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静 霧一『クリームみたいに愛が溶けていく』


 私はいつものようにベランダに出ると、青い柵にもたれながら煙草を咥えた。
 すでに街は茜色の夕日が街を赤く染められていて、遠くではぼんやりと青紫の夜が顔を出している。
 咥えた煙草にそっと火を灯し、私は煙を喫んだ。

 ベランダから街の景色を見下ろすと、帰宅を急ぐ車の列と、巣へと変える親鳥を乗せた電車が走っているのが見える。
 いつも通りであるはずの日常が、私だけを置いてけぼりにしているようで、少しだけ寂しくも思えた。

 もう私もいい大人なんだ。
 感情に嘘をつけばつくほどに、煙草の白い煙が私の視界を巻いていく。
 煙越しに見る日常の夕日は、少しだけ霞んでいた。

 ◆

「ただいま」

 そんな声がいつも通り聞こえてくるものだと思っていた。
 もうあなたと別れて2ヶ月も経つというのに、今もその残響が部屋の中に続いており、私は時間が来るたびに、誰もいるはずのない扉に振り向いた。

 恋は人を強くするだなんて、若い頃の妄信を未だに引きずっている私はなんて馬鹿なのだろう。

 人にフられるのは、やはり悲しいと思うし、寂しいと感じる。
 初心だったあの頃は、別れた理由についてを「どうしてだろう、何が悪かったんだろう」とひたすらに自責していたけれども、別れを重ねて大人になっていく度に、私は「あぁ、またか」と思うだけで、それ以上の感情を抱くことが無くなってしまった。

 煙草を吸うたびに思う。
 きっと私の恋愛感情など、口から出る煙のように苦くて、甘くて、切なくて、吹けば消えてしまうほどに軽いものなのだと。
 でもそれはきっと合理的な大人になってしまった悪癖だ。

 傷つくことの恐れを知った。
 別れることの寂しさを知った。
 失うものの怖さを知った。

 いつしか私は無意識に、愛する人の中へ潜るのをやめていた。
 きっと奥深くまで行ってしまえば、私は引き返せなくなる。
 私は自分の小さな手のひらで水を掬い、「これがあなたを愛せる分」とたったそれだけを大事にしていた。

 ◆

 夕日が暗がりに近づいていく。
 真っ赤に染まっていた私の白い部屋も、次第に暗く染まっていくのが見える。
 ベランダの下からは、家路を急ぐ子供たちの笑い声が聞こえた。
 私は頭を肩にもたれかかりながら、その夕日の落ちる様をゆっくりと眺めた。

 時刻はすでに18時を過ぎている。
 夕暮れが遅いのも、少しづつ暖かさを感じるのも、きっとあなたと過ごした春とは違うからなんだよね。

 煙草の煙が慰めるように私を優しく包む。
 暗がりの中に映る煙は、まるでコーヒーに溶けるクリームのようだ。

 夢みたいな日常が、あなただけを隠して、私の中で続いている。
 私はやっぱりまだ、この先へ進めそうにないや。

 煙草から落ちた灰が、風に乗って街へと散らばってく。
 夕日の残り火が、一瞬の強い斜光を放ち、そして消えていった。

 夜は嫌い。
 だって、あなたのことを考えてしまうんだもの。

 真っ暗な部屋の中、私はベッドの上に寝っ転がる。
 夜の海に沈んだ涙が、私の枕を少しだけ濡らした。

「おやすみなさい、私」

 私はあなたの好きだった煙草の香りを抱いて、柔らかなベッドの上で微睡みの中へと溶けていった。

<歌詞>
ベランダに出た 青い柵にもたれかかって煙を喫んだ
不確かな日々 歩きながら確かめていった
日が暮れるのが遅くなったね
だんだん暖かくなってきたね
風も気持ちよくなってきたね窓をあけようか

茜色の空を眺めながら肩にもたれかかって
夢みたいな日常がいつしかありました
寄り道は気づかないしあわせの形だね
変わらない階段と景色を刻んで
まどろみの中へ

白い壁が暖かい陽に染まって
綺麗な街をこえているとなんだか悲しくなったんだ
移りゆく景色これからの生活を想って暗がりへ
そっと目を閉じた

茜色の空を眺めながら肩にもたれかかって
夢みたいな日常がいつしかありました
寄り道は気づかないしあわせの形だね
変わらない階段と景色を刻んで
まどろみの中へ

まどろみの中へ
茜色の空の下、子供が笑っている
夜明けの海に涙を沈めた



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