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じいじのひな人形

三月三日は桃の節句、ひな祭りだ。女の子の健やかな成長を願う行事。
我が家も今年はおひな様を出すことにした。

我が家は母子家庭ということもあり、日々の家計に余裕はないのだけど、おひな様は私が小さい頃に買ってもらったものがまだ大切に取ってある。お下がりで申し訳ないなと思いながら、押し入れの奥からひな人形の入った段ボール箱を探り当てて引っ張り出す。私が部屋の奥でごそごそとしていたので気になったのか、作業しているところへ娘がやってきた。

「ママ、なにやってるの?」
「もうすぐひな祭りだから、おひな様を準備するのよ」
「おひな様ってなに?」
「そうね、王子様と、お姫様の人形みたいなものかな」
「ほんと!?ねえねえ、見てみたい、見せて!」

ちょっと待っててね、と言いながら段ボールの梱包を丁寧に解いていく。最後に被さっていた緩衝材を取り除くと、ガラスケースの中に男雛と女雛がひな祭りの歌のようにすまし顔で並んでいる。

それを見た娘の反応は、私が思っていたのとは真逆だった。

怖い怖いと言って、泣き出してしまったのだ。

どうやら彼女の想像していたお人形とは違ったらしい。
ひな人形が怖いと泣く娘を見て、ちくりと胸が痛んだ。

脳裏に思い浮かぶのは、悲しげに、そして困ったように眉根を歪めたじいじの顔。

自分が小さかった頃を思い出す。私自身、早くに両親が離婚し、祖母も亡くなってしまっていたから、母親と祖父に育てられた。祖父のことはじいじと呼んでいたけれど、ほとんど父親代わりのようなもので、授業参観も三者面談も働いていて忙しい母に代わって参加してくれていた。少し大きくなると他の子たちと違うということがたまらなく嫌になって、「授業参観来なくていいから」と言って困らせたりもした。そんなときにじいじはいつも悲しそうな、困ったような顔を浮かべて何も言わずにこちらを見つめるのだった。

私がじいじにそんな顔をさせてしまった、はじめての時がひな祭りだったと思う。

ある日、嬉しそうに「プレゼントだよ」と言ってじいじが一抱えほどの箱を持ってきた。わくわくしながら私が持ってきた箱を開けてみると、中に入っていたのがひな人形だった。男雛と女雛が2体でセットになってガラスケースに収まっているタイプのもの。私は当時はやっていたテレビ番組の主人公の少女が持っている魔法のステッキを期待していたから、こんなのいらない、と言ってじいじを困らせてしまったのだ。

今にして考えてみると、当時だってうちは家計が苦しかったはずで、そんな中で決して安くはないだろうひな人形を、私のためにじいじは買ってきてくれたのだ。自分が親になってみて、あの時のじいじの気持ちが痛いほど分かった。
思い返せば、亡くなる直前の病院のベッドの上でも、じいじは泣きはらす私に向かって、あの時のような困った笑みを浮かべていた。最期まで困らせちゃっていたな、そう思ってしまう。

「ママ、泣いてるの?どこかいたい?」

娘の心配そうな声に我に返ると、私は顔を手で覆って泣いていた。人形が怖いと泣いていたはずの娘は、小さな手で私の袖を引っ張り、不安そうな顔でこちらを見上げている。私は涙を拭って両手を広げ、娘をぎゅっと抱きしめる。

「大丈夫よ、なんでもないの」
「ほんとう?」
「ええ、本当よ」

娘の頭をゆっくりと撫でながら、私は心の中でつぶやいた。

ごめんね、じいじ。
それと、ありがとう。

じいじのおかげで、娘にひな人形を見せてあげることができたよ。今日はちょっとびっくりして泣いちゃったけど、きっとそのうち分かってくれると思う。

かつての私のように、限りない愛を注がれているということを。

腕の中でくすぐったそうにしている娘のぬくもりを噛みしめながら、まぶたの裏にはっきりと浮かぶじいじの照れたような笑顔に向けて、私は精一杯の思いを込めて微笑んだ。


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