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カフェオレと塩浦くん #28

「昨日……上井さんと別れた後、加藤さんに2軒目を誘われたんだ」

 彼はゆっくりと口を開いた。
 私はそれに耳を傾ける。

「俺もむしゃくしゃしてたし、どこか失恋したみたいなショックがあったから、適当なお店に入って終電近くまで飲んでたんだよね。飲んでた……っていってもきちんと家には帰りたかったからほどほどに抑えていたけど、加藤さんがすごく飲んじゃってね」

「どこで飲んでたの……?」
「池袋だよ」

「池袋?」
「なぜか加藤さんが池袋がいいってしきりに押してきてね」

「そうなんですか……」
「でも、彼女も酔いが回ってポロっと本音を出してたよ。"上井さん、ずるいですよ"って。それに"東条さん、上井さんとデートしててなんだか少し嬉しかったです"ってね。ちょっと違和感を覚えたよ。うまく言葉にはできないけど……なんだか作り物みたいな雰囲気というか。そんなとき、上井さんから"助けて"って連絡がきたから、自分の直感が間違いなって感じたんだよ」

 私はぎゅっとマグカップを握りしめた。
 あのバレンタインの夜の出来事が、すべて起こりうる必然だったのだとしたら、私は何か大きい罠に嵌められたのだろうか。
 あまりにも偶然が重なりすぎている。

 良くも悪くも偶然が重なって、私はいまこうやって彼の隣に居心地よく座れているが、一歩でも間違えていれば地獄の底にいたかもしれない。
 私はそれを想像すると、ぶるりと背中が震えた。

「本当に……幸運が重なっていえばいいのかな。良くも悪くもバレンタインの奇跡だったのかもしれないね」

 彼はそういうとカフェオレを静かにすすった。
 私も同じく、カフェオレに口をつける。

 ニュース番組が世界の経済情勢やら、法律の問題やらで小難しい議論をしている中で、私と彼という小さな小さな世界は大きく変わろうとしていた。

 誰かにとっての何気ない日常であっても、誰かにとっては人生を大きく変える1日は存在する。
 それがこんなにも平和な日曜日の朝だなんて、思ってもいなかった。

 私にほんのちょっぴりの勇気があれば、あと数センチの距離にある彼の手を握れたのかもしれない。
 今までの恋愛だが、まるでこの日のためにあったのかなと思うぐらい、私は緊張している。

 最後の恋だなんて、少しだけ意識してしまっている自分がいるけれども、これでは初めての恋だと錯覚してしまうほどに落ち着きが私から遠のいていく。

「ねぇ……塩浦くん」
「ん?」

 ほんの少しの勇気を待ってる時間なんてない。
 動き出しさえすれば、あとはどうにでもなる。
 彼がこちらに振り向いたと同時に、私はぐいっと彼の前に顔を持っていく。

「私……塩浦くんのことが好きみたい」

 そうして私は照れる顔を隠すように、彼の唇に自分の唇を重ねた。

 彼の顔を見れなかった。
 拒絶されることが怖かった。
 嫌いだといわれることをずっと避け続けた。

 そんな拗らせた大人の恋愛が、今になって私の災いとなって降りかかったのだ。
 今ここで逃げたら、私はこれから人を愛することなんて出来ないかもしれない。

 彼の熱がゆっくりと私に伝わる。
 少しだけかさついた彼の唇が愛おしく思えた。

 愛は言葉を必要としないと私はこの時初めて知った。
 お互いの唇が離れ、彼の吐息が私の唇を触る。

「上井さん……」
「……ん?」

「ずっと前から好きでした」
「ずっと前って?」

「ずっと前はずっと前です」
「それじゃわかんないよばか」

「恥ずかしいからひみつです」
「君って……ひみつばっかりね」

 私はクスリと笑った。
 彼もつられて笑った。

 そしてもう一度、私たちは自分たちの愛を確かめ合うように、ゆっくりと優しく唇を重ねた。

 (つづく)
※第1話はこちらから


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