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小説「Webtoon Strokes」8話

ウェブトゥーン1話の分量、70コマ。

ネームのコマをスクロールする度に、木村の胸中は確かな手応えに心を打たれていた。現代の女性がアーサー王の古の世界に足を踏み入れ、騎士ランスロットとして転生するヒロインの運命が織りなす物語の筋が、絵に宿る躍動感とともに目の前に展開されていく。

しかし、ウェブトゥーンの編集経験の浅い彼にとって、このネームがどの部分で彼の心を捉えてたのかを、正確に言葉として表すことは難しかった。編集者としての立場からすれば、それは大いな失態かもしれない。物語の魅力を緻密に言語化し、作者に明確に伝えるのが彼の役割であると、木村自身も痛感していた。だが、この物語の魅力をどの言葉で表現するべきか、彼の中で答えは見つかっていなかった。

「先生、これは秀逸です!」

という言葉が、木村の心にはただ浮かぶのみだった。

「ありがとうございます」

ありふれた賞賛の言葉ではあるものの、その感想が楓の心には深く響いていた。彼女はそのネームを元に、作画の作業へと移行していった。

スタジオアングルでは、ウェブトゥーンの制作はチーム制で進められていた。物語の源となる原作、それを具現化するネーム、そして作画と背景、鮮やかな色彩を添える着色、最後の仕上げという流れで、各々の担当者が作業を行っていた。

ウェブトゥーンの世界では、豊かなフルカラー作品が主流となっており、今作の「アーサー王と円卓の騎士」も例外ではなかった。その色彩に生命を吹き込む作業は、週刊連載の厳しいスケジュールの中で、短い時間の中に圧縮されて行われている。ネームが完成するや否や、木村は次の工程へと作業の指示を出した。

「マロ先生、今回の背景、よろしくお願いします。」

背景を担当するマロは、漫画アシスタントとしての経歴を持ちつつ、趣味で磨いてきた3Dツールの技術を身につけていた。古の城や豪華な宮殿といった入り組んだ背景は、彼の手によって3D素材を利用して描かれた。ウェブトゥーンの業界での3D背景の使用は、今や一般的となり、その技術を持つクリエイターが日増しに増えている。

背景制作の順番は制作進行において重要な要素だ。ネームが完成した段階から、背景の指示は緻密に計画される。まずは人物の存在を伴わない、背景だけの場面が手がけられ、続いて人物が小さく映る遠景、次に人物のアップの背後の背景と進み、最終的には背景と人物が融合するシーンの制作へと移る。ネームである程度のアタリさえ決まっていれば後々人物線画が上がった後でも、背景の位置などを調整しやすいものを優先させていくのが鉄則だ。

「理解しました。」

寡黙な返事ではあったが、彼の職人魂が静かに伝わった。

楓の線画が完成した後は、次は着彩の作業へと移行する。担当スタッフはzzzという名の女性。元々イラストレーターだったが今回は着彩担当として木村がSNSから誘ったのだ。彼女の手による淡い色彩は作品を繊細に包み込む。木村はzzzの才能に期待していたが、彼が予想した進行よりも、彼女のペースは緩やかだった。色彩の美学の背後には細部への情熱と、それを形にする作業時間が必要だった。一枚の絵に命を吹き込むイラストレーターの資質を持つ彼女は、70コマという大量の作業に翻弄されてしまっていた。

木村の胸中には、ディレクターとして締め切りの迫るプレッシャーが渦巻いていた。進行が予定通り進まぬ現状を前に、二つの選択が立ちはだかっていた。ひとつは1話目の締切りを延ばす事、もうひとつは新たにカラーリングのスタッフを加える事。

スタッフの増員という選択は、すでに組まれている予算組みを崩すリスクを孕んでいた。そして締切りを延ばすというのは、2話目以降の制作のスケジュールを乱しプロジェクト全体の遅延に影響を与える恐れがあった。

漫画編集経験の浅い木村は知る由もないが、通常の雑誌掲載の漫画制作において締め切りというのは人気よりも優先される事があるのだ。それは印刷所との関係であり、一日延ばすごとに多額の費用が掛かる。その為、執筆速度は雑誌連載においては必須条件とも言えるのだ。速筆はこの世界で生き抜くための重要な武器なのだ。

木村は本来仕上げ予定だったスタッフの白石に頼み、着彩の増員を測った。その分の予算は超過になる為に、木村には新たに上長との予算交渉というミッションをこなさなければならなくなった。

月日は経ち、ネーム制作から既に2週間。時間は流れ、ついに1話目の原稿が完成した。締切は想定をオーバーしたが、完成した原稿を見て木村は感動を覚えた。感慨深いこの瞬間、彼の心は満ち足りていた。

一枚の白紙から、無数の努力が交差し、一つの漫画が誕生する。木村は編集者として、この瞬間が仕事をしていて最高に嬉しいと感じるのだった。

「この物語を、世界に届ける。」

木村は編集者としてスタッフの仕事に全力で応える覚悟を決めた。