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カフェオレと塩浦くん #8

「やっほー。待った?」
「待ってないよ。さっき着いたところ」


 私たちの挨拶の始まりはいつもこうだ。
 朋美は意気揚々に目白駅に到着すると、そのまま私の手を引いて護国寺方面へと歩き出した。

 目白通りの町並みは、どこか新しいものと古いものが混在するとても不可思議さがあった。
 途中不忍通りとの分岐点があり、そこを過ぎると建物はより古いものが現れる。

 並木道から見え隠れする少し寂れた建物たちは、自分たちの時間を保管するかのように思えるほど、今の時間の流れに隔たりができていた。
 まるで、時を飼う水槽のようだ。

「着いたよ」
 ふいに朋美が立ち止まった。
 私はぼけっとしていたせいか、その先まで歩みだしそうになっていて、彼女の声に妄想の世界から引き戻された。

 引き留められた場所には一軒の喫茶店が佇んでいた。
 窓越しから店内を覗いたが、人気を感じられなかったものの明かりはついているので営業していることに間違いはない。

 カランカランカラン

 私たちが扉を開けようとしたとき、ひとりの少女が店内から出てきた。
 肌が白く、目鼻立ちのしっかりした顔つき、そして真っ青なロングヘアーが印象的な少女であった。

 私はその少女を見て、まるでフランス人形のようだとふと思った。
 その少女は私たちの横を通り過ぎ、スキップをしながら遠くのほうへと消えて行ってしまった。

「早く入ろう、空季」
 私は先ほどの少女に目を奪われていたせいか、その場で立ち止まってしまっていた。
 朋美がそれを察して、私の袖を引っ張り、店内へと引き入れた。

 喫茶店の店内は、まるでレトロな時が流れる小さな箱庭のようであった。
 古めかしいアンティーク調のテーブルにソファー、それらを包み込むかのように珈琲の焙煎の香りが私の鼻を掠め、くすぐったいほどに鼻腔へと広がっていく。

 私と朋美はワインレッドの布地が敷かれたソファー席に向かい合うようにして座った。
 朋美が立てかけれれたメニュー表を取り、私の目の前に広げる。
 デザートメニューというところに目がいくと、ケーキセットというものがあり、私は朋美と一緒にそれを頼んだ。
 ケーキは仕入れ次第によって変わるらしく、今日はベイクドチーズケーキであった。

「私ね、入籍したよ」
 朋美が静かに口を開いた。

「そっか、おめでとう。結婚式は挙げるの?」
「うん、挙げる予定だよ。あまり大きくするつもりはないから家族だけでやろうかなって思ってて」

「そっか。披露宴とかはやらないんだね」
「そんな盛大にはやらないよ。友達同士で小さくお祝いできればいいかなって思ってる。その時は、空季も呼ぶから来てくれると嬉しいな」

「もちろんだよ。楽しみに待ってるね」
 そういうと、私と朋美は温かなカフェオレをすすった。

 チーズケーキにフォークを差し入れ、さくりとその腹に乗せる。
 その小さな黄色い粉雪を口の中へと頬張ると、ほのかなチーズの酸味が風のように駆け出し、それを追いかけるように砂糖の甘さが優しく酸味の手を握り抱きかかえた。

 あぁ、なんて軽やかなんだろうか。
 甘味の中毒は、疲れだとか悩みだとか不安だとかに苛まれた私の荒んだ心を溶かしていく。

 その後も朋美と私の他愛のない会話は続いていく。
 その幸せな時間が喫茶店という小さな箱庭に留まってほしいと何度願ったことだろうか。

 それでも時間は刻々と過ぎていき、あっという間にお別れの時間を迎えてしまった。
 私たちは喫茶店を出ると、また目白駅までの閑静な道をとぼとぼと歩いて行った。
 永遠の別れというわけでもないのに、私たちはその帰り道を無言で歩いた。

『心は繋がっている』

 そう思えるのなら、どれだけ私は救われるのだろうか。
 親友との未来の先が、もう私には見えなくなっていた。

 私たちはそのまま改札口へと入り、山手線へと乗る。
 まばらに空いた席に腰掛けると、電車はガタンという音ともに動き出した。
 
 一駅、また一駅と過ぎるたびに、私の鼓動は高鳴ってく。
 
 それは恋とかそういうものではなくて、別れへの緊張というか、どうなるかわからない未来に対しての不安への鼓動はやけに呼吸を浅くする。
 到着駅が「新宿」と表示され、降り口のドアがゆっくりと開いた。

「じゃあね、空季。ちょっと会いづらくなっちゃうかもしれないけど、予定が空いたらまた遊ぼう?」
「うん、楽しみにしてる」
「じゃあ、またね」
「ばいばい」

 別れの言葉がふわりと浮かぶ。
 電車の扉がゆっくりと閉まった。
 外には手を振る朋美の姿が見え、私は手を振り返した。

「あぁ、もう。私ってなんでこんなに……」
 
 心地よく揺れる電車の席の中で、一人涙ぐんだ。
 永遠の別れでないことぐらいわかっている。

 だけど、私はそれをうまく飲み込むことは出来なかった。
 私を支えてくれた親友がどこか遠い別の世界へ旅立ってしまったような気がしてならなかった。

 渋谷まであと3駅。

 私はカバンからイヤホンを取り出して、スマホに接続する。
 ミックスリストから流れ出してきたのは、朋美が私に好きだといった歌詞のわからない洋楽であった。

 あの頃が懐かしい。
 そう思いながら、背もたれに少しだけ深く腰をおろした。

 (つづく)

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