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菫色の実験室vol.5|書評|鳩山郁子『羽ばたき Ein Märchen』—生への飛翔、あるいは落下—

Text: 嶋田青磁

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  羽ばたく——。
 それは、人間にとって不可能な行為である。なぜなら、人間には“翼”が無いのだから。思い浮かべてみると、たしかに鳥や虫、羽ばたくものたちはみな、飛翔するための羽(翅)としなやかな筋肉が生れながらにそなわっている。
 けれどもし、人間に羽ばたくことが可能であるとしたら? 鳩山郁子先生の『羽ばたき』はその可能性を、堀辰雄による原作から掬い取り、きらめく結晶を抽出するようにして、“漫画”という魔法でわたしたちに提示しているように思われる。

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 主人公である美しい少年ジジは、仲間のキキたちと流行の冒険活劇「怪盗ジゴマ」ごっこに明け暮れていた。しかし、母の死をきっかけにジジは本物の「ジゴマ」のように段々と盗みに手を染めるようになってゆく…… そんなジジの隣にあるのは、つねに“孤独”である。しかし「ジゴマ鳩」として盗みを繰り返す彼の孤独は、たんなる孤独ではなく、幻想(=夢)によって強く裏づけされた“高潔さ”によって成り立っているのだ。まるで、硝子の箱におさめられた季節の花のように。
 堀辰雄は、小説の中で夢についてこう述べている。

子供たちは一人きりでは決して夢を見ないものだ。彼等はいつも一塊になつて、共通な一つの夢を見ようとする。
(堀辰雄『羽ばたき』本文より)

 彼が気高さを我がものにできたのは、同じ夢を見る存在——仲間の少年たち、とりわけキキがいたからに他ならない。どんなときでもアイロニカルな笑みを浮かべて夢に生きるジジの姿は、鳩山先生の筆によって顕現し、わたしたちの目前を鮮やかに駆け抜ける。
 ところが、永遠とも思われた幻想に、ある脅威が現れる。少女に変装したジジをつけ回す“大人”の存在である。  彼……ある髭の男は、ジジが少年であることを見抜き、ジジにとっては形容しがたく今まで触れたことのない——つまりソドム的な——目でジジを眼差す。大人の目は、少年の幻想を破壊し、歪め、そして消費する。男に見つめられることでジジは自らの世界が無理やりに意味を歪められ、奪われる危機を感じたのだろう。ジジの涼しげな笑みは、彼に対峙したとき初めて引きつる。そして遂に、スケート場にて、物語の運命を決定づける出来事が起こった。ジジによる男への、流血をともなう反逆だ。いや、抵抗といってもよいかもしれない。
 この事件が夢の裂け目となって、やがてU塔のてっぺんにじりじりと追い詰められてゆくジジ。しかし大人である警官たちにはジジを“見つける”ことはできなかった。その役目——夢を終わらせる役目はキキに託されているのだ。ここで、冒頭の「ジゴマごっこ」でのある場面が蘇る。

そのとき、突然ジジが石につまづいて、はげしく倒れた。そして死人の眞似をした。するとキキは、彼を捕縛すべき警官の役割を放棄して、ジジの肩に手をかけながら、女の子のやうにやさしく聞いた。
——ジジ、どこも怪我をしない?
(堀辰雄『羽ばたき』本文より)

 助け起こそうとするキキのやさしい眼差しと、ジジの閉じられた瞳。この一瞬は、鳩山先生によって聖性をおびた一枚の絵画のように描かれている。
 冒頭で、キキを振りほどき嘲るように駆けていったジジは、ここでもキキの制止する声を聞き入れず、ついに高い塔の窓から「飛んだ」! ただしスケート場でみせたような、そして鳩たちから教わった“飛行術”の天使のような飛び方を用いずに——。

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 鳥や虫、羽ばたくものたちはなぜ羽ばたくのか?
 答えは、生きるためだ。獲物をとるためや、捕食者から逃げるため、かれらは全身の筋肉と翼を震わせて飛ぶ。しかしながら、人間による「飛ぶ」行為はおのずと「死」に結びつく。なぜなら翼を持たない人間が飛び立つとき、やがて来たる「落下」は不可避であるのだから。先日、堀辰雄のかげを追って軽井沢を訪れた際、ふとカフェの硝子テーブルを覗き込んだとき、そんな思いに至った。
 鏡のような薄板に映るのは、上昇と下降が表裏一体であることを示唆するような、底のない天球であった。

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 それから、この作品を読むにあたって、夢について触れないわけにはいかない。夢から醒めないということ、眠りつづけること。すなわちそれは死と同義である。『羽ばたき』が発表された1931(昭和6)年の前年、堀辰雄はひどい喀血をし、自宅で療養を始めた。また、31年の2月に入ってからはプルーストの『失われた時を求めて』を読み始めている。病身の堀辰雄にとって、眠りは「もう目覚めないかもしれない」という死の可能性と隣り合わせであり、そのような眠りのうちに見る飛翔の夢は、重力からの解放、自由な浮遊であると同時に現実的な死——落下の兆しだったのではないか。落下を避けるためには夢を見続けなければならないが、いずれにしてもその先にある結末は死である。羽ばたくのをやめれば真っ逆さまに墜落するしかない。
 こうした“飛ぶ”行為と死の結び付きは、鳩山先生の前作『寝台鳩舎』にも色濃くあらわれているように思える。戦場を命がけで飛び回る軍鳩の少年たちも、生きるために飛ぶというより、行為それ自体のために飛翔してはいなかっただろうか?

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 鳩山先生は、コミカライズにあたり物語の最後にひとつ場面を追加されている。原作には描かれなかったこのきらめく情景こそ、人間にとって死と分ち難かった“飛翔”が、初めて生に結びついた瞬間であり、飛ぶ行為の果てにあるほんとうのユートピアではないだろうか? 遥か昔、ギリシア神話でイカロスが掴もうとした太陽が、ここに燦然と光を放っている。ミシェル・フーコーの言葉を引用するならば、

わたしの身体は「太陽の都」のようなものだ、それは場所をもたない、しかし、そこからありとあらゆる場所が、現実の場所であれユートピアであれすべての場所が現れて、四方に広がってゆくのである。
(ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』岑村傑訳)

 人は羽ばたくことが可能であるのかもしれない。鳥や虫には見られない、壮麗な夢を目指し続けるかぎり。あるいは、ジジのように「生への落下」を実行するかぎりで。鳩山先生の作品は、この羽ばたきの可能性を彩色写本のような精緻さのなかに、硝子片のように散りばめながら、読む者を青空の高みへいざなう。

 わたしはいつしか『羽ばたき』の頁を繰りながら、ひとりの少年として、窓に映る積乱雲のあいだを悠々と飛びまわることを夢想していた。

嶋田青磁 Seiji Shimada|詩人・フランス文学修士課程在籍 →note
学部在学中にピエール・ルイス『ビリティスの歌』に出会い、詩の魅力に憑かれる。19世紀末の頽廃・優美さを求め、研究の傍ら、noteを中心に詩作活動中。オンライン上のストリート「モーヴ街」では、図書館「モーヴ・アブサン・ブック・クラブ」にて司書をつとめている。

00_通販対象作品

書名|羽ばたき Ein Marchen
発行年|
2020年
出版社|KADOKAWA
★イラストサイン入り・オリジナル孔版蔵書票付き

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 堀辰雄の短編『羽ばたき Ein Marchen』をコミカライズした鳩山郁子先生の最新刊——『コミックビーム』連載同時から話題の、鳩山先生と堀辰雄のたましいが時を超えて交感した傑作がついに単行本として発売されました。
 本展のためにイラストサインを入れて頂き、さらに特別にオリジナル孔版蔵書票も付けて頂きました。

 コミカライズを超えた、繊細でありながら先鋭なる飛翔が卓越の描線で全編を駆け抜けています。原作の持つ神経の震えをそのままに、物語の緩急を秀逸のコマ割りとクローズアップや視点の妙で軽やかに活写、精緻かつ大胆な描写は、新しい古典と呼ぶにふさわしい一作です。
 物語を象徴するイラストに金色が効果的に配された見事な装丁、ジャケットを外した表紙もクール、扉にも同じく金色が刷られ、隅々にまで『羽ばたき』の世界が表現されています。
 堀辰雄の原作と文筆家・長山靖生氏による解説も収録。世界に放たれた羽ばたきの一翼をぜひ皆様の書棚にお迎えください。

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