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カフェオレと塩浦くん #35


「大手町ー、大手町―」

 平日の大手町というのは、すれ違う人が皆、紺か黒のスーツを着ていて、東京を象徴するオフィス街という面持ちに溢れていた。
 大手町は東西線への乗り換えでしか使ったことがなかったために、駅の外へ出ると、私はその新鮮さに少しだけ酔いの感覚を覚えた。

 時刻は13時を過ぎている。
 本当は昼食を食べたいところなのだが、私は今日という日の目的を達成するまではご飯は食べれないと、自分に謎のルールを科していた。

 だがそのルールのおかげか、今すぐこの緊張から逃げてしまいたいという自分がひょっこりと顔を出してしまうことを強制的に抑え付けていた。
 目的の場所は大手町の駅から10分ほどの距離にあり、スマホの地図ルート画面を凝視しながら歩いて行った。

「目的地です」という声が聞こえ、私はスマホから目を離す。
 その場所を見上げると、私は「おぉ」と言いながら追わず一歩後ずさりし、唾をごくりと飲んでしまった。

 そこには空に突きそうなほど高く、何百枚という窓が張り巡らされた高層ビルが待ち構えていた。
 私はこんなところに本当に入っていいのだろうかと、少しだけ戸惑ってしまったが私はその後退した足に力を入れ、無理やり一歩を踏み出した。

 自動ドアを潜り抜けると、開けたロビーが現れ、そこには仕事の戦場のような風景が広がっていた。

 お辞儀しあいながら雑談するサラリーマン、電話の相手に価格交渉を行いながら時計を確認する七三分けの営業マン、その他にも備え付けの椅子で新聞を読むスーツを着た老人、額に汗をかきながら会社案内を受付で渡す若手のサラリーマンなど、まぁとにかくこれでもかと言わんばかりにサラリーマンがごった返していた。

 私は唾をのみ、手にハンカチを握る。
 さほど難しいことをするわけでもないのに、心臓がばくばくと音を立てる。

 だがこんなところで突っ立っているわけにもいかない。
 私は意を決して、サラリーマンが波を打つ戦場の中へと勇み足で進み、受付の前に立つと「すいません」と受付嬢に声をかけた。

「どちらへのご用件でしょうか?」
 受付嬢は笑顔を浮かべながら問いかける。

「あ、は、はい。レクレアール証券に伺いたいのですが……」
 私はごもごもとした口調で答える。

「レクレアール証券ですね。35階のフロアになりますので、セキュリティゲートを通って奥のエレベーターをお使いください」
 そういうと受付嬢は私に「通行許可証」と書かれたゲスト用のカードを手渡してきた。

 私は「ありがとうございます」と頭を下げ、その許可書を受け取ると、行き交うサラリーマンになぞってセキュリティゲートをくぐり、エレベーターへと乗り込んだ。

 そのまま一気にエレベーターは35階へと上昇していく。
 たった十数秒でエレベーターは35階へと到着し、チンという音を立ててドアが開いた。

 私が一歩外へ出ると、その扉は見送るようにして、音もなく閉まる。
 エレベーターの前は共有通路となっており、目の前には案内板が張り付けられていた。

 1フロアに何社も入っている構造をしていて、左右に2社ずつの計4社が35階には入っている。
 レクレアールはこの通路を左に曲がった奥のフロアになり、私はそれにしたがって進んでいった。

 ほどなくして、レクレアール証券の入り口前に到着した。
 入り口では、おじさんが一人清掃をしていて、私と目が合うとそのおじさんは「こんにちわ」と笑顔を浮かべてぺこりとお辞儀した。

 私もお辞儀を返すと、震える手で扉を掴み、入室する。
 明るい照明が照らすフロントフロアには、「内線番号はこちら」という案内と、一台の電話機が置いてあった。

 私はその電話の受話器を手に取り、「010」と内線番号を押した。
「プルルル」という発信音が鳴り、受話器の向こうでガチャリとそれを取る音がした。

「はい、こちらレクレアール証券受付です」
 私は深呼吸をし、口を開く。

「お忙しいところ失礼いたします。私、ジョンソン・メディシティ株式会社の上井と申します。本日、人事担当の方にお会いすることは出来ますでしょうか?」
 私ははっきりとした口調で、向こう側の人に伝える。

「あ……えっと、ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「以前、こちらに勤めていた東条さんというかたについてなのですが……」
「かしこまりました。少々お待ちください」

 そういうと、電話が切れ、「プー、プー」という音が聞こえた。
 5分後、フロントの扉から出てきたのは若い女性であった。

 名札には「人事部 佐々木」と書いてあるが、とても責任者とは思えない。

 私は案内されるがままに、別室へと通された。
 着席すると、緊張で沈黙が狭い空間を囲う。

 口火を切ったのは佐々木のほうであった。

「初めまして、私人事部の佐々木と申します」
 名刺を差し出されたが、生憎、事務職の私には名刺が配布されておらず、すいませんと私は一言謝った。

「さっそく本題なのですが、東条の件というのは……」
 佐々木はこちらをじっと見つめる。
 それは何か不安を訴えかけるような、あってはならない何かを知っているような眼つきであった。

「本日、お会いできないと思っていたので、こちらを人事部の責任者に渡してもらえればと思いまして……」

 私はバッグから1通の手紙を取り出した。

「こちらに全容が書いております。佐々木さんが関わっているかどうかは分かりませんが、私は東条がレクレアール証券を辞めた理由を知りたいのです」

 私ははっきりと佐々木の目を見た。
 佐々木は少し目線を落とし俯くが、その眼差しに答えるように深く呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。

 (つづく)
※これまでのあらすじはこちらから

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