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自意識過剰な性悪説


車椅子に乗って街に出るようになってから、
周囲の人々に対する自分の考えの変化に気がついた。
それも良くない考え方をしているという傾向に。

思い返してみるとこれまで普通に歩いていた頃は、
街行く他人達が自分をどうみてるかなんて気にすることはまぁ無かった。

せいぜい街で自分の姿が人目にどう映ってるか気にするとすれば
それはウインドウや鏡に自分の姿がふと映った時や、
ワイドショーのカメラが風景を映していた時、
スーパータイプな可愛いお姉さんが居た時くらいだった。

しかし事故で車椅子乗りになり、長期間入院し、
はじめて外の世界に車椅子で出るようになり始めた今、
以前より周囲の目を気にするようになっている自分に気がついた。

自分では、車椅子乗りになっても
以前と対して何も変わっていないつもりだったが、
「可愛そうな人」「助けが必要な人」として
周囲から見られている気
がどうしてもするのだ。

もちろんこれは自意識過剰で、
実際多くの人は自分を見ても何とも思っていない事が大半だ。
存在すら気が付かない人のほうが大半だろうし、
「あ、若い車椅子の人がいる」と仮にふと思ったとしても、
10数秒後には皆そんなこと忘れているだろう。

とは言え確かに、「助けてもらいやすい」というのは事実だろう。
坂道でヨイショと力を入れて漕ぐ素振りを見せるだけで
後ろからそっと車椅子を押してくれる人も少なくない。

店の入口などの急すぎるスロープを登るのに一度失敗し、
後退してしまい「よし勢いつけて登り直そう!」とか考えるものなら、
その時には既に通行人の方がいつの間にか後ろにいて、
押してくれていているなんてことが大半だ。

首都圏のような人の多い場所ほどこの傾向は顕著で
とても有り難い事だ。

しかし、前にも述べたように自意識過剰な
「可愛そうな人として見られている」意識が性悪説と重なった時、
被害妄想的な考えへと走ってしまう傾向がある
と最近ふと気がついた。


例えばエレベーター。

駅やショッピングビルなどで僕ら車椅子が
階をまたいで移動する際エレベーターを使う他ないのだが、
エレベーターを呼ぶと結構な確率で人で埋まった箱がやってくる。
そしてその既に乗ってる人の大半が、
「あんた歩けるだろ、エスカレーターで事足りるだろ」
って人で、何台も箱を見送らないといけなかったりする。

そのせいなのかエレベーターの前ではつい疑心暗鬼になってしまう。
エレベーターが到着した時に後ろの人が
車椅子の自分を追い越してエレベーターに駆け寄ろうものなら
「うわ、マジか。急いで抜き返して乗らなきゃ」とか思ってしまう。 
しかしその様な場合、大抵そういう人は
先回りしてドアを抑えてくれようとしてたり、
ボタンを押してドアを開けておこうとしてくれるとても優しい人なのだ。

そこで、少しでもその人を疑ってしまった自分が恥ずかしくなるのとともに
「態度の大きい車椅子の人」として
周りの目に映ってしまったのではないかと不安になり後悔してしまう。


多目的トイレでもそうだ。

僕らは広い多目的トイレじゃないとトイレすら入れないことが多い。
しかしショッピングモールや空港などでトイレに行くと、
大体使用中になっている。

そこでつい、「もしや健常者が使ってるんじゃないか」と思いを巡らせ、
不必要にイライラしてしまう。
でも大半は小さい子供連れのお父さんやお母さんが出てくる。

そしてまた
そんな事を考えて疑ってしまった自分が馬鹿らしく悲しくなる。

これらは、
車椅子であることを自意識過剰に捉えたうえで、
人を性悪説の立場で見てしまった時に起こっている。

もちろん車椅子になってまだ病院を出たばかり故の傾向であり、
時間や経験とともに今後このような状況に慣れてくるとは思うが、
<自意識過剰>+<性悪説>は何も生まない危険なものであると
自分に言い聞かせるのとともに、もう少し心にゆとりを持てと
今ここに反省したい。

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