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写楽…… アンタ結局なにがスゴイの?
東洲斎写楽
日本の美術史上、いや世界の美術史上においてもこれほど謎めいた人物が他にいるでしょうか。
控えめなダチョウ倶楽部のようなポーズでお馴染みの↓この浮世絵が異様なほど世界中に浸透し
活動期間実質10カ月にも関わらず現代へ伝わる名作を残した東洲斎写楽は、その知名度に反して人物像が謎に包まれた存在です。
つまり誰なんだ?という写楽の正体については別記事に書きますが
ここでは、なぜそんな人物の作品が現代に伝わるのか?
要は「写楽ってつまり何がスゴイんだ?」という点についてご紹介します。
![](https://assets.st-note.com/img/1712644243330-f1TeaAfULl.png?width=1200)
(やたらと有名な図柄だがこのキャラは恋女房染分手綱の演目内でワンシーンしか出ない悪役)
【衝撃的デビュー】
一般的な浮世絵師と言えば、北斎だろうが歌麿だろうが例外なく下積み時代があるもの。
ようやく一人前となっても型通りの小品やちょっとした挿絵などで何とか食いつないでいく、なんてことは当たり前のことです。
しかしながら、東洲斎写楽はその段階をすっ飛ばし大判サイズで雲母摺り(鉱石を混ぜキラキラさせたモノ)の豪華版で
版元(出版社)と枕営業でもよろしくしたのかと疑いたくなる異例のデビューを飾ります。
さらには当時抜群の知名度を誇った版元、蔦屋重三郎による完全バックアップという欠点を探す方が困難な態勢(因みに、この蔦屋とあのTSUTAYAは無関係)。
現代の我々同様、当時の江戸の人も思いました。
「いや、コイツ誰よ??」
【何がスゴイんだ写楽よ】
写楽は確認される活動期間僅か約10カ月、およそ140種しか作品を残していませんが、写楽の人物・表情の描写は、従来の浮世絵に比べあまりも”異質”で”特異”でした。
それは、異常な”リアルさ”にあります。
以前にも歌麿の記事(↑)の冒頭に少しふざけて書いてますが本来、浮世絵は基本的に人物を(個性がわかるように)”リアル”に描きません。
※
よく「歌麿は対象の女性それぞれの個性、内面までを描き……」とか言われますが
歌麿の描く女性の顔を解析して差(個性)を分析した酔狂な人がいまして、その研究曰く、整合率が96%くらいだったらしい。要は歌麿さん、あの顔しか描かん。
※
これが写真や洋画に見慣れた現代人からすると「絵が下手」に見える部分でもあるようですが、是非、漫画やアニメ的な視点で見てください。
コンタクトレンズがCDサイズになりそうな目も、重力完無視の巨乳も、髪の毛隠したら全員同じになる顔も、漫画やアニメでは許されます。
なぜなら、そういうものだから。
この描写の中に急にリアルな描写が入ってくると何となく戸惑う(のは私だけか?)
![](https://assets.st-note.com/img/1712648086843-XCU9NdXeX9.png)
写楽はこの「そういうものだから」という範疇からはみ出した人物の表情や身体的特徴を見事に描写した作品を生み出していきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1712648465933-lhTKufhNon.png)
リアルさを求めない浮世絵というジャンルにありながら、リアルを表現したその画面は200年以上の浮世絵史上において圧倒的な個性を放ち
従来の常識を破壊した革新的な表現だったのです。
【だが全くバズらなかった写楽……】
しかしながら、とんでもデビューを飾った写楽の当時の評判はパッとしませんでした。
当時の江戸文化界の中心人物の一人、太田南畝は大型新人の写楽をこう評します。
![](https://assets.st-note.com/img/1712651799902-OjSGn7ehYw.jpg?width=1200)
ざっくり、「リアル過ぎてキモイ。これじゃない感がスゴイ」
という辛辣なご意見。
やはり「そういうもの」で浸透してる二次元に思いっきりリアル要素をぶち込んだのがいけなかったようです……
太田南畝に限らず、当時は歌舞伎と言えば一大エンタメでありファンには”推し”がいます。
こうした役者絵はブロマイド的要素があるため、できる限り推しが”映えてる”のが当然ファンとしてはいい。
しかし、写楽はデカい鼻やらほうれい線やらがっつり描いてしまい歌舞伎ファンからもまぁまぁの顰蹙を買う事態になります。
特異性と確かな技量は認められる所ながら、世間受けが抜群に悪かった写楽はデビューから約10カ月でひっそりと過去の人になってしまうことに。
【写楽=世界三大画家!……ってウソ?】
ではなぜ、そんなぽっと出の絵師が現代に名を残し、あまつさえたった一枚で人様の年収を鼻で笑う価格で取引される存在になったのか?
そこにはやはり、ただの娯楽と視覚メディアに過ぎなかった浮世絵を芸術に昇華した西洋からの評価が重要になります。
(別記事にも少し書いております……)
「異国の興味深い文化」「ユニークな芸術」として最初から浮世絵に熱視線を送っていた西洋。
多くの傑作が日本から爆買いされていく中で、やがて目と感性の肥えたコレクターや批評家が誕生していきます。
そんな彼らの注目を集めた絵師の一人が、東洲斎写楽でした。
日本では美術(まして浮世絵など論外)評論などまともにない頃
西洋では浮世絵を美術史的に考察されており、明確な研究対象であり美術となります。
中でも、写楽の描写は他の天才絵師に劣らない独特の描写とそのミステリアスな存在から注目を集め、包括的なジャンル研究でなく写楽個人を対象にした論文が出るなど
本国では10カ月で忘れ去られたとは思えない地位を確立します。
やがて、いつからかレンブラント、ベラスケスに並ぶ”世界三大肖像画家”として評される存在となるのです。
…………が、この世界三大肖像画家はデマです。
現代でもたまに言われちゃったりしますがデマです。
諸説ありますが、そもそもドイツ人美術研究家のユリウス・クルトが「写楽を世界三大肖像画家とした」と言われていましたが
クルトの論文「Sharaku」は1910年の刊行・改訂においてもそんな文言は全くありません。
一説には、日本が写楽を再評価していく際、写楽の凄さを伝えるために「誰かが言ったこの言い回し」がインパクトがあり勝手に広まった、というのが定説のようです。
”よそが「これスゴイ!」って言ってたら感動する”付和雷同集団、日本人。
その習性はこのあたりでも健在の模様……
「そういうもの」という慣習を破壊し、美術史において逸脱した存在となった東洲斎写楽。
「写楽って結局だれなの?」というミステリアス要素が、その存在感に拍車をかけますが
その点については、別記事にまた書ければと思います。
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