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カフェオレと塩浦くん #21

「塩浦……くん?」
 彼は隣の影とともに立ち止まった。

「上井さん……?」
 お互いが立ち止まる。
 彼の隣には加藤さんが驚いた顔で突っ立っていた。

「なんでここに……?」
「あなたのほうこそなんで加藤さんと……?」
「いや、これはあの―――」

 戸惑う塩浦くんに加藤さんの腕に引っ付いた。

「デートしてたんです!」
 彼女の声が私を突き刺すように放たれる。

「いやデートって加藤さ―――」
「塩浦さんは黙っててください」

 彼女は塩浦くんの言葉を遮る。

「上井さんだって東条さんとデートしてるじゃないですか。これだってお互い様じゃないんですか?」

「私だってただ食事しただけでデートなんかじゃ―――」
「東条さんどうなんですか?」

 彼は顎に手を当て考える素振りをする。

「私はデートだと思っていますよ。普通バレンタインに食事に行くってなかなかたかだか友人の仲ではないことですからね。上井さんから今日を提示されてましたから私はてっきり」

 彼の言うことは間違いではない。
 心は否定したがったが、理性がそれを無理やり止める。
 私の浅はかな嫉妬心が招いた罰なのだろうか。

「それに、上井さんすごく楽しそうに話されていたので私は嬉しかったんですよ」

 東条さんは私の方に腕を回し、顔を近づける。
 振りほどこうとしても、腕に力が入らず、私は東条さんから顔を背ける。

 背けたまま、私は口を噤んだ。
 ちらりと塩浦くんを見ると、彼の目は悲しく落ち込んでいた。

 東条さんは嘘をついているわけではない。
 そして、私もそれが嘘とは否定できない。
 確かに日付を選んだのも私だし、会話が弾んだことも事実なのだ。

「そ、そんなわたしはただ……」
 私が言葉を否定すればするほど、塩浦くんの顔の血の気が引いていく。
 心の中でこれ以上彼を傷つけてはいけないと思えば思うほど、真実が私の顔を歪めていく。

「塩浦さん。私たちは行きましょ?上井さんのデートの邪魔になっちゃいますし」

 加藤さんが塩浦くんの右腕に抱き着く。
 そして悪びれる様子のない顔で少しだけ口角を上げ、にやりと笑うと私の顔を見つめた。
 彼は特にそれに抵抗する様子もなく、俯いたまま顔に影を作る。

「いいよ、上井さん。邪魔してごめん」
 塩浦くんの口が小さく開く。
 その低く冷たい声で私を突き放すように慰めた。

 ゆっくりと彼はその場から歩き出し、私たちの横を通り過ぎていく。
 その一歩一歩の足音が銃弾のように私の心臓を貫き、血を逆流させ、酸素を奪っていく。

 まるで過呼吸のようになりかける私は、ぎゅっと心拍の上がる胸を抑えた。
 通り過ぎる直前、くすくすと小さな笑い声が聞こえたようにも思えた。
 だがそれは果たして誰のものだったのか、はたまた幻聴であったのかは定かではない。

 私はただ茫然と立ち尽くした。
 もはや自我を保つのが難しいほどに、心の均衡とやらががらがらと音を立てながら瓦解しはじめる。

 私の体から気力が蒸発し、もはや腕を回す東条さんを振りほどこうともせずに、腕をだらりと下げた。
 視線を少し横に向けると、塩浦くんと加藤さんが並んで歩いている後ろ姿が見えた。

 私はいつから勘違いしていたのだろうか。
 塩浦くんは私のものでもないし、私もまた塩浦くんのものでもない。
 片思いを拗らせた私たちがいけないのだ。

「―――東条さん」
「どうしました?」

「―――もう一軒行きませんか?」
「いいよ、付き合ってあげる」

 私に、もはや思考力は残っていなかった。
 寂しさと不安だけが心を侵食していく。

 この心のやり場をどこかの誰かに投げ捨ててやりたくなってしまった。
 私の右目から、一筋涙がこぼれ出る。

 あぁ、なんでこうなってしまったんだろう。
 ただ、彼を好きでいたかっただけなのに。

 ついこの間まであんなにも彼を想っていたのに。
 恋愛なんてもうしたくないってあれだけ否定してきたのに。

 私のせいなのだろうか。
 運命のせいなのだろうか。
 神様のせいなのだろうか。

 いくら考えても答えは出そうにない。
 私はただ隣にいる木偶の坊に身を任せられれば、それだけで今は安心してしまう。

 なんて弱い女なのだろうか。

 私はふらつく足取りで、東条さんにしがみつきながらその後についていく。
 近くに寄れば寄るほど、彼から香るラベンダーの香りがきつく感じる。

 麻痺した私の感情は、もはやそれを嫌がることなく受け入れた。
 ちぐはぐな歩幅がリズムを崩し、私の均等が壊れてゆく。

 溜息すら凍る寒い冬空の下、私と東条さんは光が艶めく恵比寿の夜へと溶けるように消えていった。

 (つづく)

※第1話はこちらから

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