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カフェオレと塩浦くん #32

 彼女は呆気にとられ、しばし沈黙が訪れる。
 私自身も、自分で言った言葉に驚いていた。

 本来、私の口から出るべき言葉は「人事に話をしてみようか」という未来永劫答えの出ない、当たり障りない言葉であったはずであった。
 だが、私は塩浦くんのおかげで変わることが出来たし、何より彼に自分の命を助けてもらっている。

 そんな彼がひどい目にあっているのに、弱い自分を前面に出して逃げ回ることなど、到底許容することなどできなかった。

 東条という人間が過去どういうことをしてきたのかを私たちは知る必要があるし、それが現在起こっているこの複雑な難題を解決する鍵となるかもしれないと、当てにもならない直感を私は信じていた。
 それでもこの直感はゆるぎない真実を引き当てる気がする。

「加藤さんって人事部に知り合いとかいない?」
「人事部ですか?人事部なら確か……同期の佐竹さんがいますよ。あまり話したことないですけど」

「そしたらちょっとお願いしていいかな?」
「何をですか?」

「それはね―――」

 私はそういうとメモ帳とボールペンを取り出し、彼女の前で今やるべきことを全て書き出した。
 その全容を知るや否や、彼女は大きく首を横に振る。

「こんなことやったら間違いなく会社にいられませんよ!いいんですか!」
「そんなことわかってるわよ。それでもこんなにのうのうと会社に出社している自分が許せないの。だから手伝って。すべての責任は私が負うわ。だからお願い、彼のために戦いたいの」

「……いいですけど、危なくなったら私は身を引きますよ?」
「うん。わかった。ありがとう」

「上井さん……変わりましたね。少しだけ憧れます」
「そう?」

「私が会社で働き始めて2年経ちますけど、どちらかというと上井さん物静かなほうだったじゃないですか。なんというか近寄りがたいというか。塩浦さんと全然話しているところ見たことないから私はてっきり接点なんて全然ないと思ってました。だけど今こうやって塩浦さんのために気持ちを強く決めているなんて今までの上井さんじゃ想像つかないですよ。かっこいいです」

 彼女は少しだけ背中を丸めた。

「かっこいいだなんてそんな。私が今まで我慢して逃げ続けてきただけだよ。嫌なことはしたくないし、責任だって負いたくない、だけど幸せにはなりたい……だなんてこの歳になるまで本気で信じてた人間だよ。そのツケがいま回ってきたわけだし、ここで私が動かなきゃ私の中の大切なものが壊れてしまう気がしてさ」

 私は机の下で自分の指を重ね、力をこめる。
 人は大人になるにつれて強くなるものだと思っていたけれども、そんなことは微塵もなかった。

 むしろ、子供の頃の無邪気さが一番の無敵であるようにも思える。
 私はそんな無邪気とは程遠い、自分の弱さを殻で隠していただけだったのだと思い知った。

「やっぱり……塩浦さんは諦めたほうがよさそうですね」
「どうして?」

「ずっと塩浦さんが上井さんのことを好きだったことは知っていました。私と話していてもどこか上の空というか、視線がきょろきょろとしているというか……あぁ、素直な人だなって思って、余計に気になるようになってしまいました。その分、私のほうが歳が近くてよく近くにいて話をしているのになんで私じゃなくて上井さんなんだろうって嫉妬ばかりしてました。だけど塩浦さんは上井さんの本当に強くて優しい部分を見てたんじゃないかなって、今になって思いますよ」

 加藤さんは頭を掻いた。
 私は彼女の本心に思わず照れた。

 それからというもの、私たちは冷えたコーヒーを飲み切り、温かなコーヒーのお替りとケーキを一つづつ頼んだ。
 先ほどまでの冷えついた会話なんてものは相応しくないほど、ファッションや最近のドラマの話で盛り上がり、氷を解かすように温めていった。

 なんだかんだで私と加藤さんもドライな関係であったけれども、お互いの共通項が出来ると、見えない絆のようなもので結ばれるようなそんな実感がしていた。
 小一時間ほどでコーヒーとケーキを食べ終わり、私たちはその喫茶店を出る。

「明日は来るんですか?」
「もちろん。やることが山積みだしね」

 そういうとなぜか私は彼女に握手をした。
 なぜだかはわからないが、彼女がこの作戦の最も重要な最初の部分を担っているからかもしれない。

 私はそれに念を押すようにして、指に力を込めた。
 握手をほどき、彼女はそのまま駅のほうへ向かっていく。

 その後ろ姿には、少しだけ肩を張った凛々しさが宿っているように見えた。

 (つづく)
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