

中学では勉強の時間はできたけど、バスケ的には中学3年間損したなと思った。子供の方が伸びるメンタリティーを持つことも大事だけど、どう下手くそなのか、どううまくなれるのか(言葉あるいは肉体言語で)伝えられる大人は必要なのだ。
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2人目の出会って良かった教師は、私塾のT先生だ。私が聞いてる話では、彼は私立大学の数学教授だった人で、引退した後に1年にひとりずつ英語と数学の生徒として迎えていたそうだ。私が入った時は、親たちがT先生に頼み込んで中学時代のバスケ部のキャプテンと一緒に2人で迎えてもらった。彼は、既に故人となられていて、私達が本当に最後の生徒になった。

私がこの先生から言われていたことは、
「ベストの高校や東大に入学させるということは約束できません。でも、君がついてきてくれるなら、中学の3年間で自分で勉強できる人に育てます。そうすれば、高校に行っても、大学に行っても、社会人になっても先生や先輩に頼らずに勉強したり、研究したりできるはずだからです。」
ということだった。

私は他にも小学生の時に英文法の塾に行ったし、中3の夏休みは早稲アカの夏期講習にも行った。けれど、長く通ったのはT先生のところだけで、彼の教育というのは、今考えてみると全然質の違うものだった。というのも、数学や英語、勉強の仕方は教えてくれたけれど、基本的には学校の教科書とそれにあわせてT先生が作ってくれたノートを勉強していただけだ。受験に合格するテクニックみたいなものはほとんど全く教えてくれない。

最初の2年は、キャプテンと一緒に勉強していたのだけれど、3年にあがった時に、「二人の性格の違いがわかってきたから、授業は別々にしましょう。二人とも真面目だけど、全然違う真面目さなんですよ。」と言われて、T先生と一対一になった。

さらに、
「土屋くんはね、例えば私が公式を説明してあげると、すぐわかるでしょ?それがわかると、すぐに別の問題に応用したり、新しい公式を作ったりしはじめちゃう。新しいこと勉強したくなる。それは素晴らしい才能なのだけど、ひとつひとつマスターしてから次に行かないと。体系的に理解するっていうのはそういうことだよ。キャプテンくんの場合は、少し違うんだけどね」

と言われて、もっと反復練習をするように言われた。ミニバスのA先生が、「誰でもシュートはうまくなります。楽しいし、かっこいいから。でも、地道に訓練してるかどうかは、足の使い方とか、体の当て方とか、ボールのない所での動きとか、地味な所にでますよ」と言っていたのを思い出した。

T先生と勉強するなかで、勉強(研究)するとき、筋トレみたいな反復と、自由な想像力の両方を大事にしないといけないんだと思った。そして、ひとりひとり、その時々、自分にあった勉強方法というのがあって、「誰にでもできる勉強法」はアジャストしないといけないこともわかった。

端的に言うと、T先生とA先生は、勉強やスポーツに関して、その場その場の対策やテクニックを教えるよりは、自分で考え・訓練するパラダイムの形成を教えてくれたのだ。

こういう大人と、少数だけど、子供の時に出会えたのはとても良かったと思っている。

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