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小説「Webtoon Strokes」9話

仕上げの担当者の白石が、勢いよくチャットに文章を書き込んだ。

「ウェブトゥーンの仕事って全然儲からなくない?」

「思ってたより作業量多いし・・・。」

「修正もフィードバックも何回も入れるの?って感じ。」

「なんか編集の木村さんも頼りないし、進行大丈夫なのかな?」

楓が誘われたチャットツールのグループではスタッフのみが招待され、今回のウェブトゥーン制作についての本音が赤裸々に話されていた。

背景担当のマロ、着色担当のzzz、仕上げ担当の白石、がそのグループのメンバーだった。

「マップルさん(楓)はどう思う?」

仕上げ担当の白石から突然メンションが飛んで来た。どうやら彼女がこのグループを作成した様だった。

「そもそもさぁ、ponchoさんのネームが酷すぎない?? あれじゃあ4コマ漫画と変わらないじゃん。あれでギャラ貰えるのかな?信じられないんだけど。殆どマップルさんが描き直してるんだよね。仕事が不公平過ぎる。」

どこの世界にでも、表面と裏面、本音と建前が存在する。楓がこれまで経験して来たアルバイトの舞台裏であるロッカールームでも、この様なスタッフの本音に近い発言が陰ながらやり取りされていた。

"この仕事もそうなのか。"

楓はこの手の会話が苦手であった。彼女はそこに、何の意味も成果も生産性も感じられなかった。人々が一緒に働き、思いを交差させる場では、時には摩擦や不協和音が生まれるのは、避けられないことだと知っていた。しかし、その微細な不和が働き手の情熱や士気を引き下げる要因になり得ると彼女は感じていた。

「私はなんとも・・・。」

楓はお茶を濁す様な返信を投稿した。その言葉の中には、心の中の迷いや戸惑いが滲んでいた。グループの中には、既にネガティブな雲が立ち込めていた。その空気は、彼女の一言一言が、踏み絵の様に試されることを暗示していた。

話題の中心に立っていたのは、ネーム担当 のponchoだった。彼女の存在が、白石の鋭い矛先となり、疑念や非難が吹き荒れていた。彼女のネーム作家としての実力への疑念、見た目の華やかさがSNSの人気の源泉であるという皮肉、そして、Infiniteという輝かしいクリエイター集団の一員としての特権を持っているという、微妙に歪んだ妬みが混じっていた。

それが全て的外れだと感じない所が、楓の判断を曖昧なものにした。

彼女は、確かにponchoのネームに自らの手を加えていた。しかし、それは彼女にとっての重荷や煩わしさではなかった。むしろ、彼女はその作業において創作の楽しさを感じていた。しかし、白石の文字に込められた感情は、その思いを曇らせるものであり、楓の心の中に複雑な感情の渦を生み出していた。

「私だって結局、仕上げだけじゃなくて、着色作業もやらされてるし。担当編集の木村の進行管理、滅茶苦茶でしょ。だから素人編集は信用出来ないんだよ。」

白石には、これ迄ゲームやアニメの業界でCG技術を駆使して仕事をして来た豊かな経験があった。彼女の手によって描かれるエフェクトや効果が、画面上で絵の魅力を引き立て、一つの作品としての深みを増していた。CGの知識には疎い楓から見ても、白石の作業の卓越性は明らかであった。

楓は自分の思いを白石に素直に伝えた。

「白石さんの仕事、素晴らしいと思いました。」

しばらくの静寂の後、白石からの返信が届いた。

「私の役割は、何処までいっても裏での作業だよ。作品のクレジットとしても掲げられる事はない。どれほど技術があって精魂こめて仕事をしても、その成果が世間の目に触れることは稀。世の中には、どんなに頑張っても、名前が知られることなく、その実力を示す場すら得られない者もいる。」

それは白石の心の深い部分から湧き出る信念のようなものであり、楓はその言葉の重さに異議を唱えることはできなかった。キーボードの前で、彼女の指は一瞬硬直し、動きを止めてしまった。その間、画面上には白石からの言葉が映し出された。

「マップルさん、ありがとう。」

この言葉によって、楓の心の中に閉じ込められていた緊張感が、やわらぎ、溶け去っていった。

白石の話題は、徐々に彼女が歩んできたゲームやアニメの世界へと移っていった。楓はそれが白石の独特のコミュニケーションの形であると解釈した。

個人の作業で作られる漫画とは異なり、ウェブトゥーンの制作には、多彩な個性が絶えず交錯する。その多様性は、完成した作品の一コマ一コマに刻まれるだけでなく、関わるスタッフの現場の空気感にも色濃く表れる事になる。

多数の人の手によって生まれる作品の中には、心の奥底に秘められた感情や思いが否が応でも繁栄されていく。楓はこのグループ内での繊細なやり取りが、共同制作の一部であることを認識した。