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カフェオレと塩浦くん #18

「上井さんってどうしてこの会社に入ったんですか?」
「たまたまですよ。たまたま受けた会社にたまたま入社出来てって流れでしたかね。なにか信念をもって入ったとか、やりたいことがあってとか、そんな大それた理由なんてなくて、本当にたまたまなんです」

 今の会社に入った理由なんて、本当にたまたま内定をもらったところだなんて恥ずかしくて言えなかった。
 今でもずっと続いているのが不思議なぐらい、私は今の会社に馴染んでいた。

 働いた経験なんで指で数えるほどしかない。
 私自身は大学生の時から実家暮らしだったために、さほどアルバイトもせず、学生の本分でもある学業にずっと専念していた。
 変に生真面目な性格は私の本質なようで、今でもそれは健在している。

「それでもここまで続いているのは凄いですね。私は途中で抜け出しちゃいましたし」
「証券会社でしたっけ?どうして転職したんですか?」
「自分のやりたいようにできなくなった……っていうのが大きなきっかけでしたかね。ちょうど仕事も飽きかけていた頃でしたからちょうどよかったんですよ」

 彼は外の夜景を見ながら、ため息をつくように呟いた。

「大変でしたね。今の仕事は慣れました?」
「まだまだ2ケ月しか経ってませんからなんとも言えませんが楽しいですよ。上井さんともお話しできますし」
「私はそんな大したこと話してませんよ」

 気づけばお互いのワイングラスは空になっていた。
 白ブドウの残り香だけが、そのグラスから漂っている。

「何か頂きますか?」
「それじゃあ……」
 メニュー表を受け取り、お酒の一覧に目を通していると、私たちの席に美味しい匂いが向かってくるのを感じた。

 それは予想通りで、私たちの席に立ち止まり、静かにテーブルの上にサラダやピザやタリアータが置かれた。
 我慢できずに手を伸ばしそうになったが、私はそれを理性で押さえつけ、唇を少しだけ噛む。

「赤ワインにしますか?」
 私は彼のチョイスに委ね、うんと無言で頷いた。
 ウエイターに赤ワインのグラスを2つ注文する。

「冷めないうちに頂きましょうか」
「はい!」

 私は頂きますと手を合わせ、チーズとトマトの香るマルゲリータへと手を伸ばした。
 熱々の生地を指先で感じながら、ピザの先端から垂れそうなチーズをぱくりと頬張る。トマトソースの塩味とチーズの酸味が絡まり、生地の甘味がそれを優しく包み込み私の口の中で踊った。

「美味しいですね」
「喜んでもらえてよかったです」

 そういうと彼もピザを一口頬張った。
 すると、ちょうどよくウエイターが黒いワインボトルを持ちながら私たちのテーブルの前に立ち、新しいワイングラスをテーブルに置いた。

 慣れた手つきでワインボトルの底を持ち、もう片方の手でそっとワイングラスの細いステムを持ち上げると、まるでヴァイオリンを弾くかのように、ボルドー色の透き通った赤ワインが注がれる。

 注がれたワインがそっと私と東条さんの前に差し出された。

 ワイングラスの中で赤ワインの雫が波打ち、やがてそれは静寂となって鏡のような水面となった。
 空気によって混ぜられたグラス内からは熟した葡萄の香りが舞い、それがやがて私の鼻腔をくすぐる。

 ワインは強引に私の首筋を誘惑し、それに抗う術を持たない私は、吸い寄せられるがままに赤ワインに口づけをした。
 口の中に残るピザの余韻と赤ワインの香りと深みが混ざり合い、旨味となって私の中へと溶けていく。

「赤ワイン選んでよかったですね。すごく合います」
 東条さんはまた一口と、ピザに手を伸ばす。
 私もピザに手を伸ばそうとしたが、サラダを食べていないことに気付き、小皿にサラダを取り分けた。

「東条さん、サラダ食べますか?」
「はい。取り分けてもらえると嬉しいです」

 彼はワインを飲みながら私にお願いをした。
 私は言う通り小皿にサラダを折り分け、彼の前に差し出した。

「上井さんってすごく白くて指綺麗ですよね」
 彼は唐突に私の目を見つめ、指を見つめた。

「指が綺麗って初めて言われました……。ありがとうございます」
 私はお礼を言ったが、そんなに指が気になるのだろうか。
 確かに手入れはきちんとはしているが、私は自分の指が綺麗などと一度も思ったことがなかった。

 まるで枝木のようにか細く、少し骨ばっている指先はむしろ私にとってはコンプレックスにさえ感じることがある。
 指が綺麗などとは言われたことがなかったから、私は少しだけ動揺してしまった。

「上井さんって今彼氏いるんですか?」
 少しだけ東条さんは酔っているのか、踏み込んだ質問をしてきた。

「いませんよ。少しだけ寂しいですが」

 しらふであれば躱していたかもしれない質問だったが、今の私も酔いが回っており、つい答えてしまった。
 心を開いただとかそういうものではなく、本当につい反射的に答えてしまったというのが正しいのかもしれない。

「寂しいですよね。どれぐらいいないんですか?」
「2年ぐらいです」

「2年は長いですよね。もう作らないんですか?」
「いい人がいればって思ってます。思ってますけど、それは相手も想ってくれないと意味はないんですけどね」

「上井さんのような綺麗な女性に想われる男は幸せだと思いますよ」
「そうですかね。私自身はそんなに感じませんよ、そんなこと」

 それもそうだ。
 私には誰かを引き付けるような華やかな美貌もなければ、飛びぬけた個性を持っているわけでもない。
 ただただ普通の女性であって、むしろ少しだけ自己肯定感が薄れつつある自分に嫌気がさしているほどなのだ。

 そんな私のどこが魅力的なんだろうか。
 一生懸命に彼の言葉を否定する理由を探したが、たとえそれが嘘であったとしても、『魅力的だ』と言われることは日常生活の中で到底あるわけではなく、そんなことを考えているうちに、私は悶々と気恥ずかしくなってしまった。

「恋愛……する気はありません?」
彼は誘うように私に問いかけた。

 (つづく)

 ※第1話はこちらから

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