仕事2年間の思い出 ~100日後に渡英するKish #71~

どうも、Kishです。
朝から嬉しいことがたくさん起き、SNSの良い面を実感しております。

特に急に楽しみな予定が決まることほど嬉しいことはないですね😆
大切な人に囲まれて生きるのは必要ですね。
渡英してもこの繋がりは大切にしたいと思います。

それにしても、2年間色んなことがありました。
上には上がいますし多少Arrogantではありますが、2年でここまでよくやったなと言う感じです🤥笑
今回ばかりは自分を褒めさせてください。
今日はその2年間の思い出をつらつらと書いていこうと思います。
よければ読んでいってください!

2年間の思い出

2022年卒、コロナピークで業績右肩下がりの中での採用となり、同期4人(東京2名、大阪2名)という自称「少数精鋭」メンバーが集まりました。
懇親会や内定式はオンラインで進行していたので、入社日当日に東京組とは初対面となりました。

僕の希望は東京のカジュアルだったのですが、大阪のスポーツへの配属。
他の同期も希望とは違う部署へ配属され、フロアも建物も何もかもバラバラでした(笑)
しかも入社時研修も社会人マナーのような、簡易的な1週間のみで、社内システムさえわからず、同期と深い関係性を築くのに十分な時間はなかったです。

なので気軽に話す相手がおらず、正直心細い状態で繁忙期の真っ只中にキャリアがスタートしました。
実践無しで急に放り出されるという、野生で育ったような感じです。
最初に参加したデザイナーさんとの打ち合わせで、何を話しているのか全くわからず、聞こえたままにメモを取り続けていたのを覚えています。

最年長でも30歳と、若くて雰囲気の柔らかいチームだったのですが、超真面目で頭カチコチだった当時の僕は、繁忙期真っ最中の先輩達に声をかけることができず、1人で理解しようと仕事をしていました。
すぐに一人暮らしを始めたこともあり、熱が出たり唇ヘルペスになったりと、ストレスサインがちらほら身体に出てきてはいました。

当初チームには6年目の営業(Aさん)と、4年目の営業(Bさん)がおり、アシスタント3人(年次順でCさん、Dさん、Eさん)の計5人がいました。
かなりバランスの取れた、好成績で安定したチームです。
しかし、Aさんは9月頃の海外転勤辞令が出ており、Bさんは8月に退職ということを知り、2年目以降の海外研修までは頑張ろうと決意したのを覚えています。

ちなみにBさんの退職は僕の入社前から決まっていたそうですが、「もしかすると僕が原因では?」と不安を感じて確認したのも懐かしい思い出です😂

そして6月頃には1人でアシスタント業務を担当し、初めて9時頃まで残業することになりました。
入って2ヶ月の新人が1人で遅くまで仕事をしていたので、当時はかなり気にかけてくれました(笑)
そこから残業祭りが始まるとはつゆ知らず、、

7月末にコロナにかかり、隔離1週間があったので、初のテレワークを経験しました。
(原則禁止で、基本出社の会社です😅)
その時にBさんの最終出社日があったので、LINEのビデオ通話で参加し、写真も撮ってもらいました(笑)
(良くしていただいたのですごくショックでしたが、現在Bさんは同じくYMSで7月頃までロンドンにいるそうなので、会いに伺います✌️)

同時期に新ブランドの立ち上げがあると知り、そのメイン営業担当に抜擢されました。
そこから尊敬するデザイナーに評価いただき、関係性が構築されていくわけです。
この立ち上げに携われたことはかなり良い経験になりました。

その流れで、普段はデリバリー(アシスタント)業務が1年間あるのですが、僕は異例で営業に専念することになりました。
チームと客先の状況を踏まえた判断です。
社外にはそのまま提案・開発・トラブル対応をし、社内では中途採用や基幹システム変更の話が上がるようになりました。

そこから年末年始を経て、基幹システム的にも人事的にも大きな「社内事変」がありました🤫
(かなり人事・経営的な話になるので、ここでは一応伏せますが、ご容赦ください。)

色々あった結果、僕がDさんのほぼ全ての業務を担当することになりました。
今回も異例の、アシスタント→営業→アシスタント&営業です。
量産ピークではないが若干忙しくなってきた2月末の姫路城マラソン前後日で半休いただいたのですが、
その時点で400件以上のメールが溜まる程度で、僕にとって処理しきれないほど目まぐるしい時期でした。

ややこしくなりそうなので、一応チーム構成を整理しておくと、以下の通りです。
(取り消し線は退職・異動でいない人員、カッコ内の時期は入社、退職予定時期)
営業:A(~夏?)、B、僕、I(4月~)
アシスタント:C(~5月)、D(~3月)、E、F、G、H 、J(4月~)

5人の頃から急に大きなチームになりましたが、僕はアシスタント・営業・新人教育(アシスタント引継ぎ)をすることになりました。
後輩が入社してきた4月から5月は特に、体力的にも精神的にも追い詰められており、いわゆる抑鬱状態でした。
明るく振る舞っているようでも、かなりイラつきを感じることもありました。
(そのおかげでPosiwillに出会えたのですが🤫)

業務量を想定できておらず、自分のCapacityもよくわかっていない状態で引き受けたのが良くなかったですね、、😅
特に新人のIさんにはご迷惑をおかけしました。
この場を借りて反省したいと思います。

徐々に先輩たちがいなくなって行き、アシスタント業務の引き継ぎが終わった頃、Posiwillもあってか、やっと肩の荷が降りた感覚があり、少しずつ元気が戻ってきました。
マイナスからゼロに近づいている感覚です。

Posiwillを通じて「自分らしく」というものを知り、同じ共通の悩みを持った人たちとのコミュニティができ、かなり気が楽になり、そのタイミングで渡英を決意しました。
2023年夏は外れましたが、2024年春に向けて準備を進めるべく、上司にその旨を伝えました。

頼りになるAさんも結局2023年10月中旬頃の退職が決まりました。
退職時期を少し延ばしていただいたおかげで、営業をしっかり学び直し、引継ぎも十分にできました。
結果的に、社内外問わず、好印象と信頼を得ることができました。
(Aさんには大変お世話になったにも関わらず、彼の退職時には僕からは何もできていないので、渡英前に個人的にギフトを送ろうと思っています🤫🙌)

さらに個人的に身につけたストレス対処方法と将来の指針のおかげで、半年前と比較すると、のびのびと仕事ができたように思います。
後輩にも僕が学んだ全てを引継ぎつつ、退職を決心して半年と少ししてやっと最終出勤を迎えました。

正直、新たに何か生み出したり、進化させたりするプラスの仕事よりも、トラブル対応等、マイナスからゼロに戻す仕事の方が多々ありましたが、この業界でしか学べないことがたくさんありました。
人生の中で必要なきつい時期を経験できました。

それがあったからこそ今の決意があるので、本当に運命に感謝しています。
そしてたくさんの方々から応援していただける形で最後を迎えられたこと、本当に嬉しい限りです。

本当にかなり長くなりましたが、僕の2年間の思い出はこんな感じです。
キャリアの棚卸し(具体的な業務内容と実績から得たスキル、考え方の振り返り)は今週中の予定です。

業界が異なったとしても、一般化すれば現地のCVにも活きるはずなので、日本から種蒔きするつもりで忘れないよう早めに振り返りに取り組みます。
今月の目標として「¥0dayを12日」としましたが、毎日カフェに投資するのもアリですね(笑)

日々コツコツと頑張っていきましょう!
みなさまも元気でお過ごしください。

一旦今日は以上でーす。

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