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カフェオレと塩浦くん #31

「すいません、突然お呼び立てしまって」

 最寄駅近くの喫茶店の店内で、私は加藤さんと落ち合った。
 彼女は私を近くに来るなりぺこりと頭を下げ謝った。
 どうも他人行儀の彼女を見て、私は少しだけ違和感を覚えた。

「いいですよ、私もちょうどお話したかったですし」

 私は彼女を威嚇するように微笑む。
 和やかな音楽が流れる喫茶店の中だというのに、私と加藤さんが着席する席だけは殺伐とした空気が流れている。

 彼女を特に恨んでるわけでもないのだが、なぜだがバレンタインの日から私は彼女を本能的に敵と認定してしまったらしく、そういう態度が自然と出てきてしまっていた。

 ほどなくしてウエイターがメニューを伺いに来たので、ホットコーヒーを2つ注文した。
 どちらが口火を切ろうかと、無言が彷徨う。

「加藤さん」
「……はい」

「なんでそんなによそよそしいんですか?」
「あ、いや……」

 またも無言が通り過ぎる。
 このままでは埒が明かないことは明白であった。
 私も子供じゃないんだからと自分を責め、肩肘を張るのをやめた。

「加藤さん、あのバレンタインの日、恵比寿にいたのは偶然だったんですか?」

 私は疑問の核をついた。
 会社を休んだ2日間、ベッドの上でバレンタインの日のことをずっと頭の中で整理し続けていた。

 冷静になった私の頭の中には引っかかることが2つあった。
 まずは、タクシーの運転手が名指しで指名予約が入っていて、乗って早々に買収されたこと。
 そして、東条がホテルへの部屋へ連れ込むエレベーターの中で、「そんな言葉、何百回と聞いたさ」という台詞を呟いていたこと。

 私の推測ではあったが、恵比寿にいたことも偶然ではなく、計画的に仕組まれたものだったのではないかと私は睨んでいた。
 だからこそ、加藤さんと塩浦くんが恵比寿にいたことが偶然出会ったのか否かを私は知らなければならなかった。

「あの夜……恵比寿に誘ったのは私です。もとより食事に誘ったのも私なんですけど……。私はデートのつもりで誘いましたよ?でも塩浦さん……ずっと上井さんとの恋愛相談ばっかりで……少しだけ意地悪したくなっちゃいまして……」

「加藤さん、それは質問の答えになっていませんよ」

 私は加藤さんを詰める。
 加藤さんはコーヒーを飲もうとするも、指が小刻みに震えているせいかうまくカップを持つことが出来ず、カップの持ち手を放し、飲むのを辞めた。

「私だってほんの意地悪のつもりだったんです……!それに塩浦さんとデート出来るなんてチャンスだと思ったんですよ!だから東条さんのアイデアに乗ったんです!」

 彼女は涙を潤ませながら訴えた。
 その手には力が入り、指のコブが白く浮き出る。

「東条のアイデア……?」
私の背中に何か冷たいものがなぞっていく。

「はい……。私もこのことは公に言うことはできないってずっと堪えていました……。どうして塩浦さんと接点が欲しかったんです。その弱みに東条が漬け込んできたんです」

「どうやって?」

「一度、東条さんと食事をしました。その時に彼は非常に上井さんに興味を持っていて、上井さんと仲のいい塩浦さんを敵視していました。私もなかなか塩浦さんと距離が縮められないのは他でもない上井さんがいるからだって思っていました。だから私は東条と二人で計画を練ったんです。お互いがウィンウィンになるように」

 私は唖然とした。
 お互いの利害関係が一致するからと言って、その計画に乗るものなのだろうか。
 私は焦りの色を隠すように、コーヒーに口をつける。

「塩浦くんが停職処分になったのも……あなたたちの計画なの?」
「それは違います!私もそんなことになるのならそんな計画には乗っていません!」

「じゃあ、どこまで計画していたの?」
「計画していたのは恵比寿ガーデンプレイスの広場で会うところまでです。塩浦さんには東条さんと上井さんがデートするみたいですよって耳打ちはしています。私も卑怯だとは思いましたけど……仕方なかったんです」

 彼女は俯いた。
 確かに彼女は卑怯なことをしているし、私を貶めようとしていたことも事実であったが、それを全て否定することは出来ない。

 恋愛が人を盲目にさせ、狂乱させることは私も知っている。
 私が塩浦くんを思うと子供みたいになってしまうのも、すぐに拗ねてしまうのも、嫉妬してしまうのも恋愛感情がそうさせていることは身をもって経験しているからだ。

「それでも……結局塩浦さんは上井さんを追いかけました。私も泥酔してしまったのがいけなかったんですが、いったい何があったのか知りたいぐらいなんです。なぜ塩浦さんが停職処分になってしまったのか……。塩浦さんに連絡しても既読無視になるだけで一向にメッセージが返ってこないんです」

 彼女はぐっと拳に力を入れ、肩を震わせた。
 結局のところ、私と彼女は足りない記憶のピースを埋めるために、お互いの腹の探り合いをしながら疑心暗鬼になっていた。

 なんと滑稽なんだろうか。
 これも東条の仕組んだものであるのなら、甚だ腹立たしい。

 だが、これを東条一人ですべて仕組めることなのだろうか。
 確かに東条が狡猾であることは間違いないが、果たして会社の人事に即座に影響を及ぼすほどの力が彼にあるとは到底思えない。

 こんなところで長年会社に居ついてしまった経験が役立つとは思ってもみなかった。

「私も……メッセージ送っても返事が一向にないの。ねぇ、加藤さん。あれから東条と話した?」

 彼女はゆっくりとコーヒーに口をつける。
 私もコーヒーに口をつけるが、すでにコーヒーの湯気は消えていて、生ぬるいコーヒーとなっていた。

「東条さんとは……少しだけ話をしました。どうしてこうなったんですかって」

「それで……なんて?」

「"彼は私と上井さんがいい仲になっている時に突然割り込んできて、私の顔面を思いきり殴ったんだよ。何度もね。それはひどいさ。いい大人だぞ?普通、話し合いをするもんだろう。それを暴力で解決しようだなんて……こうなってしかるべきだったんじゃないのか?"って言っていました。私にもわかりましたよ。東条さんが嘘をついてるって。顔が嫌に笑ってましたもん」

「あの夜の出来事ね……何があったか加藤さんにも教えるね」

 私はバレンタインの日の出来事を話した。

 2軒目に行き、いつの間にか睡眠薬を混ぜられていたこと。
 タクシーの運転手が買収されていたこと。
 ホテルに連れ込まれ、ベッドの上で手錠をかけられたこと。
 塩浦くんがぎりぎりで助け出してくれたこと。

 私は思い出すのを拒絶するもう一人の自分を振り払い、ゆっくりながらも一言一言確実に言葉を踏み、記憶を掴み取っては喉に詰め込んだ。

 加藤さんはその話を聞くにつれ、握った手を震わせ、下を俯いて涙を流し始めていた。
 ひとしきり私の話を終わらせると、彼女はすでに涙で顔を濡らしていた。

「私のせいで……ごめんなさい。私のせいで……」

 彼女はそればかりを繰り返している。
 確かに彼女は東条と共謀をしていた。

 だけど彼女もまた、東条の上で遊ばれていただけであって、大きく心に傷をつけていた。
 彼女と会う前は、「塩浦くんを貶めた女」としか思っていなかったが、今となっては「東条に貶められた同士」と思っている自分がいた。

「ねぇ加藤さん」
「……はい」

 彼女は鼻をすすり、ハンカチで涙を拭っている。
 決して悪い子ではないのだろう。
 私は彼女を信じた。

「次は……私たちがやり返してみない?」
「……え?」

 加藤さんの口から、思いがけない驚きの声が漏れだした。

 (つづく)
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