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"都会のキャリアウーマン"になりたくてなったわけじゃない

50歳になったことを機会にこの連載を書き始めようと決めたとき、まず一番目に大きくメモしたのは「今の立場は自らの意志でつくってきたものではない」という一文でした。

この言葉には2つの意味があります。

ひとつは「"都会でキラキラおしゃれに仕事をしてる独身キャリアウーマン"になりたくてなったわけじゃない」という意味。

もうひとつは「求められなければここにはいない」という意味です。

私は(たまたま今は)都心に住んで(たまたま今は)都心の会社にフルタイムで勤める(たまたま)独身の50歳女性ですが、このスペックだけで「キャリアウーマンなんですねぇ」と言われてしまうことがあります。

キャリアウーマン…って、何でしたっけ?

キャリア-ウーマンcreer woman 職業を持った女性。多くは、熟練した職業経験を持ち、第一線で働いている女性の意にいう。(小学館 精選版 日本国語大辞典)

うん、確かに職業はもっている。でも、熟練か? 第一線か? というと、そうじゃないんじゃないかな、と思います。

だって、生活するためにフルタイムの仕事をしてきたら、いつの間にかこの年齢になっただけなんだもの。

同じ仕事を続けていれば、そりゃあ熟練もするでしょうし、to Bであろうがto Cであろうが、相手がいる限り満身で臨んでいかなくてはならない。そして会社ではベテランとよばれ、第一線に送り込まれる…。

そういう状態です。

ちなみに私は、社外の多くのかたと仕事をするという部署にいるため何か肩書きをもっていると思われてしまうことが多いのですが、ヒラ社員ですし、部下もいません。

都心に住んでいるのも、田舎の出身だから東京の真ん中に住んでみたかっただけだし、移動の時間をムダと考えているので、どこに出かけるのも電車に15分、我慢できて30分しか乗りたくないというだけの理由。

都心の会社に勤めているのも、二度目の転職で入った今の会社がたまたま都心にあったというだけの理由です。

独身なのは離婚経験者でその後ご縁がないままだからだし、子どもがいないのは機会に恵まれなかったからです。

さて、これまで「こうなりたい」という目標を掲げることなくゆらゆらと生きてきましたが「確固たる意志をもってここにいる」というストーリーを求められることも多く、さまざまな場でそのようにふるまったこともありました。

今は「今の自分はこれまでの無数の選択の結果なのだから、自身のありかたをそのまま受けいれよう」と考えています。

(たまたま今は)都心に住んで(たまたま今は)都心の会社にフルタイムで勤める(たまたま)独身の50歳女性、という自分は、これまでの選択の結果としてここにいる。

そのことは受けいれているけれどそれを目指してこれまで生きてきたのではない、ということです。

自己評価(セルフ・エスティーム)の心理学的研究の先駆者である臨床心理学者のナサニエル・ブランデンは、自己評価を高め、充実感のある人生を送るために必要なことは以下であると述べています。

・自分を知ること=無意識的な生き方から意識的な生き方に変わること・ありのままの自分を受けいれること・自分の人生に対する責任を持って生きること(『自信を育てる心理学〜「自己評価」入門』/春秋社より)

「その時に最善と思った選択を繰り返した結果、ここにいる」のを受けいれるということは、自分の選択に責任をもつということでもあります。実はけっこう、勇気が必要な考え方だなと思っています。

そのために、まずは自分の現在を知るべくこの文章を書きはじめたのかもしれません。

でも、海外の大学や大学院に留学して複数の学位をとったわけでもないし、MBAホルダーでもないし、起業家でもないし、これからウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれることもダボス会議に呼ばれることもないでしょうけれど、一般ヒラ社員の50歳女性である私は、案外と今日も楽しく幸せに生きているのです。

もうひとつの「求められなければここにはいないっすよ」については、また日を改めて書きましょう。

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