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カフェオレと塩浦くん #37

「いやはや、待たせてしまったね」

 先ほどのおじさんが私の座るテーブルにゆっくりと座った。
 店員を呼ぶと、ホットコーヒーといつものサンドイッチ頂戴と慣れた口調で注文した。
 店員はかしこまりましたと頭を下げ、厨房のほうへと向かっていった。

 私はおじさんの姿に思わず驚いた。

 掃除のときにはただの掃除のおじさんとばかり思っていたが、私の向かいに座るおじさんは灰色のスーツを着込んでいる。
 腰は曲がっているものの、体幹はまっすぐに伸び、ご老体だというのに体はブレずにいる。

 あの時の面影など感じさせないほどに、何者だと思わせるほどの空気を纏っていた。

「すまないね。待たせてしまったかい」
「いえいえ、こちらこそ」

 私は緊張して「こちらこそ」なんて言ってしまったが、それはただの常用句みたいなもので、大した意味はこもっていない。
 むしろ謙虚に踏み出た困惑であった。

 おじさんはホットコーヒーをすすり、一息つく。
 そしてゆっくりと口を開いた。

「東条……のことだね。お嬢さん。あなたも被害者なのかい?」

 優しい目つきの中に鋭さが宿る。
 先ほどまでとの目つきの変わり様に、目線を離すことが出来なくなっていた。

「え、あ、はい……」
 私の額に冷や汗が流れ、唇が震えた。

「ふむ……。やはり、ここは大人たるものが対応しなければいけないな」
 そういうと、おじさんはスーツの胸ポケットから黒革の名刺入れを取り出すと、そこから一枚の名刺を差し出した。

「私、こういうものでして」

 私はその名刺の肩書を見て驚愕した。
 なぜという疑問符が頭にいくつも浮かび、パニック状態に陥った。

「か、会長……って」
「えぇ。私はレクレアール証券の元代表をしておりました。後藤と申します」
そういうと後藤は頭を下げた。

「な、なんで掃除なんてしてたんですか……?」
「ははは!確かにそう思われても仕方りませんね。掃除していたのは暇つぶしですよ」

「暇つぶし……ですか?」
「ええ。会長というのは経営に対してあまり関わる立場ではないですからね。肩書だけは立派ですが、まぁとにかく暇なんですよ。家にいたところで特段やることもないですし、妻には外に行きなさいと追い出されますからね。だから暇つぶしに清掃をしていたんですよ」

後藤は自分で言っていることに笑い、サンドイッチを頬張った。
私は会長という肩書を目の前に下手なことは言えないと、作り笑いを浮かべるほかなかった。

「さて……。話を戻そうか。上井さんは東条とどんな関係が?」
 私は本題の話に切り替わったことで、東条との関係性を話した。

 東条が今年になって自社へ入社したこと、私にデートを持ち掛け、誘拐したうえで強姦未遂にあったこと、塩浦くんが助けてくれたこと、そして塩浦くんが暴力行為という濡れ衣を着せられて懲戒処分を受けていることを話した。

 途中涙がこみ上げてきたが、私はそんなこと気にすることもなく、ただただ事実を知ってもらいたくて、初対面だというのにわかってもらいたい一心で後藤に精一杯話した。

 その話の合間、後藤はふんふんと相槌を打っていた。
 ひとしきり話し終わると、私の喉はからからに乾いてしまい、それを潤すために私はアイスティーを店員に注文した。

「大変だったね上井さん。今日も追い返されてさぞ悔しかったんだろう」
 私はその言葉に思わず泣きそうになり、奥歯を強く噛んだ。

「私は……どうすればいいんでしょうか。出来ることは全部したつもりですが……どうしてもこれ以上はどうしようもないんです……」
 私は自分の無力さにこぶしを震わせた。

「ふむ……。今の話を聞くと、東条の独断の行動とはとても思えないな。組織はそんなに早く動くことが出来ないんだよ。これも何かの縁だ。私が少しだけ手助けしてあげよう」

 後藤は顎に手を当て、摩った。
 その目つきは獲物を狙う鷹のような鋭さを持っていた。

「あ、ありがとうございます……」
 私は軽く頭を下げた。

「いやはや、まさかあの問題がここまで尾を引くとは思っていなかったよ。あの時点で私が関与できていればよかったのだが、もはや私は社内政治に対して口出しできるような立場でもないからね。その償いでもあるから、気にしないでくれ」

「は、はい……。」

「何をそんなに気落ちしているのかい?」

「あ、いえ……。私の問題であるはず何に、無関係な後藤さんを巻き込んでしまうのがすごく申し訳なくて……」

 私はもじもじとしながら俯く。
 その様子に、後藤は小さく息を吐いた。

「それじゃ、この問題が終わったらまたこの喫茶店でお茶しましょう。それでいいですか?」

 後藤は私の前に手を差し出した。
 私はその差し出した手を握り返した。

 今でもその手の感触は覚えている。
 とても人情味のあふれる温かな手だった。

 私はその手を、縋る思いで信じ込んだ。

(つづく)
※前半のあらすじはこちらから



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