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カフェオレと塩浦くん #10

 鮮やかで美味しそうな食事の香りが、テーブルに広がる。
 食べましょうかと、料理を小さく取り皿に取り分け、フォークでそれらを口に運んだ。

 その美味しさに、私たちの顔が思わず解れる。
 緊張が解けると、人の体というのは急に食欲が湧きたつようで、私は求めるようにテーブルの食事を頬張った。

 ひとしきりの食事を終えると、お酒のメニュー表を見て私たちはミディアムボディの赤ワインを頼んだ。

「そういえば、私、上井さんのこと全然知らないんですよね」
「私も塩浦くんのこと全然知らないよ」

 お互いに苦笑した。
 4年間も職場という狭い空間で顔を見合わせているというのに、彼のことについて知っていることといえば営業成績とお酒が好きだということぐらいなのだ。
 それ以外のプライベートな話など、今思い起こせば一度たりともしたことがなかった。

「じゃあ、上井さんの趣味の話からでも聞かせてもらってもいいですか?」
「私の趣味ですか?うーん……絵を描くのは得意ですよ」

「絵ですか?」
「はい、絵です」
 少し酔いが回っているおかげか、私の口は饒舌に動き出す。

「絵といっても色々な種類があるんですよ?私は特に油彩画が得意なんです」
「油彩画ですか。素人的な質問で申し訳ないんですけど、油彩画っていうのは……ゴッホの"ひまわり"のような絵ですか?」

「その通りです。目にしたことはありますか?」
「ひまわりはないですけど……母が昔、油彩画を書いてあったことがあったのでそれを見たことはありますよ。当時は子供だったので、よくわかっていませんでしたけど」

「あまり美術に触れないと目にかかる機会なんてほとんどないですよね」
「上井さんはどんな絵を描くんですか?」

 私はスマホを取り出し、以前撮った自作の油彩画を彼に見せた。

「すごく綺麗ですね。白鳥と子供がモチーフなんですか?」
「うん。"羽の中で見る夢"っていうタイトルなんだけどね」

 彼はじっと私のスマホの画面を見つめた。
 少しだけ、私は自分の作品を見せるという行為に恥じらいを感じていたが、やはり褒められると嬉しいもので、彼にはずいぶんと気を許してしまった。

「上井さん、すごく絵が上手いんですね。画家じゃないですか」
「画家って呼ばれるほどじゃないよ。趣味なんだから」

「趣味でもやっぱりすごいですよ。私なんて絵心がないからからきし描けませんから、尊敬しかないです」
「ありがとう……」

 私はあまりの褒められように、思わず口を噤んでしまった。
 こういう時、どう切り返せばよかったんだっけと頭の中を一生懸命に回転させるが、長らく恋をしていない私にはそれを上手く返す術など持っているはずもなかった。

 私は恥ずかしさを忘れるように、赤ワインに口を付ける。
 赤ワインの苦みがするすると喉を通っていき、体の奥をじんわりと熱くさせた。

「そういえば、クリスマス近いですね。何か予定入っているんですか?」
 塩浦君がワインを口につけながら聞いてきた。

「クリスマスは……友人と」
 私はハッとし、言葉を中途半端に区切った。
 毎年恒例のことですっかりと忘れていたが、今年のクリスマスは一人であったことを忘れていた。

「そっか……少しだけ残念です」
「え?」

 私はキョトンとした。
 なぜ、残念なのだろうか。
 私は感じているくせに知らない振りをした。

「私は多分クリスマス当日は仕事で潰れちゃいそうです」
「そうなんだ……お互い寂しいね」

 自分で言った"お互い"という言葉に少しだけ違和感を覚えた。
 本当にそれはお互いなのだろうか。
 私はお互いであってほしいと願っているだけで、実際に彼は寂しくないのかもしれない。

「私ってクリスマスが来るたびに悲しくなるんですよね」
「どうして?」

「街はあんなに華やかなのに、ショーウィンドに映る自分はたった一人で疲れた顔で突っ立ていて、何が楽しくてこんな姿しているんだろうって。子供のころを思い出すたびに、あぁ自分は大人になってしまったんだなって思っちゃいましてね」

 彼は少し青い気分を晴らすかのように、赤ワインを飲み干した。
 私も合わせるようにして、赤ワインに口につける。

 彼の言葉を聞いて、私はちょっとだけ安心をしていた。
 クリスマスが少しだけ苦いと感じてしまうのは私だけではなかったんだという安堵感なのかもしれない。

「そういえば塩浦くんは彼女いないの?」
 私は意を決して聞いてみる。

「お恥ずかしながら社会人になってからは出来ていません。もう4年もいないんですね私」

 4年という長さに私は驚いた。
 塩浦くんであれば、お誘いなどいくらでもありそうなのになぜ4年もいないのだろうか。
 そもそも男の恋愛とはそういうものなのだろうか。

「そっか……それは寂しいよね。何か理由があったりするの?」
「あぁ……はい。いろいろあるんですよ私にも」

 彼はそれ以上、その話題の先を話すことはなかった。
 私も彼の中に土足で踏み入ることもできずに、その先が気になりながらも口を噤んだ。

 大人になってしまえば、経験したくないことも経験してしまう。
 私もそうであるように、彼もきっとまたそうなのだ。

 私はいつも笑顔でいる彼の裏側に、この時初めて惹かれてしまった。
 結局、私はそれから話題を変え、仕事のことや家族のこと、趣味のことをざっくばらんに話した。

 一番意外だったのは、彼が小説を書いているということであった。
 どうやら昔から本が好きで、その好きが興じて自己表現として小説を書いているようなのだ。

 思っている以上に彼の知識は膨大で、豊かな言葉の数々に私の知的好奇心は気持ちよく揺れ動いた。
 そんな弾んだ話をしていれば当然お酒もよく回り、気づけばワイングラスを7杯ほど空にしていた。

 お腹もだいぶ膨れたところで、時刻は22時30分を指していた。
 最後に食後の珈琲を頂いていると、彼はふいに口を開いた。

「上井さん、もしよろしければ提案をさせてもらってもいいですか?」
「ん、なに?」

「プレゼント交換しませんか?」
「プレゼント交換?」

「はい!お互いでクリスマスプレゼントを選びあうんです。楽しそうじゃないですか?」
「楽しそうだけど……プレゼントかぁ」

 私は"クリスマスプレゼント"というものが苦手だ。
 相手が喜ぶ確率と喜ばない確率が半々の、いわばギャンブルのように思えて仕方ないのだ。

 一瞬躊躇いを見せてしまったが、友人と過ごすというしょうもない嘘の罪悪感からか、私はその提案を受け入れた。

「これでクリスマスに一つだけ楽しみが出来ましたね」

 彼は悪戯に笑った。
 その憎めない子供らしい笑顔に、私は思わずクスリと笑って「そうだね、ありがとう」と優しく返した。

※1話はこちらから

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