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初めてのアートリサーチ/塩尻アーティスト・イン・レジデンス(長野県塩尻市)〜後編〜

2021年10月から2022年2月にかけて、副業人材として初めてアーティスト・イン・レジデンスのリサーチ業務を行なった。アーティスト・イン・レジデンスとは、アーティストが一定期間ある地域に滞在し、フィールドワークをもとにして作品制作やリサーチ活動を行う取り組みのこと。
今回リサーチしたアーティスト・イン・レジデンスのまとめ記事がnoteで公開されたので、前編後編の2回にわたって、参加にいたる経緯や取り組みの内容について紹介する。

オンラインインタビューとの向き合いかた


反省の多かった初回インタビューを終えて、なににそれほど不安を覚えたのかを思い返してみると、オンラインでのインタビューが初めてだったことに加え、もともと準備していた想定質問から思いのほか会話が膨らまない場合の焦りに、いちばん不安を抱いていた。

実際に対面しながらのインタビューでは、質問につまっても会話の流れから新たに浮かんできた疑問や、相手がより話しやすそうな話題へつなげていけるが、オンラインだと相手の表情がいまひとつ掴めず、いつもよりも相手の返事を待つことに不安を覚える。もう少し待てば話せそうなのか、違う話題にしてほしいのか、会話の流れが読みきれない。対面よりもはるかに沈黙が耐え難い。

そこでまず会話の流れが止まったとき、いつリセットしてもいいよう想定質問以外のサブ想定質問をたくさん考えてみることにした。アーティストのホームページやSNSをチェックし、作品を観て気になったこと、不思議に感じたこと、受けた印象などをノートに書き留めた。アーティストでない場合は、所属する会社のホームページを見ていちばん興味のある事業を書き留め、これまでのインタビュー記事もあれば読んだ感想などを書いた。

つぎにインタビュー中にメモを取ることにした。インタビューは録音しているので、ふだんはメモを取らずに相手の目を見ながら話を聞くことに徹するが、あえてメモを取って相手の答えを待つ時間をつくってみた。

そうするうちに、オンラインインタビューにも慣れてきて、インタビュー中のメモも、サブ想定質問も、徐々に出番が少なくなっていった。回を重ねるごとに塩尻AIRに対する理解も深まり、加えて聞きたいことが自然と増えたことも、オンラインインタビューへの緊張感が減った要因だったように思う。

インタビュー中に取っていたメモの一部

見えてきた課題

半分ほどインタビューが終わって徐々にわかってきたのは、ANA meets ART"COM"を主催するANAが目指すアーティスト・イン・レジデンスと、実施地域である塩尻AIR実行委員会が目指すアーティスト・イン・レジデンスには、若干ズレがあることだった。
もともとANA meets ART"COM"はアートによる地域創生の新たなモデル構築を目的に始まったプロジェクトであるが、発端にあったのは、日本で活動するアーティストを支援することへの情熱。対する塩尻AIR実行委員会と関係地域住民は、アーティストとの交流によって地域にもたらされるであろう変化に期待を寄せていた。またよくよく話を聞いていくと実行委員会のなかでも、目指したいAIRのかたちは多少意見が分かれているようであった。

目指すべきアーティスト・イン・レジデンスがそれぞれのポジションで異なってしまうと、来年以降、取り組んでいくべき活動も見直すべき内容も定まらなさそうだ。

また塩尻AIRの認知が地域住民のあいだで進んでいないことも大きな課題であった。2020年度のAIRで行われたアーティストとの交流イベントや作品展示では、コロナ禍真っ只中にあって広報が思うようにできなかったそうだ。イベント前後での急な感染者の増減もあり、どこまで告知していいものかつねに頭を悩ませていたという。結局、そのために大っぴらな人集めができず、地域住民のなかにはアーティストと直接の交流があったにもかかわらず、作品展示があったと知らなかった人もいた。

2021年度のAIRではリサーチベースのため作品展示がなく、アーティストによるトークイベントが塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」で開かれた。その模様はオンラインでも配信でされ、わたしもオンラインでトークイベントに参加したが、参加者の少なさにやや驚いた。スタッフと参加アーティストを合わせても10人未満だった。
昨年に引き続き今年もコロナの状況に左右され、人を多く集められらるようなコンテンツを打ち出せなかった事情はよくわかるが、オンラインでの配信であれば、もっと集客も可能だったはず。やはりまずは、この塩尻AIRをもっと多くの市民に知ってもらう必要がありそうだ。

実際に塩尻に行って感じたおおらかさ


2022年1月。本来であればアートワーケーションが行われるはずだった4日間で、ヒロイさんとわたしは実際に塩尻市へ赴いた。オンラインではなく、実際にお会いしてインタビューをするかたも半数近くいたので、アポイントメントを取ってインタビューをしたほかは、報告会に向けてインタビューを記事化する作業に多くの時間を費やした。

そんなわけで塩尻へ実際に行っても、市内観光をする時間はほとんどなく、塩尻AIRに関わった人を巡り、また、これからのAIRについて思いを馳せる4日間であったが、実際に塩尻へ行ってみて、やはり土地のことは土地に行ってみないとわからないと感じた。
正直なところ、オンラインで話している時分は、塩尻の皆さんがどのくらい「アーティスト・イン・レジデンス」や「アート」といったものに興味を持っているのか、いまひとつわからなかった。画面越しでも伝わるほどの情熱は、それほどなかったような気がしていたのだ。

実際に塩尻へ行ってみて、わたしは「わたしたちにアートが必要であれば、きっとこれからもありつづけるだろう」というようなおおらかさを受け取った。
それは、アートへそれほど興味がないというのとも違って、アートに対する過度な期待がないとでも云うべきか、アートやアーティストと呼ばれる人たちに対して、健康な距離を持っているような気がした。その態度はアートに限ったことではなく、そのほかの事柄についても同じようなおおらかさがあった。

アートの良さ、アートの可能性は認めつつ、このプロジェクトを無理にでもつづけようともがくのではなく、付かず離れずアートと付き合いつづける。それが塩尻にぴったりなアートの在りかたかもしれないと、現地に行って感じた。

インタビューで印象に残った言葉の数々

それでも知ってもらいたい


「アート」という短時間で目に見える効果を得ることが極めて難しい分野のプロジェクトだったからか、今回の副業はオンラインだけでは完結し得えず、現地を肌に感じることはどうしても必要だった。
ヒロイさんとわたしは、結果として、塩尻アーティスト・イン・レジデンスをこれからも持続させるためには、実行委員会のなかで目指すべきAIRの方向をまとめること、そして、地域の認知を進めることが必要と、報告会で提言した。当初は、より多くの地域住民にこの取り組みを知ってもらうためのタブロイド紙を制作するつもりで準備を進めていたが、時間と予算の都合で今回は断念した。

今回の副業人材募集ではアートプロジェクトのほかに、道の駅の活性化や、文化施設の利用促進など3つのプロジェクトが同時期に進み、報告会ではほかのプロジェクトの提言も聞く機会があった。ほかの副業人材の皆さんからの数値的な結果や、より具体的な提言の数々に、もっと有用な提言をするべきだったのではないかと、正直少し落ち込みもしたのだが、会のあと、ヒロイさんから「それを求めてアサインされたわけじゃないと思うよ」と声をかけてもらい慰められた。

来年度以降、塩尻市におけるアートプロジェクトは、もしかしたら「塩尻アーティスト・イン・レジデンス」というかたちではつづいていかないのかもしれない。
だけど塩尻AIRに参加したアーティストのうち何人かは、その後も塩尻市に通い、それがきっかけとなって塩尻市や近隣の市町村へ移住するなど、とても素晴らしい実績も、実は、生まれている。それも塩尻が持つ、訪れたものをそのままに受け入れる空気、在るものはそこに在るものとして受け止めるおおらかさあってのことではないだろうか。

ヒロイさんとわたしは、この夏、ふたたび塩尻を訪れて、気の向くままに市内を散策した。アートイベントがあったわけではないが、アートと親和性のある取り組みをしている人と知り合えたし、広義のアートに根ざした文化施設を訪れることもできた。ふらりと行きたくなる魅力が、塩尻にはある。

最後となったが、今回のプロジェクトで記事を作成したインタビュイーの皆さまを紹介する。オーハラユーコさんは、エシカルに根ざした作品づくりをしているアーティスト。塩尻では、ぶどうの皮を再利用した作品づくりをされていた。

オーハラさんを受け入れた地域住民としてお話を聞いたのは、地域おこし協力隊の近藤沙紀さん。重要伝統的建築物群保存地区である木曽平沢で「日々別荘」の家守としても活動されている。

蓮沼昌宏さんは、キノーラを中心とした作品づくりをしているアーティスト。日本各地のレジデンスに滞在した経験を持ち、現在も塩尻とほか地域を行ったり来たりしながら生活されている。

蓮沼さんのアーティストトークを聞いた高校生2人にも話を聞いた。彼らはスナバで開かれた高校生向けの企業プログラム「エヌイチ道場」にも参加していた。新しい興味へどんどん邁進する若者は、アートとの距離の取りかたもフラットなようだった。

今回、パートナーとしてプロジェクトを進めてくれたヒロイさんには、本当に感謝している。気楽に接することができて、かつプロジェクトを前に前にと進められたのは、ヒロイさんの力によるところが大きい。(ヒロイさんと一緒に写った写真が1枚もないのが残念…)

また、今回我々をアサインし、現地でわたしたちのわがままにも快く対応くださった岩佐さん、プロジェクトをテンポ良く進めるために骨を折ってくださった上田さんにも、とても感謝しています。大変お世話になりました。

ここまで書いてきたが、やはり塩尻AIRのことはもっと多くの人に知ってもらいたいので、これからも塩尻AIRが塩尻なりのやりかたでつづいていくことを願っている。そして、そこに何かしらのかたちで関わりつづけられることを願いながら筆を置く。


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