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カフェオレと塩浦くん #25

「東条おおお!!!」

 そこには塩浦くんが鬼のような形相で立っており、そのまま東条のもとまで一気に駆け出した。
 その勢いのまま、彼は右手を振りかぶり、東条の横っ面に拳を叩きこむ。
 ドゴンという鈍い音がしたかと思うと、東条は窓の壁に激突した。

「上井さん、いくよ!」
 塩浦くんは私を抱きかかえ、そのまま勢いよく部屋を出る。
 先ほどのエレベーターへと乗り込み、1階を押すと、閉まるボタンを連打した。

 ガチャンと扉が閉まり、エレベーターが下降していく。
 抱きかかえられいる状況に、私の心臓が高鳴る。

 そっと、私は彼の胸に耳を当てた。
 肺が激しく上下し、心臓の音がよく聞こえる。

 彼の顔には余裕がなく、緊張した顔をしていた。
 汗で濡れ、髪型は崩れている。

 そんな不格好な塩浦くんなんて初めて見たけれども、なんだかその姿に私の心臓は締め付けられた。
 先ほどの冷たさなど微塵もなく、温かな感情が私の中に巡りだしていく。

 チンという音とともに扉が開き、エレベーターの扉が開く。
 フロントまでたどり着くと、フロントスタッフがあちらですと手を入口の方向を差した。

 そこには、先ほど私たちが乗り込んでいたタクシーの運転手がおどおどしながら立っており、私はその姿を見るなり、ホッと胸を撫でおろした。
 タクシーは正面入り口から歩道を挟んだすぐの道にハザードを点滅させていた。

 私は塩浦くんに抱きかかえられたまま、タクシーの後部座席に乗せられる。
「行ってください」と彼が運転手に告げると、タクシーはゆっくりと発進した。

 今までの出来事が一瞬の夢のようにも思え、私は腕を動かそうとするが、がっちりと手錠がはめられ動こうとはしなかった。

「後ろの荷台に工具箱があります。その中にペンチが入っているので使ってください」
 運転手はこちらの様子に気付いていたのか、工具箱の存在を私たちに教えてくれた。

 私は黙ったまま俯く。
 運転手になどお礼は言わなかった。
 運転手もそれをわかっているようで、黙ったまま運転を続けている。

「あいつはもうこないですよ」

 彼はそういうと、そっと私の指を握った。
 手錠のかけられた不自由な手首で、私はその指を優しく握り返す。

 そのまま言葉を話さずに、10数分が経ち、駐車場のあるコンビニへと到着した。
「少し待ってて」というと、彼はタクシーから降り、後ろの荷台から工具箱を車内へと持ってきた。

 中には綺麗に揃えられた工具が一式入っており、その中から鋭い刃のついたペンチを取り出す。

「痛かったらごめんね」
 そういうと、手錠のチェーンにペンチの刃を当て、取っ手を両手で押さえつける。
バチンという音がしたかと思うと、私の腕の拘束感がなくなり、ふわりと軽くなった。

「右手出して」
 私は言われるがままに、彼の前に右手を差し出す。
 そのまま座席に手を付けるよう指示され、それ通りに手を付けると、手首と手錠の隙間にペンチを入れ、輪っかの接続部に刃を当てる。

「目つぶってて」
 私は言われた通り目をつぶる。
 ガリガリという甲高い金属音が鳴り、ペンチの冷たい背中が手の平に当たる。

 私は若干の恐怖心を覚えながら、ぎゅっと目を瞑った。
 そしてバチンという音がしたかと思うと、カランという音をたて、手錠が床へと転がった。

 同じく私は左手も差し出し、同じようにして手錠を切断する。
 両手首がこんなにも解放感に満ち溢れた初めての経験に私はなんだか達成感のようなものを覚え、それと同時に、恐怖からの解放にようやく心が安堵した。

 その安心からか、私の肩にどっと重い鉛のようなものが覆いかぶさったのか、ぐったりと車窓にもたれかかった。

「ちょっと待っててね」

 工具箱にペンチをしまい、彼をそれを持ってもう一度車を降りる。
 そうして荷台に工具箱を戻すと、そのままタクシーへは戻らず、コンビニへと入店する。

 運転手と私が狭い密室に取り残される。
 今更、なぜ運転手が私の助けの手助けをしたのかはわからない。

 きっとお金は受け取ってしまっても拭えない罪悪感みたいなものがあったんだろう。
 助けてくれたとはいえ、このような状況になってしまった原因の一つでもあるために、私のなかのわだかまりは素直に運転手を許すことなどできなかった。

 無言と緊張が時間を引き延ばしていく。
 5分ほどの経ったところで、ガチャリとタクシーのドアが開いた。

「寒い寒い」と言いながら、塩浦くんは片手に紙袋をぶら下げながら、急いで車内へと乗り込む。

「運転手さん、これどうぞ」
 そういうと、彼は湯気の立っているコンビニのロゴがデザインされたコーヒーの入った紙コップを運転手に手渡した。

「上井さんはこれでいい?」
 塩浦くんは紙袋から同じデザインの紙コップを私へと手渡した。

 その温かさは私の震える指を柔らかく包み込み、落ち着かせていく。
「行ってください」と塩浦くんは運転手に告げ、タクシーはまた走り始めた。

 先ほどまでの都会の煌びやかな夜景は消え去り、静けさと眠りについた住宅街が車窓に流れる。

 私は落ち着き払ったようにその風景を眺め、カップに口をつけた。
 温かなコーヒーとミルクの混じった甘味が唇に触れた。

 私はその甘さに思わず涙ぐんだ。
 カフェオレってこんなに甘かっただろうか。
 仕事中に飲むカフェオレはもっと苦かったはずなのに。

 私は涙を隠すように、じっと外を眺める。
 カフェオレが喉をするりと通り、体を温めていく。

 塩浦くんに以前、「なんでカフェオレなの?」って聞いたことを思い出した。

「カフェオレって、甘さの後に苦みがあって、私は好きなんですよ。どこかカッコつけてるっというかいけ好かないっていうか、それでもって少しお洒落なのが鼻に触るというか。そんないけ好かないところが好きなんですよ。あと私が少しだけ苦いのが苦手だから、これしか買ったことないんです。嫌いでした?」

 そんなことを言っていた。
 カフェオレの中では、甘さと苦さが混じりあうことなく相反している。

「ありがとう……」

 今日のカフェオレはひどく甘い。
 動き出したタクシーは優しい揺りかごのように揺れている。

 塩浦くんは外の景色を眺めていた。
 だけどその右手は私の左手を優しく握っている。

 その手は、誰よりも温かく感じた。

 (つづく)
※第1話はこちらから



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