【エッセイ】あてこすり歌

文学賞の受賞の言葉を必ず読む。その次のページに載っている受賞作と違わぬスタンスで読む。受賞の言葉には大抵、自分にとって小説を書くとはどれほどかけがえのないことなのかとか、対してどれだけ身近なことなのか、また、自分はどれだけ本を愛しているのか、敬愛する作家がいるとか、とにかく小説への恩義や愛情を持っていることが書いてある。他にも、小説を書くとは罪深いとか、世の中を変える、暗闇をさ迷う人を照らす光になる、人間を見つめるという深淵なところを見ている人もいる。

自分に無い視点を楽しめるという意味では面白い。

本が大好き、小説を愛している、作家を始めとした人を敬う気持ちがある人が書く小説は愛されると思う。その方々のお話が、本というモノになった暁には、大切され、宝物になるだろう。ぬいぐるみのように抱き締められ、寝る前に読む本に選ばれ、読者の枕元に置かれるだろう。

つい先日、母親の高校時代からの友人が訪ねてきて玄関で二人で長話をしているのを、階段の一番上に腰掛けて聞いていた。お互い、成人した子供との関係性に悩みがあるということを、鼻を啜りながら話していた。聞きながら、母親に悩みを打ち明けられる友人がいて良かったと、母親の友人に感謝していた。

母の友人が「サユキちゃんは、ちょっと違う見方をするからね」と言った。幼稚園の先生、高校の先生、高校の同級生、大学の先生、大学の同期、大学のカウンセラーにそう言われたことはあるが、雑談程度にしか話したことがない人にまで、そう言われる私って、身近な他人にとって相当ウザいんじゃないかとショックを受けた。ただ、もう言われ慣れているので、諦め混じりの微妙なショックだった。母親は「ねー、面白いけど」と答え、ゲラゲラ笑った。

違う見方をするとされる人は面白いのだろうが、友達にしたいとか家族にしたい人ではないのかもしれない。

愛情も恩義も連帯も絆も情緒も、違う見方をする人が書く小説は面白いか? 好きになってもらえるか? 戦況不利だと思う。

文化人類学の講義で、アフリカの民族の女性が歌うあてこすり歌があることを習った。アメリカの囚人が歌う作業歌、雪深い造り酒屋の労働歌のことも習った。

村の女性たちが集まり、粉引きなどのきつい仕事をしながら、旦那や父親への恨み辛みを歌う。「お父さん、何故わたしをこんなところに嫁に出したの」とか。

冷たい水で重い道具を洗いながら「嫌だ嫌だもう嫌だ辛くて寒くてしんどくてこんなの今すぐ辞めてやる」とか。

でも、それらの歌はあくまであてこすりであって抗議ではない。歌い終わった後に旦那や父親が自分の振る舞いを改めることを狙っていないし、労働環境が楽になることも期待されていない。旦那とも別れないし、明日も同じように働く。

あてこすりを歌う間だけ、自分が納得できないものとの関係性が違うものに、新しいものになるのであるらしい。

もう一度。受賞の言葉は面白い。

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