見出し画像

毒親を怨む私が、毒母と同じ環境で奮闘する友人に離婚を勧める理由

アスペルガー症候群の夫と義母に振り回されながら、子育てをしている友人がいます。

私と彼女の付き合いは10年以上になります。
元はママ友として知り合い、出会ったその日に家庭での苦労を聞かされました。

以降、彼女から聞く家庭でのトラブルは深刻さを増し、頻発して行きました。

時には夫と取っ組み合いの喧嘩となり、着の身着のままサンダルだけを突っ掛けて、泣きながらわが家に駆け込んできたこともありました。

時を重ねるごとに、少しずつですが、ママ友の言動に妙なところを感じるようになっていきました。

親戚間に「狂っている」と言われている私の実母に、似た兆候が感じられました。

結婚後の理不尽な環境が女性に与える影響について、私見を述べる記事です。

毒親と私の生い立ち

私の母は、つじつまが合わない話しを繰り返したり人を攻撃して、自分がいかに崇高な人間かを泣いて喚いて主張する人でした。

私は18歳で家を出るまで、母に「あんたができたから離婚できなかったんだ」と言われて育ちました。毎日のように数時間拘束されて支離滅裂な言動に晒された結果、私は心身に不調を来しました。

視界が白く曇り倒れそうになる場面を、数えきれないほど過ごしてきました。私が体調を崩すと母の機嫌が悪くなりますので、決して表に出しません。
母の拘束が解けて自室に戻ってからも、母と父の激しい喧嘩の音に晒される環境でした。

飼い猫の首に手をかける想像をするほど、精神が追い詰められていました。
このままでは生きていけないと思い、進学を機に実家を出ました。

開放されたにもかかわらず、それまでため込んできた「なぜ愛されなかったのか」という疑問や、理不尽による不満が一気に噴出して、酷く精神的を蝕みました。それはその後15年以上に渡り体に残り続け、20年以上が経つ今も、時々顔を出します。

母は私だけでなく親戚にも、支離滅裂で、理不尽な発言をするようになっていきました。
記憶の塗替えや酷い被害妄想、作り話の嘘がわかり、親戚間で問題視されるようになります。

母は年老いた実母(私の祖母)を虐待し、「あの子は狂っている」と言われるようになりました。現在は親戚から総スカンを食らっています。

私は「母はどこかおかしい。狂っている」と思って育ちましたが、母には「あんたは頭がおかしい」と言われていましたので、私がおかしいのかとも思っていました、しかし母がおかしかったのだとわかり、ホッとしました。

祖母は母のことを、「昔はあんな子じゃなかったのに」と言いました。

続きはこちらで読めます☟

毒親を怨む私が、毒母と同じ環境で奮闘する友人に離婚を勧める理由

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?