カフェオレと塩浦くん #23
「お嬢さん、私はあなたを出さないでという命令はされているが、ここで起こることいついては何も言われていない。だから、今お嬢さんが出来ることをしなさい。ちなみに今このタクシーが向かっている先は"ベレガントホテル"っていう渋谷にあるホテルさ。これが住所だ。」
運転手は流れるようにしてノートに住所を書き、それを粗く破った。
不格好なメモ用紙が私に手渡され、私はようやく自分の現在位置が把握できた。
私はどうも今JRの渋谷駅手前の明治通りに面しているコンビニに横付けされていることがわかった。
向かう先は渋谷駅からほど近い、1丁目にあるビジネスホテルであるようだ。
コンビニをちらりと見ると、すでに東条はお会計を始めている。
時間がない。
私は先ほど開いていたコミュニケーションアプリをもう一度開いた。
位置情報を送った先がきちんと目視出来ていたわけではない。
「えっ――――」
送った先の人物から、『待ってろ』とだけ一言返信がきていた。
私はその一言があまりにも嬉しくて、どんな表情をすればよいのか分からなくなってしまった。
東条が会計を終わらせ、こちらへと向かってくる。
住所の書かれた紙きれの写真を撮り、『待ってる。助けて』とだけ言葉とともに返信した。
すぐさまスマホをしまい込み、顔を伏せった。
「待たせたね。はい、水だよ」
私は具合が悪そうに気怠い表情を見せながら、東条から水をもらった。
すでにペットボトルの蓋は空いていた。
私は水に口を付けたが、少しだけその水に苦みのようなものを感じたが、ここで変な素振りを見せるわけには行けないと私はそれを我慢しながら少量を口に含んだ。
「ありがとう……」
「いえいえ、体調がよくなるといいですね」
東条はにっこりと優しく微笑んだ。
だが、人間の本性というのは眼に現れる。
彼の眼は、いやらしく歪み、品性も欠片もない狡猾さが宿っていた。
「行ってください」と東条は運転手に指示を出すと、ゆっくりとタクシーが動き出した。
渋谷の駅前は終電近くだというのに、まるでお祭りの最中かのように、煌びやかで、眩くて、騒がしい。
タクシーがそこら中に客待ちをしているおかげか、幸運にも道幅が狭くなって渋滞が起きていた。
あと5分という距離であるのに一向に進まない様子を見て、東条は舌打ちをした。
「早く着けないかな、これ」
不機嫌な様子で東条が運転手を責める。
「さすがに難しいです。ですが、お連れ様の様子を見ていると、ここから歩いていくのも難しいでしょうから乗車しているほうが良いと思います」
運転手は前を向きながら淡々と話す。
ちらちとバックミラーを覗くと、運転手と一瞬目が合い、アイコンタクトをされたようにも思えた。
「ここからは料金メーターを切っておきますね。大変申し訳ないです」
運転手はぺこりと頭を下げた。
それなら仕方ないと東条は諦めたのか、呆れた溜め息をつくも、不機嫌な貧乏ゆすりはぴたりと止まっていた。
そこから15分という時間がかかりながらも、タクシーはベレガントホテルの前に到着をした。
ガチャリとドアが開き、私は重い体を起こして、外へと踏み出した。
「あ……れ?」
思考は回るが、どうも体はそれに追いついていないらしく、踏み出した右足に上手く体重がかからず、前のめりに私は躓いた。
両手が反射的に出たおかげで、顔からアスファルトにぶつかることは免れたが、それでも膝を使いながら立ち上がるのが必死であった。
コツコツとこちらへと向かってくる革靴が地面を蹴る音が聞こえる。
ぐいっと右腕を捕まれ、私の体がふわりと浮くと、そのまま肩を担がれた。
「捕まってて。あと少しだから」
東条はゆっくりと私の歩幅に合わせるよう入口へと進んでいく。
このままこの中に入ってしまったらまずい。
私は歩みを遅め時間を稼ぐも、そんなものは焼け石に水で、自動ドアが私たちに反応すると、ゆっくりと静かに私たちを出迎えるかのように開いた。
外観からわかる通り、高級ビジネスホテルなだけあって、エントランスは広々としていた。
待合のテーブルがいくつも並んでいるのが見受けられる。
「お願いだ、これ以上前に進まないでくれ」と心の中で願うも、体は言うことを聞かず、東条の歩幅に従って足が進んでいく。
よろめきながらも東条は確実に私の肩を抑え、逃がそうとはしない。
一歩、また一歩とゆっくり進んでいき、とうとうフロントへとたどり着いてしまった。
「予約していた東条です」
彼は優し気な口調でスタッフへ問いかける。
「東条様ですね。お待ちしておりました。2名様でお間違いないですか?」
「はい、大丈夫です」
「あの……大変失礼ではございますが、お連れ様のご体調は大丈夫でしょうか?随分と血色が悪いように思えますが……」
フロントスタッフが心配そうに私の顔を覗き込む。
「あ、大丈夫ですよ。ただの飲みすぎですから」
それを隠すように私の頭を撫でる素振りをして、顔を見られないように邪魔をする。
「そうでしたか。もし、万が一のことがございましたらこちらフロントまでお電話ください。緊急対応先の病院にお繋ぎいたしますので」
「こちらこそ、ご迷惑をおかけし申し訳ないですね」
東条がにっこりと笑う。
私はその横顔を睨みつけた。
「こちら、フロントのカードキーとなります。お部屋はこのフロントを右手に行った場所にエレベーターがありますので、そちらで10階まで昇ってください。そこから左手の1003号室がお部屋となります」
「ありがとう」
東条はフロントスタッフにからカードキーを受け取りお礼を言うと、私の肩を引き寄せ、右手のエレベーターへと向く。
彼が一歩、その足を踏み出した瞬間、自動ドアが開く音がした。
「東条おおおおおおおおお!!!!!」
その叫び声はフロント中に響き渡り、フロントスタッフはびくりと背筋を伸ばした。
東条もその声に驚いたのか、一瞬筋肉が硬直し、その場で固まった。
入り口には私が待ち望んだ人物が怒りの血相を浮かべ、眉間に皺を寄せ睨みつけていた。
「しお……うらくん……」
私はか細い声で呟いた。
唇がぷるぷると震えだし、目頭に涙が溜まる。
「たすけ……て」
小さな悲鳴が微かに響き、白く凍った。
(つづく)
※第1話はこちらから
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