喜多川歌麿〜幕府にケンカを売った浮世絵師〜
あだち充も「同じ顔やないかい!」とツッコミを入れたくなるこの絵の作者は
喜多川歌麿
という1753~1806年を生きた江戸(時々栃木)の浮世絵師です。
当時、社会現象にもなるほどシャレにならない人気絵師であった歌麿。
しかし、この活躍が気に食わない組織に目の敵にされます。
その組織の名は日本最高統治機関、江戸幕府。
歌麿の画業は、”政府”の弾圧に”一人の絵師”が己の「表現」のために立ち向かった闘争の歴史と言えます。
(雑に言えば「ああ言えばこう言う合戦」)
パネルの美女を信じて震える待合室
部屋中に積まれる使用用途不明のブロマイド
そんな男たちの情熱は、江戸時代においても例外ではなく
浮世絵は、そんな汗ばむ日本男児の熱意を叶えるために吉原の遊女や市井の美人が数多くの題材となりました。
その中でも、歌麿の作品は当代随一の人気を誇ります。
今なお、名の伝わる浮世絵師の中でも比類なき人気と市場価値を誇り
2016年には「歌撰戀之部・深く忍恋」という作品がオークションにて600,000ユーロ(当時レートで約72,000,000円)というアイドルのブロマイドがチリ紙に感じる市場価値で落札されるほど。
しかしながらその知名度に反し、不思議なくらいその生い立ちは謎に包まれている歌麿。
分かっていることは、若くして絵師の道を歩みつつ、吉原など遊郭に馴染み深い人物であったということ。
それだけに女性に対する熱意と表現は自他共に認める高次元な領域であり
歌麿に似せれば売れる、と流通する偽物に対してわざわざ作品の中に
「てめぇらアホがマネできるわけねぇだろ」
「パチモンで小銭稼ぎするカスに本物ってやつを見せたるわ」
などと書いて煽り倒す始末。
しかしながら、一度歌麿が絵の題材にすれば、その女性を一目見ようと見物人が殺到して規制がかかるほどで
画力、影響力ともに一絵師の範疇をはるかに凌駕していました。
そんな人気絶頂の歌麿を見せしめに叩きのめそうとしていたのが、江戸幕府です。
歌麿絶頂期の時代、つまり田沼意次が政権を握っていた時代は
享楽的な時勢があり浮世絵の美人画やら歌舞伎やらが爆発的に流行りますが松平定信が政権を握ると「日本人たるもの慎ましくあれ」と調子こいたことを抜かした結果
一転して享楽・贅沢・華美などの要素は次々に規制されます。
当然、歌麿の十八番である遊郭、美人を題材にした作品も容赦なく規制の対象となります。
幕府が目指す風紀のためには、一番目立つ歌麿を潰せばミッションコンプリートなため
どこぞの検討が大好きな首相もびっくりのスピードで歌麿を捕まえるためだけに法律・制度をコロコロ変えていきます。
【第1ラウンド】
それまでの浮世絵は女性(人物)の着物(全身)を豪華に描くだけでなく、背景などにも技巧を凝らしましたが
幕府「とにかく派手なの禁止な」
などとどこぞのブラック校則が喝采を送るレベルの規制を吹っかけてきますが
歌麿「じゃあ 女性をドアップで描くわ」
といった感じで、本文出だしの画像のような女性の胸から上を描く所謂「大首絵」という手法に加え、背景を描かずに女性を表現するようになります。
しかしながら、このせいで逆に女性のご尊顔が拡大されたため人気が出てしまい、題材となった一般女性の店に大衆(野郎ども)が殺到する事態に。
質実剛健を目指した規制が逆に下衆な野次馬を生み
「言われた通りにしただけですが?w」と小首を傾げる歌麿に幕府はキレ始めます。
【第2ラウンド】
絵に採用された一般女性を一目見ようと下衆が湧いてくる… だったら誰か分からないようにすれば良いじゃない。
幕府「人の名前描くの禁止な」
と、浮世絵の中に当世の人間の氏名を描くこと禁じます。
ぶっちゃけ止めときゃいいのに歌麿はこれに対して
歌麿「じゃあ 暗号で描くけど読めるかな?w」
と、匿名を笠に着たネット上の暴言厨も見習ってほしい煽りをかまし、国VS個人が法律ベースでイタチごっこをする異常事態に。
政府が一絵師に何しとんねん感はありますが、それだけ歌麿の影響力がシャレになっていなかったことが伺えます。
※
因みに本文出だしの三人の美人画も最初は右上に名前が書いてありましたが、後世に再販されたものは名前が消されています(コレはそのバージョン)。
また、歌麿の暗号文は「判じ絵」と言われるもので江戸庶民に一般的だった絵言葉遊びなのでお暇な方は検索を。
【第3ラウンド】
幕府「とにかくもう”そういうの”禁止!」
ボルテージの上がった幕府は歌麿の挑発的な切り返しに全面的な禁止を要求し、歌麿の制作を食い止めようとしますが
煽りの天才でもある歌麿は
歌麿「分かった分かった。伝統的なよくあるヤツ描きますよ」
と、男児の成長を願って描かれる当時一般的だった吉兆図柄の「山姥と金太郎」をこのように仕上げます。
エロい。不必要にエロい。
おねショタ属性の萌芽を垣間見せるかのような本作に、日本人のエロ漫画の魂すら感じさせます。
規制が裏目に出過ぎて、逆に歌麿の表現力を広げてしまっている気さえします。
【第4ラウンド】
幕府は考えた。
そして法律関連だけでなく人間関係でもまぁまぁのタブーに踏み切ります。
幕府「そうだ… 後出しで法律変えればいいんじゃん。」
相変わらず揚々と制作を続ける歌麿は、当時京都で書籍や演劇で流行っていた豊臣秀吉を題材にした太閤記に興味を持ちます。
そして、出版されたのが「太閤五妻洛東遊観之図」という作品。
これが歌麿が刑に処される原因になります。
当時、江戸幕府・徳川家に関する出版・製作などは禁止されていましたが
それ以前の武将などの人物を題材に採ることはある程度許されていました。
が、この作品が出版されるや幕府は「江戸幕府以前の武将」を題材に採ることを禁じました。
勝てない相手にチートを使って勝つというダーティプレイを成し遂げた江戸幕府。
歌麿は手鎖という風呂トイレ以外バカでかい手錠を付けて50日間生活(しっかり見張り付き♪)の刑に処され
その心労などが祟ってか、それからおよそ2年後に息を引き取ります。
見事なまでの煽り性能と技量で、規制の中で逆に守備範囲を広げる絵師、歌麿。
その多様かつ鋭敏な表現の女性たちが、やがて西洋人の心を捉え
明治期でゴミ捨て場に積まれていた浮世絵たちを高額な美術品へと変貌させる原因にもなっていきました。
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