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国連の選挙支援チームで働いて学んだこと(1)選挙

10年ほど前のことですが、私は法政大学を1年間休学して、東ティモールの国連選挙支援チームで働いていました。21歳から22歳の頃です。経緯としては、2009年頃にサブプライムローンの不況で就活する気が失せてしまい、指導教授だった長谷川祐弘先生(後で説明する)に相談したところ、「土屋くん、君は英語できるようになったし、インドネシア大好きだし、クリスチャンだし、東ティモールの国連で1年くらいボランティアしてみるかい?ただし、弱音を吐いて帰ってきちゃだめだよ」と言われて、「あ、はい。行きます」と答えたら、とんとん拍子で決まってしまったという感じでした。

結局行き着いたところが、東ティモール国連選挙支援チーム(UNEST)の当時のChief Technical Advisor(筆頭技術顧問?)だったアンドレス・デル・カスティーリョさんの秘書というか雑用みたいな仕事です。最初の3ヶ月をインターンで、その後「よく働いたから」ということで特別支出で多少給料をもらいました。

一番詳しいティモール島の話をなぜかNoteでは避けていたような気がするんですが、国連選挙支援チームでの経験を書かないとちゃんと自己紹介したことにならないような気がするし、関心がある人もいそうなので書いてみます。今回は選挙のことに限ります。

国連選挙支援チーム=UNESTとはどんな機関か

東ティモールという領土は1999年まで国際法的にはポルトガル領、実効支配しているのはインドネシア軍という微妙な土地でした。国際的な東ティモール独立へのアクティビズムやインドネシアの政情の変化などもあって、99年に住民投票が行われました。この住民投票を準備・実施することになったのが国際連合東ティモールミッション(UNAMET)です。

私のボスだったアンドレスさんは、この時、実際に住民投票を行うかどうかの最終決定をする立場にいた国連の高級官僚のひとりでした。二人で話したときに、彼は「99年8月の国民投票の前日にものすごい数の脅迫状とか脅迫電話が来たんだけど」と言ってから、「でもやらないともう東ティモールにはチャンスがなくなっちゃうと思って黙殺してGoサイン出したんだ」と付け加えました。住民投票の後に東ティモールを独立させることが決まりますが、直後に紛争に突入して約1500人の死者が出ました。

1500人の命が失われると同時に一国の独立につながった決断をして、「延期したほうがマシだったかどうか」とアンドレスさんは10年以上経っても考え続けなきゃいけないのだと知って「重い」と感じました。この人の雑用をしていたというのが、私の人生の方向性をいろいろと変えてしまったような気がします。

99年の紛争の後、東ティモールの国家建設と選挙制度の準備を任されたのが国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)です。UNTAETというのは、それ自体が国家のような組織で、警察権限や国境の管理から選挙制度の最終的な決定まで行っていました。制憲議会と大統領の選出が終わってから、段々と縮小して日本人で法政大学時代の私の恩師である長谷川祐弘氏が代表を務めることになったUNMISET、UNOTILへと移行します。UNOTILには平和維持軍がついておらず、「オフィス」というような組織でした。

2006年にいろいろな原因があってまた紛争が起きて、国連は再度平和維持軍を派遣して、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)が組織されます。私が勤務させていただいたのは、UNMITの時期で、選挙支援チームもUNMITと国連開発計画(UNDP)の傘下にある機関でした。国連の大規模なミッションとしては2012年頃に撤退となったので、国連が東ティモールの内政に様々な方面から関与(介入?)していた後半の時期です。

選挙支援チームの体制としては、トップが筆頭技術顧問であるアンドレスさんで、他にUNMITから派遣されているアドバイザーがひとり、UNDPから派遣されてるプログラムマネジャーがひとりの「ボス」が3人いる体制です。その下に政府に派遣される顧問、立法府に派遣される法律顧問、東ティモール政府内部で選挙運営にあたるSTAEに派遣されるロジスティックスや投票者登録の専門家、投票者教育の専門家、選挙に関する正しい認識を広めるための教材を作るシナリオライターやイラストレーター、人事などの事務に当たる職員などが数年契約で勤務しています。さらに、選挙数ヶ月前から投票用紙のカウントまでに必要なボランティアや選挙管理・監視のバイトなどが雇われます。正規契約の人たちが20-30人くらいで、その時の必要に応じてバイトやボランティアを含めると数百人、数千人の体制になることもあります。

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