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あなたの色で


パレットの上で何度も何度も色を混ぜなおす。

いつまで経ってもこれだ、という色が立ち現れてこない。
今日は朝からもうかれこれ6時間ほどもそうしている。キャンバスの中の空は呆れたような白のままで、一向に進む気配がない。
夏の色、夏の空の色を決めかねていた。

8月の終わり、開け放った窓から少しぬるんだ夏の光線が差し込むアトリエで空を見上げる。夏の盛りのどこまでも突き抜けていくような空とはまた違った、少し肩の力が抜けてきた空。
遠くに浮かぶバニラアイスを盛ったような雲は、端っこを薄くたなびかせてまるで溶け出しているようだった。ぺったりと溶け出した雲はほのかに秋の気配を感じさせている。

目の前に「それ」があるのに描けないというのは今の私にとってこの上ないほどのストレスだった。
描きたいのに、描けない。

うろうろと意味もなく宙を彷徨わせているペインティングナイフを置き、キャンバスの前からいったん離れる。

乱雑にものが散らばったテーブルが妙に気になってしまった。積み上げてあった画集を本棚に戻そうとして抱えると、画集の陰に埋もれっぱなしだった、小さな絵が目に留まった。
縦横20㎝程度の小さな絵。
それはボランティアとして自立支援施設で絵画教室を行った時の、一人の生徒の絵だった。本人曰く、施設から見える海と空を描いたとのことだったが、無数の色の点描で構成されたそれはどこまでが海で、どこからが空なのか、私にはまったく判別がつかなかった。

それでも本人はとても嬉しそうに「出来た!」と叫んで私に絵を渡してきたのだった。

そもそもどの段階で絵が「出来た」と言えるのか。私もいまだに分かっていないところがある。


―――ああ、そうか。それでもいいのか。


私はベランダに出て空を見上げ、そして目を瞑る。


空。


夏の空。


私の中にある空。私が感じる空。


なまじ目の前にあるから、それをそのまま描こうとしてしまっていた。写そうとしてしまっていた。


初めて24色のクレヨンを与えてもらった時のことを思い出す。
グラデーションに並べられたクレヨンは世界が原色だけで出来ているわけではないことを私に教えてくれた。

私がクレヨンを使って最初に描いたのは、その日の夕焼けだった。

見ているうちに次々と夕焼けの色は移り変わっていき、
赤、
橙、
紫、
青、
藍、
黒、
順番に目に映ったすべての色を私は画用紙に塗り重ねていった。
最終的に真っ黒になってしまった画用紙を見て、苦笑した母親の顔が浮かんでくる。

あのとき私は流れゆく時間すら画用紙に写し取ろうと懸命だった。

それに比べれば、なんということはない。


私は目を開いて一度大きく息を吸い、全身で夏の空を感じとると、それを逃さないようキャンバスへの挑戦を再開した。

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