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そしてパリ・続編

そろそろ牡蠣のおいしい季節がやってきますね!と赤穂に思いを馳せていますが、ここはフランスです。おフランスでやんすとイヤミの顔が浮かんできます。

そうそう私というと、クソゲー、いやさパリの大学の事務方を後にして地下鉄で急いでセミネールがある別の大学の校舎まで向かうところでした。今いる大学=ギャングスタのメッカからは地下鉄で一本だが30分ほどかかる。そしてその駅からはまた少し歩いて10分ほど。時計をみると授業開始まであと40分。ピッタリ。
いや、ピッタリでは困る。喉もカラカラ、クソゲーのせいで頭は疲労、おまけにパリに数日滞在するためにパンパンに詰まったバックパックを背負っている。余裕をもって到着し、エレガントにパリの授業の初回を迎えたかったものの、叶いそうにない。急いだ。私はまるで、、、

小粋なメタファーでレトリックを弄ぶ余裕もないほど急いだ。

地下鉄を降りて駅の改札を抜け階段を登ると、さきほどまで(ギャングスタ)とは打って変わって閑静な街並みだ。教室までグーグルマップを頼りに歩いてもうすぐかな?というあたりに差し掛かったところで向こうから顔を見たことのある人が歩いてくる。

あちらも私に気づいたようで、満面の笑顔でこちらに手を降り近づきエレガントに頭をさげた。
そう、偶然にもばったり担当の教授に会うことができたのだ。
彼とは何度もオンラインでは顔合わせしているもの、直接会うのはこれが初めて。
思っていたよりも高身長だが想像通り物腰柔らかく非常に温厚で親切なムッシュー。
ジャン教授(仮名)は、最初のメールで「ジャン教授へ」と書いたら「教授は肩書きであって、わたしではない」と言って「ジャンと呼んでくれ」と言っていた。生徒からも「ジャン」と呼ばれている。フランス語はvous(あなた・あなたがた)とtu(きみ、おまえ)と二人称とその動詞活用を使い分けることで敬語かフランクなくだけた表現かを使い分けるのだが、そのとき、もちろん彼はすぐにtuで話すように提案してきた。
私は少し授業に遅れ気味だったが彼に会えてとても安心した。彼も日本から学生を迎えられたことを喜んでいるのが伝わってきた。彼の案内で大学まで行った。フランスの大学はどこも構造が異常で中は本当に迷路のようになっている。
どんなふうに異常かと言えば、たとえば「302教室」に行きたいとする。今、目の前にあるのは「208教室」だとしよう。すぐ横の階段を登っても3階に出るドアはない。もう少し階段を登ると4階(正確には0階が日本の1階なので5階、この時点で頭は既にこんがらがり気味)。生徒に尋ねると、3階に行くには2階の時点で205までの教室がある方の棟に行ってそこから階段を登らなければならない、ということだ。(伝わりづらすぎてごめんなさい、挿絵で伝われ!(心の叫びです))



結局、ジャンも学生に教室を何度も訪ね、彷徨うこと10分ほど、ようやく教室にたどり着いた。教室へ入るとちょうどグループワークのようなスタイルで15人程度のフランス人が机を円状に並べて座っていた。見た感じ全員が白人、女性が多い。歳をとったおじさん2人がジャンと一緒に授業をする精神科医だ。
しかしここで文字数が来てしまった。この話はまた次の機会にしよう。

先ほどは書かなかったが、ジャンと会って案内されたのは、私の元きた道。
つまり、どうやら私は結局大学をあっさり通り過ぎてしまっていたようで、彼に道で会わなければ、パリの街で迷子、迷路のような大学内で迷子。
どうなっていたか、想像するだけでつらい。赤穂では迷子の女児をケアした私も、パリでは言葉もわからず道もわからずおかぁちゃんもおとうちゃんもいない。女児同然。
こんなアラフォー大学院生、七転八倒の日々は、まだ始まったばかりなのである。

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