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カフェオレと塩浦くん #17


「お待たせしました」
「いいえ、そんなに待っておりませんよ」

 洒落た人たちが行きかう恵比寿駅に不釣り合いな私と、似合いすぎる東条さんが巡り合う。
 それはまるでパズルの凹と凸のようにも思えた。
 時刻は18時ちょうどを指している。

 2月14日の街並みは赤いリボンに彩られ、周りを見渡せば手を繋ぐ恋人たちが互いに微笑みあいながら、鼻歌交じりに行きかっている。
 駅構内の電光掲示板には"赤い日のチョコレート"と、有名な女優が集まり、手作りのチョコレートを作る広告が何度も再生されていた。
 
 バレンタインだなんて、もう何年も祝っていないせいか、私はすっかり忘れてしまっていた。
 手ぶらで来てしまって済まないと心の中では謝るが、特段、チョコレートを渡す理由も見つからなかった。

 私にとってはただの2月14日だ。
 恋人たちのほわほわとした空気が、ただの2月14日を甘ったるい特別な日にしてしまっているのだ。

 私は若干の居心地の悪さを感じながらも、東条さんとの距離を近すぎず遠すぎず、左右に揺れ動きながら一定の距離を保っていた。

「離れないでくださいね」

 雑踏の中、彼は自然に手を差し伸べた。
 私はその手を握ることが出来なくて、ちょこんと彼のコートの袖を摘まむ。

 少しだけ彼は歩くペースを落としながら、私の足音とともに連れて歩いた。
 恵比寿駅の東口から、アトレのほうへと向かい、その先にあるスカイウォークを進んでいく。

「どちらにいくんですか?」
「ガーデンプレイスビルの中ですよ。もう少しで着きますから」

 彼は私に笑いかけた。
 私はそわそわとしながらも彼の後についていく。

 私は一度も恵比寿のガーデンプレイスに行ったことはなく、全くアクセスをわかっていなかったが、どうも駅から直結となっている施設になっているようで、駅からエスカレーターを下った先がガーデンプレイスの屋内に入っていた。

 そこから彼と私はエレベーターへと向かった。
 高層ビルなどあまり立ち入ることない私は、変に気構えてしまい、緊張してしまっている。

 エレベーターに乗り込むと、彼は39のボタンを押すとエレベーターは垂直に目的の階へと昇って行った。
 エレベーター内ではお互い無言だったものの、最新のエレベーターというのはそんな沈黙を緩和してくれるぐらいに早いもので、あっという間に39階へと到着した。

 チンという音とともに扉が開く。
 飲食店が立ち並ぶ中を歩いて行き、彼はいい匂いを漂わせるイタリアンのお店の前で止まった。

「ここですよ」
 彼は店内の中へと足を踏み入れ、私もそれに続く。
 ウエイターに2名の予約ですと彼が伝えると、こちらへどうぞと窓際の席へと案内された。

 私は椅子に座るのを忘れ、窓から見えるイルミネーションのような都会の夜景に見惚れてしまった。

「夜景、お好きでしたか?」
「はい。こういうところに来たの初めてで。お恥ずかしいです」

「それはよかったです。喜んでもらえると思って予約したかいがありました」
「本当にありがとうございます」

 私はちらちらと夜景を見ながら、ゆっくりと席に着いた。
 煌々と都会を照らす小さな光たちが、まるでクリスマスツリーのイルミネーションのように、眩しすぎるほどに白や黄色を照らし出している。

 都会の夜景は、星の輝きに似ている。
 美しき光は、その者の時間を食べて輝いているのだ。

 私の日々の繁忙が、誰かの繁忙によって輝く光に癒されていく。
 そう思ってしまうと少し複雑な気分にもなるが、それでも夜景にはなぜか心惹かれてしまうのは、女性としての性なのかもしれない。
 
私がぼうっと窓の外を眺めていると、彼が私の前にメニュー表を差し出した。

「ピザが有名なお店みたいですよ。好きですか?」
「もちろん!大好きです」
「好きに頼んでください。今日は上井さんにお世話になっているお礼なので」

 私と彼はメニュー表をお互いに見合いながら、料理を選んでいく。
 料理がテーブルに並ぶ瞬間も嬉しいものだけれども、こうやってお互いにメニューの想像を膨らましていく時間も楽しくて仕方がない。

 厨房にふと目をやると、そこではシェフが真剣な眼差しでで身を屈めながら、レンガ造りのピザ窯を覗きこんでいる。
 そして、美味しさが出来上がる数コンマを見極めるようにして、大きなシャベルのようなヘラを突っ込み、スッとピザを取り出した。
 
 立ち上る湯気からトマトとチーズの焼けた香りが一斉に花開き、私の鼻をくすぐる。
 そんな光景を目にしてしまったものだから、急に口の中に唾液がたまり、たまらなくピザが食べたい気分になった。

 私はメニュー表を指さし、「マルゲリータ」が食べたいですと東条さんに言った。
 彼は、私もですとにこやかに笑った。

 東条さんはウエイターを呼びつけると、ピザとサラダ、タリアータと次々に注文をし、お酒はスパークリングの白ワインを注文した。

 周りのテーブルを見ると、美味しそうな料理が並んでおり、ワイン片手にお客が談笑している姿が見える。
 あぁ、ここの料理はきっと美味しいんだろうなと、注文したものが到着するまでの間その妄想に掻き立てられていた。

 そんなことを考えていると、スパークリングワインが2人分テーブルに置かれ、私と彼の前に差し出された。

「それじゃ、乾杯」

 彼がグラスの口を傾け、私もそれに当てるようにグラスを傾ける。
 グラスの口と口が重なり、チンという軽やかな音を鳴らした。

 シュワシュワと細かな気泡が弾けては、白葡萄の品高い香りが私を誘う。
 豊潤な甘味が私の指先まで行きわたり、体を少しばかり火照らせた。

 私の目には、少しだけ東条さんが優しく映った気がした。

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