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【星蒔き乙女と灰色天使③】愚者と天使は踊る


【4日目】星はまだ輝いて


 
 気がつけば季節は過ぎて、もう桜が散る頃、曇り空ばかりのこの地域には珍しく晴れた日が続いている。

 相変わらず仕事は忙しく、結局人件費の問題は学生バイトが卒業と同時に退職することで一応の解決となった。ただし、人数は減って仕事は減らない、それはすなわち社員の残業時間が増えることに他ならない。

 さすがに休日まで働く、ということはまだないけれど、他のお店では当たり前のように休日出勤が発生してきているらしい。そろそろ、ここで働くのも潮時か。

 元はといえば、少し本が好きで、ミギがいたから入ったような会社だ、愛着が全くないと言えば嘘にはなるけど、かといって馬車馬のように働く気力もない。簡単に言えば、なんとなく働けるから働いている、そんな感じ。

 ミギが消えてから、そんな日々が続いている。世界と私の合間に透明な膜が張っていて、そこから見える世界は普通に、いつも通りつまらなそうに日々を続けていて。

 そこから少し離れたところで、世界からはじき出された私がそれを見ている。世界の中にいないのだから、そこに影響を与えることもなくて、ただただそこにいるだけ。

 我ながら、またもやクサい表現だとは想う、でもその通りだな、とも思う。私がここにいる意味とは。
 ああ、なんだか今日はスピリチュアルな気分、このまま進むと後で読み返した時、恥ずかしさで頭を抱える事になるだろうから、さっさと小説に切り替えよう。
 
                ○
 
 思い出した。彼女があの日、ベッドの上で何を言っていたのか。
「私には、美しい希望、なんてきれいすぎるだろう?」
「・・・・・・そうだね」
 そうだね、じゃない。
 
                ○
 
 隣でシーツにくるまって、煙草を吹かす彼女を見ながら、ずっと気になっていたことを聴いてみる。

「ねえ、ミギ」
「・・・・・・」

 貌だけこちらに向けて、紫煙を吹きかけてくるミギ。煙を浴びせられた私はともかく、それを吹き出したミギまで嘔吐いているのはどういうことだろう。

「なんでミギは、ミギっていうの?」

 まるでロミオとジュリエット、いつの間にか二人だけの世界。ふと思い出したのだけれど、書店員時代の彼女の名札には、「有栖川美希」と書かれていて、確かに「ミギ」と読ませようとすれば、そうとも読める。でも正しくは「ミキ」だ。

 きっと「ミギ」という名前は、彼女が私を「アキ」と呼ぶようにただのニックネームでしかない。それに意味深に私が食いつくものだから、ミギも面白がって名前に意味を与えてみたのだと思う。

 要するに、抱かれた後の私は「愛する人のことを何でも知りたい系女子」になっていたわけだ。ただ、それだけのことで。

 煙草の煙で文字通り煙に巻こうとして失敗した――すごくかっこ悪い、ミギは降参するように両手を挙げて、「笑わない?」と上目遣いに見つめてくる。

 その様子があまりに可愛らしく、抱きしめたい衝動に駆られながらも、激流のような感情を押し込めて「うん」と一回だけ頷いた。

「・・・・・・美しい希望、だなんて名前は私にふさわしくない」
「・・・・・・ふふっ」
「笑ったな?」
「笑うよ、急に真顔でそんなこと言われたら」

 妙に張り詰めた表情で反抗期の子供みたいなことを言うものだから、耐えきれなくなって吹き出してしまう。そんな私を責めるようにミギがにらんで、私はあどけない少女みたいな笑顔で言葉を返す。

「たまには可愛いこと言うんだ」
「・・・・・・私が本当に美しい偽物だったら、アキはどう思う?」
「美しいのは譲らないんだ」
「もちろん」

 自信満々といった表情で微笑む彼女の顔は、自信の通り整っていて、染めているくせに傷みのないストレートの髪、色素の薄い陶器のような白い肌、瞳は黒が恐ろしいほどに濃くて、見つめられると引き込まれそうになる。
まるで誘惑する悪魔の瞳みたいに。

 しかし、そう言われてみると、整いすぎているとも言える彼女の魅力は、どこか人ならざるものに近く、もちろん整形なんてしていないことは知っているけれど、美しい偽物、確かにそんな言葉が似合っているような気もした。

「ねえ、アキ」
「なあに、ミギ」

 「ミギ」という呼び方に熱が入って、甘えた響きが声に混じる。そのまま唇を奪おうと彼女の首に手を伸ばすと、細い手でやんわりとはじかれてしまった。

 仕方なく話の続きをしようと、疑問を投げかけてみる。まだまだ私は恋人のことを何でも知りたい系女子だったし、この頃には明確に私たちは付き合っていたはずだ。

「でも、ミギが偽物ならなんの偽物なの?ミギも毛布になるの?」
 こないだ読んだ漫画の内容をそのまま伝えてみる。ミギが毛布になってくれるなら、それはそれで嬉しい。

「・・・・・・毛布にはなれないかな」
 浅くツボに入ったのか小さく笑い声が漏れて、真剣だった表情が柔らかく崩れる。けだるい夜の時間が部屋を侵食していて、暗闇で空気がどろりとうごめく。
「ミギも読みなよ、面白いよ?」
「んー考えとく」
 ミギがいつもそう言って、私のオススメを簡単に受け流す癖がある。まあ、読書遍歴というか、刺さるジャンルがかみ合わないせいもあるのだけど。

「・・・・・・人間の偽物だったら」
「なんだ、やっぱり読んでたんじゃん」
 かみ合っているようでかみ合っていない会話。行為の後の疲労感と生ぬるい空気が私の思考を溶かしていた。

「・・・・・・アキは疲れると途端にアホの子になるよね」
「そんなことないし!」
 ・・・・・・ああ、書いていて自分で死にたくなってきた、なんて会話を繰り広げているの、この時の私。それに、実際はこれの数倍はアホの子をさらしていた気がする、思い出すだけで吐きそう。

 今話してもしょうがないか、と諦めたのかミギは大きく域を吐いて、「それじゃあ、ロマンチックな話をしようか」と方向転換を図る。

「アキはペテルギウス、という星のことを知っているかい?」
「名前だけ」

 突然何を言い出すんだろう、と思いながらそう返すとミギは「だよね」と小さく笑って「その星は、すでに爆発してもうどこにもない星。でも、地球にいる私たちからは、そこにあるかのように見えているんだって」と、懐かしむように話してくれた。

「星、詳しいの?」
「・・・・・・ううん、全然」
 少しの間の後、軽く首を振って小さく微笑みかけるミギ。どこかその表情は暗く切なげで、豆電球だけの薄闇の中でも、愛おしさを感じたのを頭のどこかで覚えている。

 その後話してくれた事によると、あまりに遠いところにあるせいで、光の速さを持ってしても私たちのところに光が届くのに、何百万年とかかる。つまり、なにが言いたいかと言えば――

「もう、その星はなくなっているかもしれないのに、私たちはその残光をオリオン座としてありがたがって眺めている」
「ありがたがってるかはわからないけど」
「ふふっ、とにかく。その星の光のように、私たちが見ている、触れているこの世界も、遠い誰かの記憶だったとしたら・・・・・・面白いと思わない?」
「・・・・・・どういうこと?」
「つまり、ね。私たちが生きているようなこの世界は、遠い遠い地球の記憶。走馬灯のようなその景色の中で、私たちは時を過ごし、生きている実感を覚えている。本当は、もう星は爆発して、何も残っていないのにね」
「つまり、この時間も地球が見ている走馬灯ってこと?」
「そういうこと」

 ふぅ、と大きく息を吐いて「珍しく長く喋って疲れちゃった」とミギは、これまた珍しく甘えるように私の胸へと頭を乗せる。
 ミギと違ってそれなりにある私の胸に顔を埋めて、上目遣いにこちらを見上げてくる彼女の頭を撫でながら、回らない頭でぼんやりと彼女の言葉を思い返していた。
 
                ○
 
 ミギは名前の通り美しい――そんなに美しくもないか、ロマンチックではあるけれど、くだらない嘘をついていて、ペテルギウスは今もまだ爆発していない、らしい。

 超新星爆発――宇宙の星が最後に見せる果てしない輝き、が今に起きる、起きると言われながら、その実態はまだわかっていないようで、最近ではその日が来るのはずいぶんと先、という研究結果もあるみたい。しっかり調べればきっとわかるのだろうけれど、今の私にその気力はなくて、なんとなくそんなものだよなぁ、と吹けば飛ぶような塵のような思考を繰り広げている。

 世界は相変わらずぼんやりとしていて、彼女の言葉の半分は嘘でも、もう半分は本当な気さえしてくるから、不思議。そうなると、これが誰かの遠い記憶の残り火だとしたら、もう少し幸せな記憶だったらなあ、なんて思わずにはいられない。ねえ、遠い誰かさん、あなたの人生、こんなものだったの?そんな追体験、私はごめんだな。

 それとも――これが私「秋音」が生きた記憶の走馬灯だとしたら。どちらにせよ、ロクなもんじゃない。だとすれば遠い誰かのせいにした方が気楽ってものね。

 滅びに向かって死にゆく世界、どんな生き方をしようとその先は宇宙の塵で、というよりこの世界が地球の記憶でしかないのなら、何をしようと運命は決まっているというわけで。

 夜が更けるにつれて思考が鈍化し、ネガティブな考えばかりが浮かんでくる。そんな想いに抵抗するように、頭を大きく横に振って。地球を救うヒーローの如く、世界を救う方法を考えてみる。
 あまりに子供っぽくて、あまりに幼稚染みた考えだけど、それならもう一度ミギと出会えたら、そんな運命に打ち勝った、ということが言えるのかな、と。

 彼女ともう二度と会うことはない、と運命づけられているとすれば、そんな彼女ともう一度出会うことができたら。
 迫り来る滅びに「私の勝ち」と勝ち誇った顔で、ミギと一緒に笑い飛ばせるそんな気がした。
 
                 ○
 

【5日目】愚者と天使は踊る


 不思議なお店を見つけた。外見は可愛らしい一軒家のようで、クリーム色の壁と明るいオレンジの屋根が柔らかい雰囲気を醸し出している。ドアは古茶けた引き戸になっており、ドアに填められた四角いガラスからはなぜか店内が覗けず、暗い闇だけが奥に広がっている。いくら日差しが強いとはいえ、おかしな感じだ。マジックミラーというわけでもないだろうし。

 とにかく、不思議というのはその雰囲気だけでなくて。お店の黒板――よくチョークアートなんかが書いてあるやつ、に書かれたその言葉。

「キオク、喰べます」

 明らかに日常と一線を画す、その言葉――文字はきびきびと鋭く、きっと几帳面な性格の人が書いたんだと思う、の隣には、なぜかポップな天使のアートも書かれていて。
 その天使もまた奇妙。金髪で虹色の羽根があって、なぜか瞳の色が灰色。普通、そこは碧眼じゃない?

 絵を描いた人の好みなのか、妙に目立つ灰色が――チョークアートで灰色って、どうやって出すんだろう、明るい絵にアンマッチ。でも、どこか惹かれるその言葉とアートに、つい足が向いてしまいそうになる。

 怪しい集会とか、アニメのコンセプトカフェとかじゃないといいけど・・・・・・書店にいれば嫌でも最近のアニメ事情には詳しくなる、とはいえ、それはあくまで売り物の価値として。興味がない場所に入り込んでしまった時の気まずさといったら、思い出したくもない。

 改めてドアから中をのぞいて見るも、やはり全く中は見えなくて、相変わらず私の顔がガラスに反射して写っている。あれこれ余計なことを考え始めると、ただのお店のはずなのに入ることを躊躇してしまう。
 とはいえ、このまま考え込んでいても埒があかないし、表の言葉は今の私にとって惹かれるものがあって。
 変な場所だったら勘違いしたフリしてダッシュで逃げよう、と一度深呼吸。力を込めてドアノブを引くと、ふわりとコーヒー豆を挽くいい香りがしてきて、小さく息が漏れる。いつもコーヒーの匂いは心を落ち着かせてくれる。

「いらっしゃいませ」

 声のした方を見ると、美形のマスターがにこりと微笑んで、「そちらへどうぞ」とカウンターの一席を案内してくれた。
 礼をいって、そちらを見れば、チョークアートにあった天使そっくりの――目の色も灰色だ、少女が先客として座っていて、思わず見惚れてしまう。ふと、思い出す。まるで、私が書いた小説の登場人物のような――。

 と、私の視線に気づいた少女はこちらを振り返り、私と目が合うと柔らかく微笑む。
「こんにちは」とひまわりのような明るい表情を浮かべ、ぺこりと頭を下げるので、つられて私も頭を下げて挨拶を返す。礼儀正しい子だ。
どうやらあのチョークアートは彼女をモデルに描かれたものらしく、背格好から見て年齢は高校生くらいだろう。

 なんというか、急に美形二人に囲まれてしまうといたたまれない気分になる。私もそれなりに美人で通っている方だと思うけれど、二人に比べたら天と地の差が・・・・・・いや、それほどはないと思うけど、とにかく人間離れした美しさなのだ。神様がとにかく気合いを入れてキャラメイクしたみたいな。改めて考えてみると、私の周りってそんな人ばかりね。

「どうぞ」
 席に座り、ぼんやり少女の美しさに目を奪われていると、どこか牽制するようにマスターがメニューをくれて、視線をそっちに持って行かれる。メニューを運ぶマスターの――男性にしては髪が長く女性的な顔立ちをしているし、女性にしては体の凹凸が薄い、性別不明のこの人を、私はなんて描写すればいいのかしら。中性的な美しさ、とか?

 焦げ茶色の表紙をしたシックなメニュー表は、とにかくシンプルで、本日のコーヒーやケーキ、セットメニューなどが優雅な文字で並んでいるけど、表で見た「キオク」なんて文字はどこにもなくて、疲れているのかな、とケーキセットを注文する。

 注文時、少女の視線を感じた。たぶん彼女もケーキが食べたかったんだと思う、どこか羨望と嫉妬の色が混ざったそれに、思わず視線をやると、あからさまに取り繕った笑顔で私を見る少女の姿。
 若さ故の素直さというか、いじらしさがすごく可愛らしい。彼女と同じくらいの年の頃なら、私も同じことをしていたかもしれない、それで・・・・・・そうそう、財布の中身と相談して、ね。

 がっくりと肩を落とす彼女を見て、マスターは可笑しそうに口元に笑みを浮かべ、追い打ちのように「今日のケーキはモカロールです」と私に教えてくれる。
 綺麗な人が意地悪げに微笑むと、どこか蠱惑的。
 目を細め、楽しそうに少女を見る・・・・・・もう私の中では「彼」ということにさせてもらおう、彼の瞳は夜空を溶かしたような藍色で、どこか紫の要素も感じられる。ミギの瞳が吸い込まれそうな闇の黒色なら、彼の瞳は溺れてしまいそうな、夜空の藍色。どちらにせよ、普通とは言い難い目の色だ。カラコンでも入れているのだろうか?

「・・・・・・ホロさんの意地悪」
 ぽつりとささやくように少女が呟いて、拗ねた顔でホロさんを見る。どうやらここのマスターの名前はホロ、というらしい。あと、年相応の甘えが混じった表情と声に、旗から見ていた私の方がキュンとしてしまったのは、ここだけの秘密。
 耳がいいのか「はいはい」と彼は少女の甘えた声を聞き流し、手際よく私が注文したコーヒーの用意が進んでいく。

 テキパキとマスター――ホロさん、がコーヒーとケーキを用意してくれている間、ちらちらと私の方を伺う視線を感じ、そちらに目をやるとばっちり少女と目が合って。
 悪びれる様子もなく、少女は笑みを浮かべてひらひらと手を振り「カグラっていいます」と自己紹介。

「ええと・・・・・・秋音です」
 つられて思わず名前を答えると「いい名前ですね」と灰色の瞳を細めて彼女は微笑み、「アキネ、アキネ」と口の中で質感を確かめるように、何度も私の名前を呼ぶ。
 柔らかな羽根のように優しい彼女の声が、ぼそぼそと聞こえてくるのはどこか心地よくて、その声にそっと耳をそばだてる。彼女の声は温かな毛布に包まった時のように安心できて、心地のいい気温と緩やかに流れるカフェミュージックも相まって、眠気を誘った。

「お待たせしました」
 少しうとうとしてしまったらしい、気がつけば目の前に湯気の立つコーヒーと可愛らしい丸皿の上に乗ったモカロールが置かれていて、甘い香りが鼻をくすぐる。
 豊かな香りを楽しむのもそこそこに、とりあえず眠気覚ましにとコーヒーを一口。
「あつっ!」
「慌てなくても取りませんよ」
 相変わらず私のケーキをうらやましそうに眺めながら、カグラちゃんがそういって笑い、ホロさんも追って微笑む。彼女の笑い声はコロコロと可愛らしく、ホロさんの微笑みは静かな水面に波紋が広がったような美しさ。
 ただどこか「できすぎた」彼の笑みは、ミギの笑顔を思いだし、小さく胸を打つ。
 あぁ、また思い出してしまった。無意識にぽろりと涙が零れ、テーブルをぬらした。

「・・・・・・あの」
 隣からそっと白いハンカチ――いい素材が使われているのだろう、窓からの日光を受けてレースが煌めいていた、が差し出される。 
あまりに急な出来事に、思考はあさっての方向に飛んでいて、一拍子外して「ありがとうございます」と、かすれた声でお礼を言って、涙を拭った。

「悩みごとですか?」
 滑らかでいて、存在感の強いホロさんの声。相手の内面に入りすぎないように、それでいて遠すぎない距離感を図るかのように、相反する二つの要素を併せ持っていて。
 たぶん、ここで私が「なんでもないです」と言えば、「そうですか」と彼は仕事に戻って、カグラちゃんが訳も知らずにとにかく励ましてくれるんだろうな、と今日会ったばかりなのにまるで往来の友達のようにそんな景色が浮かぶ。
 カグラはそういうキャラクターだし、ホロは・・・・・・。そうだ、二人は私が昔描いた小説の登場人物にあまりにもよく似ている。その共通点のせいか、つい簡単に気を許してしまった。

「あの・・・・・・」
 初対面の人間に、お酒もなしに、何を語っているんだろう、と冷静な自分もいて。
 それでも、堰を切ったようにミギのことを話す私の口は止まらなくて、とりとめもない――別れた恋人との惚気話とも取れるそんな話を、二人は呆れることなく根気強く聞き続けてくれた。

 どのくらい話し続けたのだろうか、軽い喉の痛みを感じて初めて我に返った私は、自分の血の気がさっと退いていくのを感じていた
 勝手に共通点を見つけて、勝手に気を許して。いくら自身の作ったキャラクターに似ていたとして、二人は今日初めて出会ったばかりの人たちなのだ。こんな話を延々されて困り果てているはず。我に返れば、あまりの気恥ずかしさに顔が上げられず、茹蛸のように真っ赤になって俯くことしかできない。いや、なるべく早く二人に謝るべきか。

「ええと、その・・・・・・」
 さすがにこのまま黙っては居られないと顔を上げて素直に謝ろうとする私の前に、すっと湯気の立つコーヒーカップが差し出される。しゃべり倒している間に、せっかく淹れてくれたコーヒーは飲みかけのまま冷めてしまっており、気を利かせてホロさんがおかわりを淹れてくれたらしい。
「そんな」
「いえ、素敵なお話を聞かせてくれたお礼です」
 あくまでスマートに。心情の読み取りにくいホロさんの顔からは、それが心からの言葉なのか、リップサービスの一環なのかは読み取れなくて、恐縮しながら新しいカップを受け取る。
「それで」
今度はにこりともせず、無表情に近い顔でホロさんが続ける。
「アキネさんはそんな素敵な思い出を『忘れたい』ですか?それとも『忘れたくない』ですか?」
 
                ○
 
 突然の言葉に耳を疑い聞き返すと、改めてゆっくりと、混乱する私の頭でもわかりやすいように彼は同じ言葉を言い直してくれる。
 隣ではカグラちゃんもまた真剣な表情で私を見ていて、再びこのカフェに入るきっかけとなったボードのことを思い出す。

「キオク、喰べます」

 ならば、今の私は甘い言葉にそそのかされ、罠にかかった猟師と同じか。二人は注文の多い料理店で働く山猫たち。メインディッシュは私の思い出。そのディテールが深ければ深いほど、味わいはより色濃く、鮮やかに・・・・・・。

「・・・・・・別に取って食べようなんてことはありませんから」
 ホロさんの呆れたような低い声で我に返ると、さっきまで黒みの強い藍色だった彼の瞳は深い紫色に――後でカグラちゃんに教えてもらったのだけど、この色は至極色、深紫に近い色らしい、染まっていて、確かに暗い色なのに闇に光る獣の瞳の如く、爛々と輝いて見て恐怖を煽る。
夜が降りてくる夕闇の、その時間を閉じ込めたような瞳の色は、ミギのどこまでも深い黒の瞳と錯覚するほど、怪しく、美しく、この世のものとは思えないほど。
 やはり彼は「ミギ」によく似ている。顔や姿形ではなく、人ならざる雰囲気というか。
「すぐに決める必要はありませんしね」
 そういって、笑う彼の微笑は、最初に向けてくれた優しいものと違って、氷のように冷たく、開いた口の端から鋭い牙が見え多様な気がした。
 
                ○
 
 少し、脚色しすぎたかもしれない。カグラちゃんにこれを見せたら、「ホロさんは怖くないですよ!」って怒られちゃうかも。
 本当に起きた事とはいえ、日常からあまりに外れすぎていて、他者が見れば絵空事に見えるだろうか。
 とはいえ、これは私が実際に体験した出来事で、先に書いた通り少し脚色はしているけれど、完全なファンタジーではない。まあ、それを証明することはできないのだけれど。
 ただ、あの時間はあまりに夢物語のようで、一瞬でもミギのことを忘れる時間が出来たのはよかったと思う。
 彼の「記憶を食べる」という言葉は、まだ信じられないけれど、もしかしたらそういうことができる人が本当にいるのかもしれない。まあ、こんなに近くにいるとは想いもしなかったけど。

 彼女がいなくなってから、初めて彼女のことばかり考えずにすんだ気がする。あれだけミギとの思い出を語り倒したせいかな。
 今日はこのまま倒れ込むように眠りたい気分だけど、ここで筆を奥にはあまりにも中途半端で。半分惰性で、半分興奮したままキーを叩いているせいで、自分でも段々と文章が崩れてきている自覚はあって。
 もう少し、もう少しとキーボードを叩くうちに夜が更けていく。2,3年前ならそれでも書き続けられたのだろうけれど、最近はそれも少しつらい。
 ミギがいなくなってから、夜が長いと感じていたけれど、書くことに夢中になれば、辛い夜は少しだけ早く過ぎて。また明日がやってくる。
 彼女を忘れたい気持ちと忘れたくない気持ちが私の中で相反する。
どちらの選択肢を選んでも後悔しないよう、せめて何が起こったか、とミギとの思い出を、ここにできる限り書き残そうと思う。

 ・・・・・・もう少し、生きていく目的ができて、よかった。

               ☆


に続きます。

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